第6話 羽島公平 -kouhei hajima-

「じゃんけんの、ぐー!!!!!!!!!」


 私はイメージが膨らむ、その勢いに任せて、拳を前に突き出した。


 無音だが、何かが蠢くような、そんなザワザワした感覚が生まれて。そして、それは確かに動いたんだ。


 刹那――大きな力が、男を強く弾き飛ばす。

 ステージに叩きつけられる形で、男は宙を舞った。


「な?」


 何が起きたのか分からず、彼は目を白黒させる。


 したたかに体を打ち、一瞬の呼吸困難になったようだった。


 そこを間髪入れず、ゆかりちゃんが雷撃を放った。一点集中、子ども達への被害を最小限に。でも、余波が、子ども達に牙を剥きそうになって――。


 しゅん。

 そんな音がして、弾かれる。



 爽君が能力スキル・不可視物理防御壁を起動させ、二次被害に備えていてくれている。ココまでは、爽君が立案したプランの通り。


「なんなんだ、お前らは!?」


 狼狽しながら、彼は絞り出すように、言葉を吐いた。絶対的優位から転落したことを物語る表情。


 あの日、実験室を焼いた日。

 阿鼻叫喚で逃げ回った研究者たちと同じ顔をしている気がする。


 私はただ彼を見据える。恐れは無かった。ただ真っ直ぐに、彼が失ったものについて考える。爽君の事前情報を加味しても、子どもを力で取り戻そうという考えは間違っているって思う。


 私には夫婦のことはよく分からない。同年代との交流すら経験が浅いのだ。まして、男女間の感情なんて、マンガの世界でしか知らない。


(でも――)


 爽に対しても、ゆかりに対しても、初めての感情が溢れすぎて。私はきっと冷静じゃない。この感情の正体が何なのか、やっぱり自分でもよく分からない。


 でも、でも――。


 力を抑えられない自分が言うのはおかしいって思う。何を言っているんだって思う。それでも、それでも、それでも。力で――無理矢理に――奪うのは、やっぱり間違っている。


 爽君がくれた情報を思い返す。


 離婚は夫婦の問題だ。でも親だからって、何でも干渉して良い訳じゃない。子どもにも選択する権利はあるって思うから。自分は何も選択できなかった。ただ父と母の研究方針に従うだけだたったから。


 でもそれは違う、間違っているって。今なら、自分の気持ちを、少しだけ言える気がする。


 だから。

 私は、大きく息を吸い込んで。それから言葉を紡ぐ。


「通りすがりの高校生です。お節介でごめんなさい。でも、これだけは言わせてください。その子、あなたの娘さんですよね? すごく怯えた顔をしていますよ。あなたのワガママで、今、何人の子が怯えていると思っているんですか?」


 私は、真っ直ぐに言葉を紡ぐ。

 保育園のプレイルーム。やけに、声が残響する。

 彼の目が不快感に歪むのが見えた。



 ――実験室とどう向き合うか。


 今なら、爽君の言う意味を少しだけ、理解できた気がした。

 実験室に関わるということは、強欲と引き換えに大切な何かを、生贄にするということ。そして彼は確かに選択をしてしまったのだ。


 彼はそして、引き換えに多くのモノを失った。

 だから、その目に狂気を孕むのも当然で。


 彼はウェストポーチから球状の物体を取り出す。それは磨き上げられた鉄球だった。それを無造作に、私に向けて投げ放つ。


か!? ひなた、避けろっ!」


 爽君が叫ぶ。


 データが送信される。これも、銀鎖のネックレスが触媒となって交信する【ナンバリング・リンクス】の効果だった。


 筋力局所強化は量産型サンプルによく見られる技術だ。筋力の一部を強化、靭やかに、頑強にする事で、戦闘特化型サンプルの性能を向上させる。


 例えばプロの野球選手は、120キロに及ぶ投球スピードはざらである。その球速をさらに加速することができたら。


(……それはテロだよ)


 爽君はさらに、私にデータを送信してくれる。


 現実的には【筋力局所強化体】の性能向上は、限定的な筋力向上のみに限られる。過剰な筋力局所強化は能力上限稼働オーバードライブに至る可能性があるからだ。無理な調整をすれば、廃材スクラップ・チップスになる可能性がある。

 

 ――そのリスクがあるから。

 そう、爽君は言った。


 コクリ、私は唾を飲み込む。

 ――だからね?


 爽君は続ける。

 ――全力を出し切って、彼を止めるんだ。


 現役野球選手―― 羽島公平ハジマコウヘイ


 現在、J軍二軍落ち。引退も間近とスポーツ紙が報道した情報も同時に収集済みだ。妻子とは別居中。そんな彼の心情は想像できないが、彼は実験室のサンプルになるこを選んだ。


 彼がオーバードライブする要因は十分にある――爽君は小さく息をついて言う。

 

 ――もしもの時は、防御に徹するから。【ブースト】と【ブレーキ】はかけられないと思って。


 爽君が子ども達の前に立つ。

 見えない何か。力場が蠢くのを感じた。


 ――不可視物理防御壁・ファイアーウォール。


 それが、爽君の能力スキルの一つだった。子どもを気にしながら戦うよりも、ひなたが全力を出せる環境を、俺が作るからね?


