ボクらの爛れた朧月

クニシマ

某都市の夜(月刊誌『音道』1982年5月号掲載)

 アタマが痛い。こんなことを書いてしまうと、この連載をいつも読んでくださっている皆様は「またフツカ酔いか、カズ!」とお思いになるかもしれませんが、そうじゃあない(イヤ、それもチョットはありますが……)。

 皆様もご存知の通り、我々プラッチック・ヘアーズは現在ライブ・ツアーの真っ只中。某都市の某高級ホテルに滞在中というワケであるんでございます。

 ところで。こちらも皆様ご存知の通り、R君という人がいる。なぜ名を秘すかといえば、これから書くことが彼の沽券にかかわるからだ。もっとも、プラッチック・ヘアーズの三人のうちRというイニシアルの人物はただ一人であるので、特に何を伏せたことにもなってはいないが、マ、一応。

 昨晩のことであります。ライブを終え、疲労コンパイの状態でホテルへ帰りついた我々。何はともあれ明日は休みだ、ということで、R君とボク、スタッフのやなぎ氏、それからR君のマネージャーであるところのナカジマ君、このメンツで集まって酒盛りを始めたんである。オミさんは、ボクら三人の中で唯一の下戸であるから、その時間にはもう自分の部屋で寝ているだろうと思われた。

 途中、誰が呼んだのか女のコが一人二人やってきたりして、オンナ好きのナカジマ君なんかは興奮し鼻息もフンフンと荒らげながら「イヤもう僕いっちゃいますヨ、やっちゃいますヨ」などと意味のわからないことをしきりに言い、挙げ句の果てにはいつの間にやら女のコを伴ってどこかへ消えていた。まったくタレントに似てロクでもないマネージャーである。

 そんなこともありつつ、この宴会は真夜中まで続き、窓の外のウッスラとした月が三つにも四つにも見え始めた頃になってようやくお開きと相成ったのであった。ここまでは、まあ、よかった。このときまではまだ、R君はいつもと大して変わりのない様子に見えたし、ボク自身もごく単純に気分良くヨッパラッているだけだったのだ。

 宴会場(確か柳氏の部屋であったハズだ)を出てそれぞれ部屋へ帰ろうというとき、背後からドカドカというコワイ足音が響いてきて、「カズちゃん、サ」と呼びかけられたわけです。皆様が今ご想像なさった通り、例のラジオ番組などでよく耳にするところの、あのボソボソッとした早口。R君であります。

「なに?」と、ボク。

「部屋、どこだったか、覚えてる?」と、彼。部屋番号すらも忘れたと言うので、思わず吹き出してしまった。あれで結構ボケーッとしたところがあるんです、R君という人は。彼の奥方はよくガマンしているものだと思います。閑話休題。まったくしょうがねえヤツだなアとひとしきり笑ったあと、紳士と名高いこの中原なかはら数彦カズヒコ、コンセツ丁寧にR君を部屋まで案内してあげることにした。なんとまあ優しいことであろうか。

 このホテルは建て増しを繰り返した結果フクザツな構造になっているそうで、柳氏らスタッフ達の部屋がある五階からボクら三人とマネージャーの部屋がある六階へ行くのにいったん連絡通路を経由してからエレベーターに乗る必要がある。ウス暗い連絡通路を千鳥足でフラフラ進み、エレベーターに乗り込んだのが午前三時頃だっただろうか。エレベーターのカゴの中でR君は動物園のクマのようにせわしなくウロチョロウロチョロとしており、それがワケもなく面白くてボクは大笑いしてしまったのだが、今思うと周りの客室で寝ている他のお客さん方にとってはヒジョーにメイワクだったかもしれない。マコトに申し訳ございませんでした。

 エレベーターを降りると廊下が二手に分かれており、ボクらの部屋は右手に進んだほうにある。R君の部屋は607号、ボクの部屋は608号だ(ちなみにオミ野さんの部屋は609号である)。R君の部屋のほうが手前であるので、ボクは彼にここがキミの部屋だと教えてやって自分の部屋に入ろうとドアを開け、一歩足を踏み入れた。そのときであった。

 ——バサッ、ドタドタッ、ドサッ!

