第3話

 ずっと手を握っていて欲しい。


 確かに私はそう願った。

 だが、こういった願いはあくまでも精神的な話というか、理想の話だ。


 もしも二人きりで、ここではないどこか綺麗な場所であらゆる面倒なしがらみから解放されて何不自由なく生きていけるならばそうしていたいという話であって。

 私達が手を繋ぎ続けるにはこの世界は不自由に溢れていて、いつだって繋いだ手を断ち切ろうとしてくるのだ。


 だから、ずっと手を繋いでいられないなんてことはあたりまえのことで、誰だってそう考えるものだと私は思っていたが、もしかするとそれは間違っていたのかもしれない。


「美月。夜ごはんを作りたいから終わるまで手、離してくれない?」

「……やだ。片手で作れるの作ってよ」

「なかなか難しい注文ね」


 ……今日は冷凍食品でいいか。


 折角美月が家にいるし、私が彼女にしたことを思うとなにか美味しいものでも振舞ってあげたいところだったけど、仕方ない。


 ──結局、美月は学校を出てから一瞬たりとも手を離そうとしなかった。

 まるで、一度繋いだ手を離してしまえばもう二度と手を繋ぐことができなくなってしまうみたいに、しっかりと彼女は私の手を握りしめていた。 


 そんな状態でお互いの家に帰るには少なくとも私達の腕が数百メートル程まで伸びなければいけないが、あいにくとそんな特殊な身体は持ち合わせていないので、仕方なく、彼女を私の家に招き入れることになった。


 ……余談だが、私は一人暮らしをしている。つまり、いまこの家にいるのは私と美月だけ。二人きりというわけだ。


 いや、うん。そういうつもりではない。ない、けれど……私は美月をどんなふうに見ているのか伝えたハズだし、彼女もそれがわかっているハズだ。

 だからといってその日のうちに、というのはいささか性急すぎるとは思うが、今日の私は既に止まれないところに来てしまっている。


 そもそも、美月のことが欲しくて欲しくて仕方がなかったからあんな告白をしたし、卑怯な手まで使った。

 とはいえ、どんな手を使っていても私のものになったことは事実なのだから、私は美月に何をしたっていい。

 私のものになるというのは、そういうことだ。


 ──と、邪なことを考えている間に夜ごはんのからあげができあがる。温めるだけでできあがるお手軽なヤツだ。


 合わせにくい両手を軽く合わせてから、自由を許されている右手のみで一口齧る。

 それなりの味だ。かけた手間を考えれば十分においしいと言える。

 ……のだけれど、酷く食べにくい。


 痛いくらいに握られているこの手も、流石に食事時くらいは離れるものだろうと思っていた。

 けれど、手を合わせていただきますをしようとしても、夜ごはんにお箸を伸ばしてみても、美月は一向に私の手を離そうとする気配が見えない。


「ねえ、これじゃ食べにくいわ。すごく」


 仕方がないので、もう一度美月に一時の手の自由を要求してみる。


「……京花ちゃん、そんなに私と手繋ぎたくない?」

「どうしてそうなるの?」

「さっきから何度も離せ、離せって言うじゃん」


 片手だけでは食事がしにくい。

 当然のことを口にしているハズの私を見る美月の表情はどこか不満げである。


 妙な話だ。

 ほんとうはぜったいに私の方が彼女の手と手を繋いでいたいと思っているに決まっているというのに、これではまるで彼女ばかりがそういったことをしたがっているみたいだ。


 だけど、良い。美月がそういうつもりならば、私だってそういうことを我慢しないだけだ。


「……離せとは言ってないでしょう」

「じゃあ、なに?」

「食べにくいのだから、貴方が食べさせて」


 そう言うと、彼女は意外そうな表情を浮かべてこちらをじっと見つめてきた。

 なんだか目を逸らしてしまうと負けた気になるし、そうなると食べさせてもくれなそうな気がしたので、私も美月に向けた視線を決して逸らさないよう固定した。


 そうして見つめ合っていると、やがて耐えきれなくなったのか美月は少し視線を逸らして、ふぅん。と揶揄うように笑った。


「あーん、ってして欲しいんだ?」

「悪い?」

「や、いいけど、さ」


 はん。私を辱めようとしても無駄だ。

 あの無様な告白で私の醜い欲望は既に伝えているのだから、もはやいまさらこの程度で恥ずかしがることはないのだ。


「……いつも私からしようとしたら嫌がってたじゃん」

「別に嫌がってはなかったと思うけど」

「ぜんぜんさせてくれなかったじゃん」


 できるわけがない。

 私は、今日まで美月に抱く熱を全て隠して過ごしてきたんだぞ。

 あーん、なんて日常的にされていたら、いつかこの熱が彼女に伝わってしまいそうで、とてもじゃないが受け入れられなかった。


 でも、もういい。

 美月は私のものなのだから。


「ほんとうはうれしかったの?」

「いいから、早く食べさせて」


 少しだけ語気を強めて言うと、ようやく彼女はその気になってくれたようで小さめのからあげを一つ掴み、箸を伸ばしてくれた。


 彼女と手を繋ぎながら、繋いでいない方の手から与えられたからあげを口にする。


 彼女から与えられたからといって、それで特別に美味しくなったりはしない。

 先程私の不自由な手で口にしたものとなんら変わらない味だ。

 だけど、先程と違って私の中のなにかが急速に満たされていくのを感じる。


「おいし?」

「それなりね」

「それなりかぁ」


 美月がくすり、と綺麗に笑った。


 今日無様な告白をしてしまってから、私は初めて愛おしい彼女の何ら含むところのない笑顔を見ることができた気がした。


 

 

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