第42話 リヴィオネッタの家庭の事情


 ゴォッ


 ――と、大きな風の渦巻く音が聞こえた次の瞬間には、もう周囲の空気の匂いは変わっていた。



 目に入るのは、リヴィオネッタの胸――だけ。ガッチリと両腕で頭を抱え込まれた体勢だったから、風音に包まれている間、自分がどうなっていたかは分からない。リヴィオネッタが林へやって来る時の魔法を使ったのは、一瞬で変化した周囲から推測は出来る。貴重な体験だったが、残念ながら見ることは叶わなかったようだ。


「けど悔いはないわ!」

「ふふっ、それは良かった」


 顔をしっかりリヴィオネッタの胸元に擦り付けた状態を堪能しつつ、決然たる語調で宣言するミリオンに、頭の上から笑い声が響く。


 バンッ


 と、間をおかず扉を乱暴に開く音が響いて、ドヤドヤ、ガチャガチャと何人もの人間がそこから踏み込んで来る騒音が続く。


「リヴィオネッタ、漸く観念して戻ったかと思えば、はどう云うことだ」

「わたくしと云うものがありながら、つれないお方ですわ。いえ、寧ろわたくしの気を引くための手管でしたら素晴らしい行動力に賛辞をおくりたいですわ。レンブラン様の協力者となり、わたくしの夫となるに相応しい器ですわね……と」


 リヴィオネッタの向こう側から見知らぬ男女の声と、何人かの人の動く気配を感じ取る。けれども未だガッチリと抱え込まれており、視界は彼の胸に占められているため周囲を自由に見ることが出来ない。いや、辛うじて見える天井は、オレリアン邸よりもずっと手の込んだ造りなのだが、それには気付かないことにしておいた方が心臓に良さそうだ。


 男の声の方が呆れた調子で溜息を吐き、話を始める。


「お前の為を思って兄である私が、後ろ盾になる者とのよしみを結ぶ手助けをしてやろうというのだ。素直に受けさえすれば最高の支持者と婚約者を手に入れられると言うのに、どうしてそう頑なになる? これまで社交を避け続け、碌に人脈を作ってこなかったお前にとって喜ぶべき縁ではないか」


 相変わらずミリオンには相手の顔はおろか、服装も見えないから、どんな身分の人間なのかも分からない。


「リヴィオネッタ様? わたくしお父様や、兄君であらせられるレンブラン様と何度もこちらに足を運んでは、急にどこかへ姿を隠してしまわるリヴィオネッタ様に本当に困らせられておりましたのよ。いつまでもそのように子供じみた我儘をなさってはなりませんわ。わたくしと共にレンブラン様をお支えするのです。権力に相応しい義務を果たしてくださいませ」


 男女の話す内容が、リヴィオネッタの気持ちを無視した傲慢なものに思えたミリオンは、グッと下唇を噛む。


(リヴィは、こんな勝手な話をされるから、魔法で聞いたみたいに声を荒らげていたのね……)


 ほんの少しだけ垣間見た彼を取り巻く状況でさえ理解できる、彼の窮屈で苛立たしい人間関係。


(よく頑張ったね)


 労う気持ちを込めて、そっと手を彼の背に回して撫でると、一瞬身体を強張らせたリヴィオネッタだったが、すぐにミリオンを抱え込む腕に力が籠った。


「ちょっとっ……! 貴女その格好、ただの下女? いえ、平民じゃないの。わたくし達を誰だか分かってのその態度なの!?」


 どうやら女の方は、背を向けたリヴィオネッタに抱き締められた人物を、彼の影から見える衣服や、背中に回した腕で平民の女だと判断したらしい。声にいっそう腹立ちが増す。


「リヴィっ」


 これはどう云う状況かと声を上げようとしたのに「なぁに?」などとお砂糖てんこ盛りな甘い声で囁かれてしまって顔に熱が集まる。


 しかも、リヴィオネッタ以外の他人が確実に近くにいるこの状況――なのに抱きしめた姿勢のまま、ダンスを踊っているかのような軽やかなステップでくるりと回転してみせる。


 場違いなワルツにミリオンのぶかぶかなワンピースのスカートも、ストールを巻いていない下ろしたままの髪までもがふわりと弧を描いて、気持ちと同じく、楽しげに宙を舞う。


 先程までとは逆向きの、戸口に立った男女にミリオンが後頭部を向ける格好で踊りはピタリと止まる。


「兄上、私に構わないでいただきたい。長兄でなく、次兄である貴方が優位に立つため、私を取り込もうとしているのは分かっています。私は、どちらが継いでも変わらず尽力するとお伝えしている。それなのに何を焦っておいでか、婚約まで持ち出すのはやり過ぎだ。私にはこの通り、大切な女性が居る。――誰も否を唱える事のない稀有な縁だと思う」


 落ち着き払ったリヴィオネッタの声に反して、女は「平民の女が?」と鋭く呟くが、男の方――レンブランは「ひゅっ」と息を飲む。


「――彼女は―――まさか」

「ご覧になられた通り、美しい深く濃い銀糸の髪……銀の髪を持つ者がを知らぬわけではないですよね」


 リヴィオネッタが後頭部をさらりと撫でて、髪をひと房、掬い取る感覚がするけれど確認することは出来ない。けれど、見るまでもなくハッキリしている。ミリオンの髪は生まれた時から変わらず黒髪だ。


(リヴィ!? 何言ってるの!? いくらなんでも黒いものを『銀』だなんて、どんな権力者でもそんな滅茶苦茶はまずいと思うわ!)

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