第34話 静寂の都

 王都セレスティア陥落の一週間前──。


「陛下、シャルロット王妃がお戻りになりました」


 セレストリア王国第一王女シャルロット・セレストリア・アルテミス。

 シアという名前で冒険者に扮し、未踏のダンジョン『エン・コン』の調査に向かっていた麗しの姫君。

 その魔力の高さゆえ聖女にも選ばれている彼女は、「聖女の正体についてさぐるべからず」という国の不文律ふぶんりつのおかげで、冒険中に誰からも身元に探りを入れられることはなかった。


 ただ一人。

 あのゴブリンのような見た目の男──ガルムを除いては。


 ガルム。

 剣聖ゴブリン。

 剣聖さん。

 ゴブリンのような粗野な姿をした三色ブチ模様の──人間。


『奴はセレストリア王国に破滅をもたらす悪魔だ』


 それがモグリの鑑定士、ネズミ獣人のリムトが鑑定した結果だった。

 計り知れない魔力。

 そして、その膨大な魔力が流れ込んでも破綻しない不死の肉体。

 これから先、セレストリア王国は彼の機嫌一つでどうとでもなってしまう。

 なんという地獄。

 なんという災厄。

 実質的な地上の支配者セレストリア王家。

 その歴史に、まもなく終止符が打たれようとしているのだ。

 このゴブリンの魔王の器を持ちし者──ガルムによって。


 住み慣れた王城へと戻ってきたシアは、謁見の間の扉の前で考える。


 たしかに今現在の剣聖さんは害がなさそうに見えます。

 ただ、それはあくまで今の話です。

 いつ彼の気が変わるか、わかりません。

 不死だけでなく不老までもが本当の話なのだとするならば……。


 仮に永き時が流れて。

 いや、もし明日にでも。


『彼が地上に飽きてしまったら』


 私たちは。

 私達の子孫は。

 一体どうなってしまうのでしょうか?


 この問いが、ずっと私の頭から離れないのです。


 ケムラタウンで受けた「魔王候補ゴブリン二部隊殲滅」の報。

 そして「ユージが王都軍と共に戦っていた」という話。

 その二つを聞いて、私は王都セレスティアへと帰還することにしました。

 いち早く、自分の口から剣聖さんの脅威を伝えるために。


「やっと帰ったか、馬鹿娘」


 傲慢な王、レオポルド・セレストリア・ヴォルフガングは、シア──実の娘、シャルロット第一王女に会うなり、そう言い放った。


「貴様のせいだぞ、この失態。どう始末をつけるつもりだ」


「お言葉ですが──」


「言葉はいらん! 貴様も国を背負って立つつもりなら態度で示せ。言葉で人は付いて来ぬぞ」


「……っ」


「まったく、勇者ユージはいち早く帰還し報告をしたというのに、お前は一体今までなにをしておった?」


「わ、私は現地に残り魔王の調査を……」


「調査? 貴様の送ってきたこのくだらん手紙のことか?」


 バサッ。


 シアがケムラタウンでしたためた密書──かなりの枚数に及ぶそれが宙に舞う。


「あっ──」


「貴様はこう言うのだろう? 『私の報告のおかげでシャーマンゴブリンとビッグフットゴブリンを討てた』と。だが、そんなものなんの手柄にもならん」


「……なぜです?」


「あんなもんは通過させて反逆者の集いし村ケムラタウンを滅ぼさせればよかったのだ。そうすれば、魔王の器などというものを持った人間なぞ勝手に滅びたであろう」


「ガルムは不死です。彼らが滅ぼすのは不可能かと」


「不死? ハッ、笑わせる。そんな生き物が存在するはずがなかろう。それに、シャーマンゴブリンとビッグフットゴブリンを討ってやったのは、貴様への慈悲だ。貴様に手柄を上げさせてやらんと、逆賊の一味としてひっ捕らえねばならんかったからな。感謝しろよ」


「討ってやった、ですか? ビッグフットゴブリンはガルムが倒したというのに? 彼が現れるまで部隊は壊滅寸前だったと聞いていますが」


「ハッ、それこそガルムのホラだ。ビッグフットゴブリンは勇者ユージが倒し、現れたガルムも追い払ったと聞いているが?」


 ユージが? そっちのほうが嘘でしょう。

 そもそも剣聖さんは嘘をつく──いえ、嘘をつけるような人ではありません。


「では、鎧ゴブリンについてはどうお考えで? 彼らの持つ知識は我がセレストリア王国に大いなる益をもたらすと思いますが。その鎧ゴブリンを二人も取り逃がしてるのですよ? ユージとその部隊たちは」


「鎧ゴブリンだぁ? ゴブリンごときの知識なぞ借りては、二千年間この国を魔物から守ってきた先祖に面目が立たんわ」


「しかし、彼らの知識は──」


「もうよい、下がれ。言いたいことがあれば書面にて提出しろ」


「くっ……はい……わかりました」


 高圧的で威圧的。

 そして、なんという偏狭へんきょう、なんという愚かさ!