 にっこり笑って、爽君が言ってくれたのは、突入前。


 最悪のことを想定して、やっぱりプランは練らないとね。

 爽君が微笑む。笑む。笑んで――。


(イヤだ)


 私が全力を出し切れなかったのが、悪い。でも爽君が傷つくのはイヤだ。イヤ、なんだ。


 私は指先をのばす。


「イメージはパー。じゃんけんのパー。大丈夫……爽君が私を守ってくれる」


 片手は爽君とリンクする、銀鎖のネックレスに触れ――爽君が目を丸くする。


「……今、やるの?」

「私が爽君を含めて、守るから。だから爽君、力を貸して。まだ、最悪のシチュエーションじゃない」

「……触媒と合わせて、4倍ブーストいくよ? 酔わないでよ!」


 ぶん。空気が震えた。

 昂揚する。

 この高まる気持ちを、イメージに上乗せする。


「パー。イメージはパー。じゃんけんのパー」


 私が掌底を前に突き出す。


「じゃんけんの、パー!」


 力が生まれる。私の目には青白いカーテンが、彼の干渉を閉ざす。


 ころん。静かに鉄球が落ちた。今まで沈黙していた子ども達が歓声を上げのが遠くに聞こえて。まだだ、まだ終わっていない。


 私が、さらに拳を固めた瞬間――。  

 ゆかりちゃんが、心臓めがけて圧縮した雷撃を、放り投げていく。


「あ――が――あ――」


 苦悶の声。今度は一切の容赦が無い。でも、これが正解なんだって思う。


「お父さん!」


 女の子が叫ぶ。彼の娘さんだろうか?

 苦いものを口の中に感じながらも、迷っている余裕はない。彼を機能停止させるために、私は――。


 


 


 


 



 きぃぃぃぃぃぃぃぃん。











  突然の不快な音に、私は思わず顔を歪ませる。


「まさか?!」


 爽君が、スマートフォンを操作する。データはすぐに送られてきた。


  廃材スクラップ・チップス能力者サンプルにしか聞こえない、高周波の干渉信号。特に不安定なスクラップ・チップスに最終実験として使用する研究者が多い。


 オーバードライブで自我を失う前に「目的」を脳に焼きつける。

 研究者はオーバードライブ後も「目的」を達成しようとする本能行動に着眼した。オーバードライブした廃材は「目的」のためだけに、行動し続ける。


 実験室は、廃材スクラップ・チップス・羽島をオーバードライブさせようとしている――。


(ひなた!)


 ナンバリング・リンクスで爽君が、私に呼びかける。

 でも、それよりも廃材・羽島の行動は早かった。爽君を目掛けてタックル。その体を吹き飛ばす。羽島は迷いなく娘の手を取り、割れた窓から外に飛び出していった。


(……え?)


 頭が真っ白で。

 どう行動して良いのか分からなくない。

 爽君から、多数の信号を受信する。


 ――追って! あいつを追って!

 でも、私は……。


「爽君っ!」


 私はパニックになって、爽君のもとに駆け寄ることしかできなかった。


「大丈夫、追って!」


 でも、そんな。

 爽君を置いて?

 私はどうしたら――。


 指先が震える。

 そんな私を見て、爽君は安心させるように、笑む。

 それから、ゆかりちゃんを見て。


 コクンと、ゆかりちゃんは頷いた。

 ゆかりちゃんは、爽君の意志を理解し、窓から身を乗り出し。そして、躊躇なく飛び出していった。


 私はネックレスから通知させる、残り時間タイムリミットを知り、頭が真っ白になる。


 目標の5分まで、あと1分。実験室の監視システムが復旧するまで、もう間もなく。呑気に時間を食い潰せない。


「ひなた、力を貸して」


 爽が私の手を握って――その目が、まだ諦めていないと、ようやく気付く。

 さっきまで、脱力しかけていたのに。


 爽君を失いそうで、怖いと思ってしまったのに。

 今は、その真反対に。


 力が溢れる。


「……爽君、力を貸して」


 やっと、そう言えた。

 二人で、ぐっとお互いの手を握りしめて。


 爽君は――ゆっくりと立ち上がった。

 一息ついて。それから微笑を溢して。何事もないかのように、冷静にスマートフォンを操作しながら、現状分析を進める。そして、爽君は顔を上げた。


【検索は終了しました】

 データが送信されて、私は爽君のプランを理解する。


「行くよ、ひなた?」


 その言葉だけで、十分だった。

 私は、爽君と手を繋ぎ、躊躇いなく行動に移す。


(もう、迷わない――)


 重力行使で、硝子の破片を巻き上げながら。

 二人で息を合わせて。窓から外へと、飛び出したのだった。








■■■




「それにしても……」


 爽君が呟く。


「あれが干渉信号だとしたら……桑島が、能力上限稼働オーバードライブしなかったのは、どうしてなんだ?」


 息を切らしながら、一緒に走る。

 息が上がる。

 でも、この手に温もりを感じられるから。


(もっと、走れる――)


 走ることに手中していた私は、爽君の言葉を、最後まで聞き取ることができなかったんだ。

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