「私はただごはんをお腹いっぱい食べたかっただけなのに」

 大学生の頃、私はある定食屋に入った。


 その日私は電車に乗って、ある駅で降り、駅周辺をぶらぶらしていた。特にあてもなく目的もなく、駅周辺を徘徊していたのだ。


 大学生の頃の私はいつも徘徊しており、徘徊をするため大学に進学したと言っても過言ではない。大学で学んだことなんてもう全て忘れてしまったので、今の中に私に残っているのは徘徊した思い出だけだ。こんな思い出を得るためだけに、今の私は少ない給料の中から苦労して毎月奨学金を返済している。今考えるとあの時の自分を殺してやりたくなる。もっと学べ、資格を取れ、人とコミュニケーションを取れ、時間をドブに捨てるな。




 それはそれとして、私はとにかく徘徊をしていた。その内夜になったので電車に乗って帰ろうと思ったがお腹も空いている。どこかで食べて帰ろうかと思って周りを見渡すと、一軒の定食屋を発見した。チェーン店のようだが、変わった珍しい店名だった。


 後で調べてみると、その地域一帯で展開している定食チェーンだった。田舎から出てきた私には変わっているように感じた店名も、たぶんその辺りの人にしてみれば別に変でもないお馴染みの店名なのだと思う。


 私はその店に入ることに決めた。その理由は店名が変わっているから、ではなく入り口に書いていた「ごはんおかわり無料」の文字に心を奪われたからである。「ごはんおかわり無料」の一言で、私は入店する前から、もうこの店を好きになり始めていた。


 店内に入った私は、券売機で券を購入し席に着く。私が頼んだのは「カツ玉子とじ定食」という、ようはカツ丼のアタマがおかずの定食で、他にみそ汁とサラダもついている。


 カツの玉子とじは味が濃くてご飯が進む。私は結局ごはんを3回おかわりした。


 ついでにハイボールも飲んで良い気分になった。普段の私だったらわざわざハイボールなんて外で飲まず、今考えてもなんで頼んだのかわからないが、その時の私は本当に機嫌がよかったのだと思う。


「いい店だった。また来よう」


 食って飲んで思い残すことはなくなった私は、電車の中で揺られてそんなことを考えながらその夜は気分良く帰宅した。


 その日の出来事が、後起こる悲劇の序曲(プレリュード)であったことも知らずに。






 しばらく経ってからのある日、私は自転車で出かけていた。その日は徘徊ではなく、ブックオフで本を買うという目的があって出かけていた。私が目的を持って自発的に外出するのは珍しいことだが、その日は自宅からちょっと遠くにあるブックオフが半額セールをしていたので張り切って出かけることにしたのだ。


 家を出て20分後。道中でとある駅の前を通った時、私は運命的な再会をした。例の定食屋はこの「とある駅」にもあったのだ。さしずめ「例の定食屋 とある駅前店」と言ったところか。


 丁度お昼前で、その日は朝食を食べてなかったこともありそこで食事を摂ることに決定。駐輪場に自転車を止め、例の定食屋へ向かう。



 先日、大変楽しい時間過ごしたので、例の定食屋に入るのは楽しみだ。しかし、その日は一つの懸念があった。


(金を使い過ぎないようにしないと)


 その日の1番の目的はブックオフの半額セールに行くことだ。古本との出会いは一期一会。せっかく御目当ての本を見つけたのに金が足りなかったら泣くに泣けない。軍資金は少しでも多い方がいい。


 そんなことを考え、なるべく安いものを頼もうと店の前にあるメニューが書いてある看板を眺めていると、良いメニューを見つけた。


「ハムカツ定食500円!? これだぁ!」


 ハムカツ定食はハムカツが2枚とサラダ、味噌汁がついた定食。もちろんこれもごはんはおかわり無料である。


 方針が定まってきた。まず、ハムカツ定食を注文する。そしてテーブルにあるソースをハムカツに大量にかけて、それをおかずにごはんを食べまくる。いや、むしろソースを直接ごはんにかけて食べてもいいくらいだ。よし、こんな感じでいこう。


 脳内作戦会議を終えた私は例の定食屋に入店、入り口のすぐ近くにある券売機で迷うことなくハムカツ定食の券を購入した。





 そして早速席に着こうとしたのだけど、お昼時だからか、席がいっぱいだった。大部分をジャージとエナメルバックを装備した学生が埋め尽くしている。午前中の部活を終えた高校生だと思うが、既に食事を終えているのにだらだらと喋って居座っているようだ。




 私はそのまま券売機の前に立ち尽くし、席が空くのを待った。そのうち店員が案内しに来る、と思ったけどなかなか来ない。なのでただただボーッと突っ立っているしかなかった。そんな時、後ろから声がした。




「おい! そんなとこに突っ立ていたら邪魔やろが!」





 振り返るとヤクザがいた。人を見た目だけで判断してはいけないとはいうけど、色付きレンズで金縁の眼鏡のかけ、和服に身を包んで杖をついている白髪で角刈りの老人がドスの効いた声で怒鳴ってきたのだ。誰がどう見てもヤクザそのものだ。しかも大親分、いや後進に組長の座を譲った御隠居と言ったところだろうか。


「券売機の前に立っていたら、他の買う人の邪魔になるやろ!」


 しかし、このヤクザ、言っていることは至ってまともなのだ。確かに券売機の前で突っ立ってたのは邪魔だった。私は素直に御隠居に謝ってその場を離れた。


 しかしその場を離れたといっても、あまり遠くへは行けない。結局席が空くまで、店の出口付近で待つしかないのだ。全く帰る気配のない満員の客たちを眺めながら突っ立っていると、後ろからまた怒鳴り声が聞こえた。


