第4章 お誕生日祝いのつぐない!? 〈ザッハトルテ〉はどんなケーキ?

第21話 秋は短い

 暑い夏が過ぎて、乾いた風が土手のススキを揺らしはじめた。


 秋。


 ──春は花粉、夏暑く、秋は短し冬寒し。


 秋は、短い。


 この心地よい風も、運動会や音楽会の練習をこなすうちに、あっという間に木枯らしに変わってしまうんだ。


 だから、倒れてる暇なんてない。

 のに。


「ん……うう……」


 朝、ベッドから起き上がることが、まずできなかった。


「ああー、38度。アウトだわ」

「えええ……」

「学校と病院、電話してくるから寝てな」


 はぁい、とママに弱く返事をして布団にもぐった。ぼうっとする頭で、ああ、今日は音楽会の曲決めだったのになぁ、とぼんやり思う。冷えた足を擦り合わせてみるけど全然温まらない。ぞくぞくと寒いからぎゅっと小さく丸まった。


 運動会のダンス、新しい振り付けわかんなくならなきゃいいな。遠足の班決めも今日だっけ。仲良しの子と一緒になれるかな……。あと……なんだろ。なにか、忘れてる気がするんだけど……。


 考えるうちに深い眠りに落ちていた。



杏子あんずー? 起きれる? 病院行くよ」


 ママの声で目を覚ました。カーテンから透ける日の光がまぶしい。「う……今、何時?」


「もうすぐ10時」

 聞いてびっくりした。じ、10時!? そんなに遅くまで寝てたことなんてない!


 がばっ、と慌てて起き上がるとズッシーン、と頭が痛くてくらくらした。全身がダルくてすんごく重い。ああ、熱だ、そう実感した。


「大丈夫?」「……んん」


 なんとか立って、着替えて、ママと病院へ行ってきた。検査をしてもらって、すぐに結果が出た。


「解熱後3日経つまでは出席停止ね」


 あうう。こうしてわたしの短い秋はまたたく間に過ぎて……いや、まだだよ。まだ大丈夫だよ。休んだのはたったの一週間なんだから。


 だけどその一週間の間に、過ぎたことがひとつあったみたい。



「おはよう……」


「……おっ、……幽霊かと思った」


 失礼な。ちゃんと生きてるよ。


「治ったんだ」

「治るよそりゃ」

「見舞い行こうかと思ったけどやめた。おれが罹ったら店にも影響するかもしんないから」


 それはまた良いご判断で。こっちとしても「おまえのせい」とか後でチクチク言われるのは勘弁だもんね。


 ため息混じりに席に着くと、ぬっ、と横からなにかを差し出された。「な、なに」


「ノート。いるかなって」

「へ……」


「いらないならいい」

「いるっ! いりますっ! ……ありがとう」


 思わぬ優しさに戸惑いつつもありがたく受け取った。ぺら、とめくってみると、うあ、出た、このキレイな字。


 しかも字がキレイなだけじゃなかった。翔斗くんのノートは黒板に書かれたことを写してあるだけじゃなくて、自分で調べたらしい書き込みがたくさん。そして見やすい。勉強できる人のノートってこんななのか、としみじみ思わされた。


 ちなみに翔斗くんが勉強を頑張っている理由は言わずもがな、成績がよくないと厨房を使わせてもらえなくなるから、だそう。本当にこの人はどこを取ってもケーキ、お菓子、なんだから。


「ありがとう。すんーごく助かりました」


 1時間目開始時刻が迫ってノートを返しに行くと、「ああ」と顔を上げて、そろーっとその目を細めて見てくる。「な、なに」


「ザッハトルテ」


「……へ」

 な、なんの呪文?


「でいいよ。お礼」

「はい?」


 戸惑うわたしを見てにやりと笑うからたじろいだ。


「誕生日だったんだよね、おれ」

「あ……!」


 そう! それだ!

 心の中で叫んだ。この数日、ずっとなにか忘れてる気がしていたの、そのことだ。翔斗くんの誕生日! 前にママと〈シャンティ・ポム〉にケーキを買いに行った時に、翔斗くんのお母さんから偶然聞いて、しめしめ、覚えておいてプレゼントでサプライズしてあげようって思ってたのにっ!


「知っ……てる」

「へえ。……で?」

「え…………と」


 ごめんなさい。ないです、なにも。っていうか熱で寝てたし準備なんてできるわけないじゃん。


「だから。ノートのお礼と誕生日祝いも兼ねて。おれの好きなケーキ作ってよ」


「う……わかった。えと、……なんだっけ」

「ザッハトルテ」

「ザッハ……トルテ」


 未知なるケーキ〈ザッハトルテ〉。まだ駆け出しのわたしに本当に作ることなんてできるのかな?


 この時はまだ、ほんの軽いつぐないの気持ちだけだった。






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