第7話 決別

 マルキーズは、さらに続けて言う。


「マハトよ。よく覚えておくといい。この町で起こっていることは、世界の縮図なのだ」

「縮図……?」

「そうだ。あの無気力な人々の顔を思い出せ。この先、何も手を講じなければ、魔族に魂を明け渡し、飼いならされることになんの痛痒つうようも覚えない人々はますます増えるだろう。だから、そのような者たちは厳しく罰せねばならない」

「……だから、殺すというのか?」

「そうだ。これは彼ら自身が積み上げた罪科なのだ。我々はこの町に火を放ち、一人残らず住民たちに罰を与える」

「そんなこと――」

「そして、喧伝けんでんするのだ。すべては魔王軍の仕業しわざである、と」


 寒気がした。

 まるで高熱におかされたように、頭がぐらつく。


「魔族にとって人間の命を奪うことなど、虫を殺すに等しい。目的のために手段はえらばない。奴らは、忌むべき、憎むべき存在なのだ。同盟など、決して信じられず、降伏しようとも、命が助かる保証などない。どちらかが滅び去るまで、戦いは終わらない。いまこそ、すべての人間が、それを思い出すべきなのだ」

「…………」


 マルキーズは気づいているのだろうか。

 魔族に対して述べているはずのその言葉が、そっくり自分自身の行動を指すものであることに。

 こらえがたい嫌悪感が湧きおこり、俺は首を振った。


 やっと、この男が何をするつもりなのか、理解できた。

 だが、到底受け入れられる話ではなかった。


 殺す?

 町の人々を。俺たちが、救うべき、守るべき人たちを。

 そのために、ずっと戦い続けてきたというのに。


 彼ら自身が罪を犯し、裁きを与えるのだという。

 だが、そんなものは詭弁きべんだ。

 ただ人々の命を、魔族への憎悪をかきたてるために利用しているだけだ。


 仮に人道的な視点を除いたとしても、良策とは思えない。

 一人でも町の人間が生き残り、真実を証言したなら……。

 人々の反応は、マルキーズが期待するのと真逆のものとなるだろう。


 冷静で計算高いこの男が、こんな危険な賭けに打って出なければならないほど、今の状況は絶望的なのだろうか……。


「すべては魔族を滅ぼすため。やれるな、マハト?」


 拒否権はない、とばかりの声音でマルキーズは言い、俺の肩に手を置いた。

 ゆっくりと考えるような暇はない。

 ……それに、たとえどれだけ時間をかけようと、答えが変わるとも思わなかった。


「断る」


 はっきりと、そう告げる。


「守るべき者たちを犠牲にしてまで得られる勝利になんの意味がある。そんな真似をしても、いつかむくいはやってくる。自らの破滅を早めるだけだ」


 マルキーズの手を振り払い、今度こそ俺は腰の鞘に手をかけた。


「……そうか、残念だ」


 マルキーズは数歩後ろに下がり、ため息をつく。

 俺は油断なく、その一挙手一投足を注視していた。


「お前も住民たちと同じ。――自ら死の道を選ぶか!」


 言葉と同時、片手を振り上げた。

 俺はマルキーズからの攻撃に備え、身構える。


 だが――、

 衝撃は後方からやってきた。


 肩に激痛が走る。

 目をやると、矢が突き刺さっていた。

 本能的に身体が動き、とっさに身をよじったため肩ですんだが、明らかに急所を狙っていた。


 振り向くと、弓使いのイリスが弓を構えているのが見えた。

 彼女が、俺を撃った……のか?