 他国が魔王の蹂躙を受けている間、我が国だけがのうのうと発展することができた、その結果がこれです。

 地理に恵まれ、たまたま大した苦労もなく発展してきた国。

 もし、国が今までのような状態でしたら、先程のお父様のような態度で臨むのもいいでしょう。

 しかし、今はもう他国と同じように魔王の危機がすぐそばにあるのです。


 剣聖さんの話では、ケムラタウンから王城まで、空を跳んで一日で来られるとか。

 はぁ……。

 つまり。

 この王都は、剣聖さんの気分次第で明日にでも滅んでいる可能性があるわけです。

 というのに、この動きのにぶさは一体なんなのでしょう。

 すぐにでも私を中心とした対策会議を開かくべきです。

 でないと取り返しのつかない事態になるというのに……。

 お父様は──いや、王はそんなことすら理解していない様子です。


(これでは、ケムラタウンの領主バルモアの方が、よほどさといではないですか)


 領主バルモア。

 彼は三度目の襲撃に備えた設備投資に対する損害を出しました。

 しかし、あれは私が王都に指示を出して魔王候補を討たせたからに過ぎません。

 それ含めて彼の判断は全て的確でした。

 最初に私達が「得体の知れないゴブリンを封印するように」と訴えた時も、彼は迂闊には動きませんでした。

 私が王女であることを知っているにも関わらず、です。

 目先の権威に忖度そんたくせず、己の目で利を確かめてから行動できる人物。

 それがバルモアなのです。

 ……ちょっと女性にだらしないところが玉に瑕ですが。


 はぁ。

 ケムラタウンの皆さんは一体どうしてるでしょうか。

 私が急にいなくなって何か不便は起きてないでしょうか。

 早くもあの街を懐かしく感じている自分に、私は驚きを隠せません。


 次の日。

 剣聖さんに洗脳されてないか。

 それを調べるために私は教会で浄化を受け、それ以外の時間はずっと自室に軟禁されていました。

 一方、父はユージを中心とした剣聖さん討伐のための軍隊を組織し始めたようです。


 ユージ。

 一度教会から帰る時に遠くから見かけましたが、ピリピリとした様子はケムラタウンで最後に見た時よりもずっと深刻になっているようでした。

 ユージがビッグフットゴブリンを倒したというのは十中八九嘘でしょう。

 私達パーティーが力を合わせてもタイタンゴブリンに手足も出なかったのです。

 仮にビッグフットゴブリンというのがタイタンゴブリン同等の強さだとすれば、ユージが敵うはずありません。


 しかし、彼はいち早く王国に戻って父に剣聖さんについて報告し、ビッグフットゴブリンを倒したとも言っているのです。

 もしかしたらタイタンゴブリンすら自分が倒したと言っているかもしれません。

 そして、そんな彼をお父様は「勇者」と認定していました。


 あぁ……。

 もう剣聖さんと出会う前の爽やかで明るかったユージに戻ることはないのでしょうか。

 今の嫉妬に塗れ、嘘を付き、王に取り入ろうとする彼は見るに耐えません。

 しかし、王城に戻った籠の中の鳥の私には、ただ窓の外で軍事演習を行う王都軍たちを見ていることしか出来ませんでした。


 そして、一週間が過ぎました。


 朝、目を覚ましてすぐ、私は異変に気づきました。

 人の気配がないのです。

 朝早くから水を汲み運ぶ召使いの足音も。

 早朝に訓練を行うやる気に満ち溢れた青年兵士の息遣いも。

 部屋の前で私の起床を待っている侍女の気配も。

 なにも感じないのです。


 そっと部屋を扉を開けると、幼い頃から知った顔の侍女たちが床に倒れています。

 私は駆け寄って回復魔法をかけますが、その冷たい体が、すでに事切れていることを物語っています。


「そんな……一体なにが……」


 私はバルコニーに出て王都を見渡します。

 その目に映ったのは。

 物音一つしない、生活音の完全に失われた街でした。


 ぞくり……。


 得体のしれない気配を感じて、背中に悪寒が走ります。

 遠くから漂ってくる──死の気配。


 まさか……これがデスゴブリン……?


 魔王候補のレアゴブリン。

 どうやら、その恐ろしさを低く見積もっていたのは、私も同じようでした。

 魔王でもなく。

 剣聖さんでもなく。

 ただ一匹のゴブリンによって。


 二千年間続いてきたセレストリア王国の繁栄の歴史は、終わりの時を迎えたのです。

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