第4話


 エルメとユノンは身を乗り出し、改めて選手らを見回した。知った顔が多いような気がしていたが、数えてみるとそうでもない。気軽に参加できる大会とはいえ、本戦まで進むとなると話は別だ。今回は五百人ほどが参加したようだが、予選を勝ち抜いたのは四十人ほどである。

「ここからソンテ法師が入って、武王は他にラジェリーニエとアユロナタン。理天うちからはメルとロッカだな。それと……」

「今年は藤京学院とうけいがくいんのフィオロン先生も勝ち進んだねぇ。あの人は寺院派だったかな」

紫錦黒海学院しきんこっかいがくいんのユッセ先生も残ってる。とりあえずここまで進めば、学院派も満足じゃないのか」

「逆だよ、エルメ。ロッカとユッセは筋が良いってバレちゃったからね。これからしばらくは武王になるまでやらされると思うよ」


 極めて珍しいが、玄武体術大会では学院派と寺院派の派閥争いが起きる。より大会を楽しむために誰かが言い始めたのだろう。

 学院で育ったか寺院で育ったか。家にも土地にも縛られない東世の民を二分し、対立させる数少ない要素である。


「学院に通いながら寺院でお稽古やお仕事をするような子は、大きくなってから寺院派に転向しやすいんだ。子どもを産まなければ、学院とは関わりがなくなっちゃうからね。だから数は寺院派の方が少し多いの。ただし、大学に進学した人は強制的に学院派。変な決まりだけど、昔からそうなんだ。つまり、ぼくやユッセは、生粋の学院派ってことだねぇ」


 近年は武王として名を馳せるジュゼ、ソンテ両名がどちらも寺院派であることから、熱心な学院派のあいだでは、新たな学院派の武王誕生が熱望されていた。そんな事情があるので、体力のある大学生や学院派の若い教師は、半ば強制的に大会へ出場させられるものらしい。

 ロッカとユッセはまさにその一例である。特にユッセは、四年通って途中退学した玄武大学のみならず、地元の青龍大学からもわざわざ出場を催促する手紙が届き、春先から頭を抱えていた。



 エルメがユノンに出会ったのは、彼がまだ十九の頃である。にも関わらず、翌年も翌々年も、ユノンが玄武体術大会に出場したことは一度もない。聞けば、白の国の住人として、青の国の大会に出場したくないという理由で長年通しているそうだ。正確に言えば、青武王を目指すようなことはしたくない、ということらしい。

 果たしてユノンにそのような義理堅さがあるのか。エルメには適当なことを言っているようにしか聞こえないが、東世の人々のあいだではその言い分がまかり通るようだった。

 古くからあることわざによると、肉体の家はいくつも持てるが、魂の家は数多く持てないそうである。魂を何よりも大切にする東世の人間の感覚を、エルメは未だに推し量りきれない。



 大量の水を消費する玄武体術の対戦は、細かい砂利の上でおこなう。審判の数が充分な場合は土を使うこともあるが、泥を使った反則の見極めが難しいため、大規模な大会では砂利を用いることが多い。また、革などで作った簡素な靴を履くことが義務付けられるため、滑りやすい平らな床も避ける傾向がある。


 衣服には、靴ほど細かい規定はない。ただ、知狎ちこう(※東世の神々。半身が鹿の姿で、四つ国に一つずつある知狎苑ちこうえんに棲む)の加護を願い、祭事で神僧が纏う衣装に似た服が人気だ。玄武体術発祥の地である黒の国にちなんだ意匠も好まれやすい。

 正真正銘のであるソンテはというと、それよりさらに簡素な服を好む。彼曰く、本物の神僧衣は装飾が多く、重いのだそうだ。

 

 玄武体術大会は東世の人々にとって祭事に近い。特に八月に開催される大会は大抵、夏の大祭の数日前に開かれる。それも手伝って、多くの人々が浮足立った状態だ。


 東世の慣わしに、特別な日やめでたい日に派手な化粧を施すというものがある。魂を高揚させ、神の目を惹くための化粧だ。青の国の理天区では、この伝統が特に根強い。


「こうして遠くから見ると、アサンの化粧ってやっぱり綺麗だな。他の人と比べて迫力が違う」

「うん。うちの子たちが一番格好良いね」

 勝利を願う化粧は顔を白く塗り、赤と青の二色を軸に曲線のような模様を描く。エルメにはそれが、天に向かって燃え盛る二色の炎のように見えた。

 アサンは今大会に出場していない。要領が良いので傍目にはわかりにくいが、彼は生まれ持った魔力が弱く、玄武体術は不得手なのだ。

 そういう建前なのではないか、とエルメやメルは疑っているのだが、ともかく大会に出場したことは一度もないらしい。

 その代わりに、と、アサンは毎年希望する者に、勝利祈願の化粧を施してくれる。

 彼の本業はあくまで農師、あるいは教師だが、思えば彼は幼い頃から手先が器用だった。エルメやメルもしょっちゅう化粧の練習台として使われていたが、いまやお遊びの域はとっくに抜けて、化粧師顔負けの腕前だ。


 エルメは今回、アサンに化粧を頼まなかった。顔に絵具のようなものを塗られるのは苦手だ。ついでに言えば、そのために早起きもしたくない。

 そんな理由はもちろん口に出さないが、今年はアサンが化粧を施す人数が多く、エルメは彼らに譲る形で化粧を断ってしまった。一番早起きをして最初に化粧をしてもらったのは、もちろん初出場のメルである。


 そうか、あの化粧か、とエルメは口の中で呟いた。なんだか考えれば考えるほど敗因が出てくる。今年は負けるべくして負けたのかもしれない。

 ――もしも、くじ運の上がる化粧というものがあったら、次はそれを頼もう。

 エルメは胸の中でそう決めた。ゆっくりと、胸の中に重たく詰まっていた息を吐き出す。そうしてから、改めて顔に炎を宿した兄貴分や弟を、じっと見つめたのだった。


「あの僧尽が進行役かな。いよいよ対戦相手が出るみたいだね」

ユノンののんびりした声に、エルメはうん、と頷く。

「今日のお兄たちはとびきり格好良いからな。誰と当たっても、勝っても負けても、武王くらい格好良く戦うよ。絶対に」



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