 そして、立ち並ぶのは勇者隊のみなだった。

 その先頭に立っているのは、副隊長のヴェルクだ。


「がっかりだぜ。あんまりに予想通り過ぎてな」


 ヴェルクが吐き捨てるように言う。

 その表情を見て、俺はすべてを悟った。


「知ってたんだな。……ローレル公爵の企みを」


 俺の問いかけに、ヴェルクは歪んだ笑みを浮かべた。

 それが答えだった。

 だから、か。

 この時のために力を温存し、俺を消耗させるために、ひどく消極的な戦い方をしていたのか。


「正気なのか! 俺たちが戦ってるのは、人々を守るため、救うためだろう!?」

「カン違いしてんじゃねえよ」


 歪んだ笑みを貼りつかせたまま、ヴェルクは言う。


「俺はなぁ、あんたみてえなご立派な正義の心なんて持っちゃいないんだよ。――ただ魔族の奴らをぶっ殺せればそれでいい」


 唇は歪めたまま。その瞳は憎悪の念に燃えていた。

 ヴェルクは唯一の肉親である妹を、魔族の侵略で亡くしている。そのことは俺も知っていた。

 こいつが、復讐の念をかてに戦っていたことも。


 時には作戦を無視してでも、一人でも多くの魔族を殺そうとする男だった。

 それを俺は、見て見ぬフリをしていた。

 そのツケがいま巡ってきたということなのか?


「こいつらだってそうさ!」


 あごをしゃくり、居並ぶ勇者隊のみなを指す。

 どの顔も一様に、ヴェルクと同じ憎しみを宿していた。

 常に死の危険と隣り合わせである勇者隊に志願する者は、魔族との戦いで親や兄弟を、あるいは故郷を――大切なものを失っている人間ばかりだ。

 俺だって、故郷を魔族に焼かれたのが、戦いに身を投じるきっかけだった。


 だから、彼らの心情は分かっている。

 そう思い込んでいた……。

 だが、俺を睨む憎しみのまなざしを見ると、それが甘い幻想であったのだ、と思い知らされる。


「それになぁ、人々、人々って言うが、家畜は人間には含まれねえだろ」

「家畜、だと?」

「そうだろうが! 魔族どもに飼いならされて、えさをもらうためだけに生きてる。そんなヤツらが家畜じゃなくってなんだって言うんだ!?」

「違う! 彼らは戦乱に疲れすぎただけだ! まだ、勇気と誇りを取り戻す機会はあるはずだ」

「はっ、あいかわらずだな、勇者様はよ。反吐へどが出る」


 俺は激痛に耐えながら、仲間たちの方に目をやった。


「みんなも同じなのか。ヴェルクが正しいと思うのか!?」


 答えはすぐに返ってこなかった。

 重い口を最初に開いたのは、弓使いのイリスだった。


「……理想だけでは魔族に勝てない。自分の手を汚さずに勝利だけ得ようとするのは、卑怯だわ」


 次いで、魔術師レンマツィオも言う。


「勇者殿は、ご自身の楽観的な考えの陰に、どれほどのしかばねが横たわっているか、ご存じありますまい」


 押し殺した声で、影のジジンも同調した。


「私もヴェルク殿と同じ。魔族への復讐心のみが我が闘争の薪炭しんたんなれば……」


 そのためにはいかなる犠牲も受けとめる。

 彼らの目はそう訴えていた。


「……クラシア。お前もなのか?」


 俺は勇者隊の中でも、もっとも慈愛の精神を強く持つ、神聖術師の使い手に目をやった。

 彼女はまつげを伏せたまま、小さな声で答える。


「わたしは……最後まで迷っていた。けど、この戦いで決心が着いたわ。忌むべき魔族の誘いを受け、正々堂々の一騎打ちにこだわるなんて。あなたは危険だわ。マハト」

「そうか……」


 それ以上、俺は何も言えなかった。

 ただ、呆然とするばかりだった。


「後は任せたぞ、ヴェルク。私は住民たちの始末に向かう」


 マルキーズが歩き出した。


「待て、マルキーズ!」


 俺はその背を追おうとするが……。


「おっと。てめえの相手は俺たちだ、マハト!」


 かつての仲間たちが立ちはだかった。


「勇者マハト。君の死は無駄にならない。住民の虐殺に加え、英雄マハトも魔族に殺されたとなれば、必ず人々は怒り、嘆き、奴らとの戦いに心を一つとするだろう」


 そう言い捨て、マルキーズはヴェルクたちの後方へと消えていった。

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