「おい! 何さっきから突っ立ってんのや! さっさと中入らんかい!」


 振り返るとまた御隠居ヤクザだ。その時私は流石に頭にきた。そりゃ自分もさっさと席に着きたい。でもそれができないから困っているのだし、それは私のせいではない。私は大声で返事をした。


「別に突っ立てるんじゃないです! ほら見てください! 席が全然空いてないんですよ! だから座れないんです! さっきから待っているんですけど店員さんも来ないんです!」


 私の大声に、御隠居は一瞬驚いたようだったけど、流石のヤクザ、すぐに大声で怒鳴り返してきた。


「何やって!? それじゃあアンタは何も悪くないやないかい!!」


 そうだ、私は何も悪くない。全然悪くないのだ。そしてさらに大きな声で続けて御隠居が叫ぶ。


「ごめんね!!」


 そう、御隠居は私に謝ってきた。そうだ謝ればいいのだ。誰だって間違えることはある。私は御隠居を許すことにした。







 しかし、御隠居の怒りは私では無く店に向き始めた。


「おい! 店員誰か来んかい!」


 そう店の奥に向かって怒鳴ると、1人の店員が私たちのところにやってきた。私がいくら待っても来なかったのに。私も怒鳴ればよかったのだろうか。


「どうかされましたか?」


 どうかしたから怒鳴っていることは明白なのに、店員はそんな呑気なこと言ってる。


「どうしたもこうしたもないわ! ほらそこ見てみい! 飯を食い終わってるのにだらだらと席を占拠してる奴がいっぱいおるやろ! そういうのはマナー違反なんやから店側が注意せんといかんのじゃないのか!? 待っている客もいるというのに!」


 全くもってこの御隠居の言う通り、なのだがもうちょっと穏便にやって欲しい。この御隠居の言葉で居心地が悪くなったのか、何グループかの学生たちが店を出て行った。御隠居はさらに続ける。


「この貼り紙見てみい! 『食事を終えてからの長時間の滞在はご遠慮ください』って書いてあるやないか! なら注意せんといかんやろ!」


 本当だ。確かに出入り口付近の貼り紙にそう書いてある。全然気がつかなかった。


 御隠居は怒鳴り続け、店員は言い返せずペコペコしている中、他の店員に私は席に案内された。さっき学生グループが出ていったお陰で、私が座る席が空いたのだ。


 私は席に座って、ハムカツ定食を待った。ただ待っている間もずっと御隠居の怒鳴り声が聞こえ、店員さんはひたすら謝っている。


 やがて、ハムカツ定食が来た。


「お、きたきた。よーし食べるぞーいただきます!」


 私はとりあえずハムカツにかぶりついた。相変わらず御隠居は怒鳴り続けている。


 次にハムカツにソースをかけてみる、まだ御隠居は怒鳴り続けている。


 そしてこのソースがごはんにも合うのだ。ソースをつけたハムカツと一緒に白いごはんもかきこむ。まだ、怒鳴り声が聞こえる。


 そして……私は箸を止めた。


 さっきから全然味がしない。あんなにお腹が空いていたはずなのに、あの怒鳴り声を聞いていると急激に胃が収縮していくようだ。


 店の出入り口付近を見ると、まだ御隠居は怒鳴っていて、怒りが収まる様子はない。




 近くで人が怒られている様子を見聞きながら食う飯ほど不味いものはない。その時本当にそう思った。


 そもそも誰かが怒られている様子を見ること自体私は大嫌いだ。私はどちらかと言うと、いや大体の場合怒られる側の人間だ。学校でも、部活でも、バイト先でも私は怒られてばっかりだ。だからこそ人が怒られていると自分が怒られているような気になって、気分が落ち込む。


 私は席を立った。ハムカツは一枚の半分しか食べてないし、ごはんは茶碗一杯分も完食できなかった。サラダとみそ汁は一口も手をつけていない。もったいないとは思ったけど、それ以上食べる気にはならなかった。


 出口に向かうと、まだ御隠居は店員と言い争っていた。


「大変申し訳ございませんでした。これ使ってください」


「そんなもんが欲しくて言ってるわけやないわい!!」


 最後は店員はお詫びの品としてその店の食事券を渡そうとしていたが、逆に火に油を注ぐ結果となったようだ。もう、どうやったら御隠居を止められることができるのか、誰にもわからない。私はそのまま店を後にした。




 私は咽び泣きながら自転車にまたがり、ブックオフへと向かった。


(なんで、どうしてこんな思いしなくちゃならないんだろう)


 涙が止まらない。涙で視界が遮られて危ないけど、どうしても止まらない。


 楽しみにしていたハムカツ定食は、半分も食べられなかった。たかが500円とはいえこれでは500円をドブに捨てたのと同じことだ。500円あればブックオフで100円の古本が5冊買えた。しかも今日は半額セールだから倍の10冊買えた。馬鹿野郎が。


 私は例の定食屋が嫌いになった。例の定食屋のとある駅前店だけで無く、例の定食屋全部が嫌いになった。ハイボールを飲んで楽しく過ごしたあの時の思い出も、今は辛い過去になってしまった。今回のことでケチがついてしまったからだ。もう二度と例の定食屋には行かないとその時思ったし、事実私が例の定食屋に行くことは二度となかった。


 私は何も悪いことはしていない。少しノロマだけどただの善良な人間だ。なんでこんな目に合わなくてはならないのか。


 




「私はただごはんをお腹いっぱい食べたかっただけなのに」



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