第41話 魔導書炎上


 たった今聞いたリヴィオネッタの言葉に胸がざわついて、薄っすらと覚えた苛立ちに髪が逆立つ思いがする。――いや、実際にミリオンの髪は、彼女の動揺に呼応して全身から漂い出た黒い靄に煽られ、蠢いているのだが。


 そんなミリオンに怯えたのか、林に響いていた鳥の囀りや、虫の鳴き声がピタリと止む。


 黒い靄の正体は解らない。底冷えのする恐怖と、目を背けたくなる嫌悪をもたらすソレは、林中の生物が本能的に逃れようとする『何か良くないもの』であることは確かだ。けれど異変に気付かないミリオンは更に鬱々した感情を募らせ、黒い靄を濃くして行く。


「ううん! リヴィは嫌がってるわ! って言うより、わたしが嫌!! 誰よ、リヴィをこんなに怒らせる無理を言う人は! 許さないんだからっ」


 叫ぶと同時に、胸に抱えた魔導書がカッと熱を帯びて燃え上がり、驚いたミリオンが慌てて手を離すと、落ちた魔導書はあっという間に全体が炎に包まれてしまった。


「あぁぁぁっ!! 魔導書さんがっ!」


 慌てて炎を消そうと、身に付けたエプロンの裾でパタパタ叩いてみるが、火の勢いは衰えず、ついに魔導書は「ぷすぷす」と音を立てて、何が書いてあるのか全く判別出来ないほどの、黒焦げの塊になってしまった。これではもう魔法は使えず、リヴィオネッタに会うことも叶わないと呆然とするミリオンだが、全身を覆っていた不吉な黒い靄は消え去っていた。


「ふえぇぇぇ……これじゃあ、リヴィに会えない」


 本人はそんな事には気付かずに打ちひしがれているけれど、周囲には徐々に「音」が戻りつつある。


 辺りに穏やかさが戻ったのは、魔導書が燃えて何かを打ち払う効果をもたらしたのか、ミリオンが無自覚に募らせていた嫉妬や独占欲などの負の感情が、突然の炎上に切り替わらざるを得なかったからかは分からない。だけれどミリオンから溢れ、全身を覆っていた黒い靄が消えると同時に不穏な空気が消えたのも確かだった。


「燃えちゃったぁー。わたしが萌えるのはいいけど、これはダメだよ。……ごめんねリヴィ。約束、守れなくなっちゃった」


 煤けた下草の上から黒い塊を拾い上げて、ぺたりと座り込んだミリオンの周りに一際強い風が渦を巻いて吹き荒ぶ。舞い上がる煤や砂埃に堪らず目を閉じ、徐々に風が収まるのを肌で感じ取っていると、忽然と間近に人の気配が現れた。


 相手が声を発するまでもなく、ミリオンにはそれが誰だか分かってしまう。


「ミリ!! 何がっ……!」


 焦った声とともに両肩を強く掴まれて、閉じていた眼を開ければ、目の前には零れんばかりに濃く深いエメラルド色の目を見張ったリヴィオネッタの顔があった。推しの超至近距離への出現で、驚くべきはミリオンのはずなのに、何故か彼の方が驚愕の表情を浮かべている。


 見開かれた彼の瞳に、チカチカと星を散りばめた様な細かな閃きが溢れ出し、リヴィオネッタをより一層華々しく輝かせる。いつも不思議な出来事の後に現れる彼の瞳の煌めきは、魔法を使った後の余韻だとミリオンは推測している。忽然と何処かに姿を現す魔法は、学園の魔法技能優秀者たちも使うことは出来なかったし、実技は勿論、魔法史の授業で教わることも無かった。そんな稀有な魔法を使ってまで会いに来てくれるリヴィオネッタには感謝の気持ちしかない。


 嬉しさと、間近のリヴィオネッタの尊さに歓声を上げようとしたところ、素早く腕を引いて引き寄せられる。


「ミリ! ごめん、すぐに来て!! って言うか連れて行くねっ」

「へぇぇええぇっ!?」


 問答無用でミリオンを巻き込んで魔法を遣おうとしているらしく、リヴィオネッタの瞳に再び鮮やかな煌めきが現れ始める。


「困ったことになってたんだけど、今のミリとなら何とかなりそうだから。一緒に来て、僕に話を合わせて!」


 一方的に希望を捲し立てて、焦るリヴィオネッタは何を言っても聞きそうにない。しかも、ここへ来た時と同じく、魔法でどこかへ移動しようとしている。折角会えたリヴィオネッタに付いていかない選択肢は無いミリオンは、すぐに一緒に行く覚悟を決めて、先程の強風で頭から地面に落ちてしまったストールをぱっと取り上げたのだった。

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