 皆様はこれをなんの音だと思いますでしょうか。答えはR君がボクを巻き添えに思いきり床へ倒れ込んだ音なのでありますが、オソロシイとは思いませんか。あの肩ハバですよ。背丈はボクと同じくせに(あんまりこれを言うと怒られる。ゴメンネR君)。アレに真後ろからのだからヒトタマリもない。柔道技でもかけられたのかと思ったのもやむなしで、これを書いている今もまだ床に打ちつけた左ヒジがやや痛むのだが、さすがは高級ホテル、毛足の長いカーペット敷であったことが幸いして大したケガはなかった。

 何もうドーシタノなどと言いながらR君の顔を見てギョッとした。電気のついていない暗がりでもわかるほど異常に赤黒いのである。酒に何か悪い成分でも入っていたんじゃなかろうかと疑ったがボクも同じものを飲んでいる。コイツどれだけ飲んだんだと先ほどの宴会の記憶を辿ろうとしたが、R君のデカイ顔(失敬!)がググッと近づいてくるせいでどうにも思い出すことができない。フーッフーッと妙に荒い息がちょうど鼻のあたりにかかって不快である。酒クサイ。吐き気がしてきた。振りほどきたいのだがガッシリと組み敷かれていてそうもいかない。

 どうにかして抜け出せないかともがいていると、R君はボクの首スジに顔を寄せ、あろうことか舌を伸ばしてベロリと舐めたのである。ゾゾーッ。ジットリと湿って生ヌルイその感触のウス気味悪さといったら! 身の毛もよだつとはまさにこのこと。彼とはハタチの頃に出会って以来だからジツに十年以上の付き合いとなるわけだが、こんな人間であったとは知らなんだ。知りたくもなかったというのがショージキなところだ。さてはこのヨッパライ、今襲いかかっている相手が男か女かすらわからなくなっているな、と思った瞬間、くぐもった声が耳元で囁いた。

「カズヒコ。」

 モノの喩えでなく本当に心臓が止まった。彼はハッキリとボクを中原数彦であると認識した上でこのような行為に及んでいるのだ。ボクがそう理解したのとほとんど同時に、R君の手がボクのベルトの金具に触れた。マズイ。このままでは間違いなくが起こる。起こるというより起こされる。より正確には、。……バカなことを言っている場合ではない。ハジも外聞もなく大声を出して助けを求めるべきかと考えたとき、R君の靴が挟まって細く開いていたドアの隙間から、オミ野さんの顔が覗いた。

 このときのオミ野さんの表情を忘れることはないだろう。彼はボクらとバンドを組んだこと自体を心の底から後悔してでもいるかのように眉をひそめ、頬を引きつらせて床の上のボクらを眺めていた。ボクはといえば、スサマジイ羞恥にわずかばかりの安堵が入り混じった、とてもじゃないがファンの皆様方には見せられない顔をしていたと思われる。

 しばし沈黙があった。オミ野さんはごくごく小さな声で「カギかけなよ」とつぶやき、それからワザワザR君の靴を部屋の中に押し込んでゆっくりとドアを閉めた。カッ、カンベンしてくれ。イヤ違うんですと叫びたかったが、口を開くと胃の中身が出てきそうでそれもかなわない。コンチキショウ。もはやイッカンの終わりか。諦めの念が去来しかけたところで、フト気がついた。ボクを押さえつけるR君の手から力が抜けているのだ。もしやと思って彼の顔を見ると、案の定であった。グッスリと眠りこけている。ボクはもう泣きそうなほどホッとして(一、二滴は実際に涙を流していたと思う)、R君の体の下から這いずり出た。

 で、まあ、ヤツのことは廊下にホッポリ出してもよかったのだが、紳士とうたわれるこのボク、そんなヒドイことは致しません。そのまま床に転がしておいてやって、自分自身は悠々自適に高級ベッドの上で眠った。トーゼンの帰結というものである。

 ちなみに現在午前十一時半、ボクがこの原稿を書いている後ろでR君はまだ寝ている。ナカジマ君、サッサと引き取りに来てくれーっ。

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