第17話 諦められない気持ち

──死んだ。


石神 わかはそう確信した。


新幹線はやぶさの座席で縮こまって、戦うコウくんの後ろ姿を震えながら見ていた。そんな時に感じた突然の浮遊感。そうかと思えばいつの間にか、自分の体が外へと飛び出していて、高速で後ろに流れていく地面が眼前に迫った。


……思わず目を瞑った。ああ、死ぬんだ、と。


「……え」


しかし、いつまで経っても地面への激突の衝撃や痛みは襲ってこなかった。恐る恐る目を開く。


「……!」




──わかは、空を飛んでいた。




「なっ、なに……なにっ!? なんなのよ、コレ……!」


「騒ぐな。じきに降ろしてやる」


「……誰よ、あなた!」


自身の上から聞こえる声を聞いて、わかは自分が抱えられていることに気が付いた。


──ボディービルダーのように太い腕、大きな角ばった顔、短く刈り込まれた短髪……明らかに、この国の人間ではないことは確か。欧州側の人間だ。


その男は、背中のリュックのような形のマシンから両サイドに分厚い翼が伸びており、そこから強風を後ろに生み出して飛んでいるようだった。


「誰か、などお前が気にすることではなかろう。お前を狙いに来た者のひとりに違いはないのだから」


「今すぐ降ろしてッ! コウくんの元に──はやぶさへと帰してッ!」


「暴れもするな……落ちるぞ、それでもいいのか?」


「っ……!」


今の居場所は上空だ。一番低い位置にある雲がすぐ側に見えることから……おそらく地上までの距離は数百メートルから千メートルはある。下に広がっている地面は田舎の田園風景とはいえ……叩き付けられたら即死は免れない。


「……いいわ。暴れやしないわよ。その代わり──コウくんッ! コウくーーーんッ!!!」


わかは思い切り叫んだ。


「なんのつもりだ、女」


「決まってるじゃない。呼んでるのよ……私の彼氏をッ! コウくーんッ! 私は、ここぉーーーッ!!!」


「フ……よっぽどあの男を信頼していると見える。だがそもそも追ってこれるのか? 韓国政府お抱えの暗殺者集団に囲まれていたのだろう?」


「暗殺者集団……あなたもその一員っ!?」


「まさか。金さえもらえれば誰でも殺すような暗殺者と俺をいっしょにするな」


男は、心底嫌そうな口調で言う。


「俺は、大義のために動いているまで」


「……どう言い繕おうが、あなたが今やってるのはか弱い女の子の拉致よ」


「か弱い? フッ……お前ほどの【超能力チカラ】を持つ者がか?」


「……! あなた、私の能力を知ってるの……!?」


「……? どういうことだ、お前……まさか自らの能力を知らないとでも?」


無言で頷くわかに、その男は小さくため息を吐いた。


「なるほど……非道な実験の哀れな被害者よ。お前に罪は無い。だが、その能力は見過ごせぬ」


「何よ……あなた、私をどうするつもり……?」


「女、訊ねる。JAS.Labジャス・ラボの新拠点はどこだ? 2年に1度の間隔で場所を変えているのは知っている……お前が1カ月前に脱走してきた場所を教えろ」


「……! 嫌よ、なんでそんなこと……!」


「そうか、分かった。だが、お前の目撃情報を辿ればそう難しくなく候補は絞り込めるだろう……本来なら、厳しく尋問をしてでも吐かせようと思っていたが、さすがに酷だ」


「……? いったい、どういう──」


わかの言葉はそこで途切れた。『バリッ!』という小さな電流の音と共に一瞬、体中へと痛みが走ったかと思うと、その意識が遠くなった。




「──え……?」




そして、体が支えを失ったように、空を泳ぐ。


男がわかの体を手放していたのだ。


──自由落下が始まる。




「──周りに建物も、人もない。ここでなら万が一の被害は最小で済むだろう」




ボンヤリと意識が明瞭としないわかの耳に、男の呟く声が流れ込んでくる。




「──誰にも害をなさず、ひとり安らかに死ぬがよい」




……嫌だ。


ボヤけた頭で、しかし、わかはそう思った。


……死ぬ……? 嫌だ、死にたくない……。


これまで、自分が生きているという事実は希薄……とまでいかずとも、生きる意味を実感として持ったことはなかった。


ゆえに、死……いつか自分にも訪れるであろうそれを、恐れたり嫌悪したりすることもなかった。


わかは、自分が特殊な存在であり、他の人間に正体を隠して生きていかなければならないという自覚があった。だが研究は好きだったし、研究所で研究者として生きていかねばならない人生を、それなりに楽しく受け入れていた。


だから、最初はそんな限られた楽しみさえも奪おうとしてくるこの世界に腹が立っての反逆──脱走劇だったのだ。復讐してやると息巻いて、初めての自由に高揚さえもした。




──でも、それも全部最初の内だった。




居場所が無い、その事実が自らに与えるストレスは尋常ではなかった。


……私に、帰る場所は無い。


……私に、与えられた役割は無い。


……私に、普通の人として生きる道は無い。




……なら、私はいったい……何のために生きているの?




その疑問がよぎるたび、わかはどこかへと散らばっていきそうになる復讐心を必死にかき集めて、毎日毎日、その日にあった出来事、復讐の進捗をボイスレコーダーへと吹き込んだ。


でも、ダメだった。


どんなに復讐に胸をたぎらせようとも、言い表しようもない寂しさだけはわかの心にポッカリと穴を空け続けた。




……もう、いいや。私なんて……。




路地裏でひとり、涙を流していたわかだった。でも、そんな空っぽだったわかにも、ひと筋の光が差したのだ。




「コウ……くん……」




生まれて初めてされたナンパだった。下心の見えるそういった行為に嫌な気持ちはあったけれど、正直なところ少し、自分が自分以外の誰かに認められたようでホッとしていた。


生まれて初めてした告白だった。クールぶろうとしたけど徹し切れず、カッコ悪いところをコウくんに見せてしまった。恥ずかしかったし照れたけど、でも、最後には嬉しさが勝った。


生まれて初めての彼氏だった。今の今までずっと、心がホワホワと浮いているようだ。


……でも、まだ何もできていないのに。朝ムックと、電車に乗ったのと、それだけしかいっしょにできてないのに……!




「死にたく、ないよ……!」




──わかの鈍っていた意識が、完全に覚醒した。




「……っ!」


とはいえ、上空。地上数百メートル。それも……落下中である。


……何ができる、何をすればいい? 考えなさい、石神 わか


わかは高速で頭を働かせ……それから体を大の字に広げた。


「……くぅっ……!」


空気圧が、背中をグッと押すのが分かる。


……よし……これで、少しは落下の速度が落ちるはず……!


あとは──!




「コウくーーーんッ!!!」




わかは叫んだ。落下の勢いに声が流されることも気にせずに。


「コウくーーーんッ!!!」


地面が迫ってくる。しかし、わかは声を張り続ける。


……私がどこにいるかさえわかれば、きっとあなたは駆けつけてくれるわよね?




──地平の果てが、紫色に輝いた。


かと思えば、わかの体は空中で、鷹にでもされるかのように真横にさらわれた。




「──ごめん! 遅くなった!」




丸山コウ──彼が、その手をわかの体の下に入れて支えて、空を大きく跳んでいた。

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