第8話 逃走

 俺は悪夢を見ているのだろうか。

 朦朧もうろうとする意識の中で、ぼんやりと思った。

 息が乱れ、全身の痛みが思考力を奪う。


「ちっ、腐っても勇者様か」

「レンマツィオ、援護を!」


 聞きなれているはずの声が、異物のように耳に響く。

 思考は停止したまま、しかし身体は戦いの経験から勝手に動く。

 取り囲まれないよう壁を背にし、飛び道具で狙い撃ちされないよう絶えず移動を続け、近づく者を迎えうつ。

 攪乱かくらんのため魔術を用い、目の前の相手は剣で斬り伏せる。


「がはっ、た、隊長……」


 目の前の誰かが、断末魔の声を上げ、倒れ伏す。

 勇者隊全員の顔と名前を、忘れるわけがなかった。

 自身の命よりも大切にしてきたはずだった……。


 だが、俺の頭は、誰を斬ったのか認識しようとしなかった。

 俺が生きながらえるほど、仲間たちの命が消えていく。


 ――もう何人斬ったか、覚えてなかった。


 戦い方を覚えてから、いままで魔王軍だけを相手にしてきた。

 この手にかけたのは、妖魔や魔族ばかりだ。

 初めて斬る人間が仲間たちだという事実が、鋭い杭のように胸を打ち、ひび割れさせる。

 もう……何も考えたくなかった。


 俺の身体は、ただ戦いを続けるだけの機械と化していた。

 だが、さすがに限界が訪れはじめる。

 いままでの戦いの疲労も大きく、肩に受けた傷も小さくはない。

 何より……心が限界を迎えようとしていた。


「そろそろしまいにしようぜ、マハト!」


 ヴェルクが真っ向から挑んでくる。

 上段から振り下ろされる大剣を、自身の長剣で受けとめる。

 金属がこすれる、耳をつんざくような音が響いた。


 ……これはいつもの修練なんじゃないか。

 かすみのかかった頭に、そんな妄念が湧く。


 ヴェルクとはこうして、互いの剣の腕を磨き合っていた。

 魔術の才能こそないものの、復讐のために研ぎ澄ましたヴェルクの剣技は鋭かった。

 こいつに負けないよう、密かに特訓していた時期もあった。

 俺にとって、ライバルであり仲間でもある、唯一無二の存在。

 そんな風に思っていた。

 だが、それは俺の方だけだったのか……。


「ぐっ……」


 浅くではあるが、ヴェルクの剣が俺の腹を裂く。

 その瞬間を逃さず、イリスの放った矢がももに突き刺さる。

 多勢に無勢。もうこらえきるのも限界だった。


「くそっ……」


 膝をつきそうになるのを、かろうじて避けた。

 そんな俺の心の内から、ささやく声が聞こえてくる。


 ――もういいんじゃないか、と。


 すべては俺の甘さが招いた事態だ。

 いたずらに俺たちが殺し合っても、少数で魔族に対抗できる、貴重な勇者隊の戦力を削るだけだ。


 マルキーズに逆らった以上、もう俺には、勇者として戦うことは許されない。

 この先、魔王軍との戦いに、俺は参戦できない。


 生きながらえたところでなんになる?

 これ以上無益な戦いは止めて、おとなしく首を差し出すことが、勇者としてできる俺の最後の務めなんじゃないか?

 そんな思いに心が支配されかけた。


 ――だが。


 死を受け入れ始めた俺の耳に、届く声があった。

 風に乗って聞こえたその声は……。


「あああぁぁぁ」


 街の住民の、悲鳴だった。

 そして、視界の端に、燃えあがる教会が映る。


 その声が――、

 光景が――、

 萎えかけていた俺の手足を鞭打った。


「貴様らあっ!」


 獣のように、俺は吠えた。

 魔族への恐怖と憎悪を各国に思い起こさせる。

 そんなことのために、人々の命を奪う。

 ゆるさていいはずがなかった。


 ……生きなければ。

 生きて、この光景を目に焼きつけ、二度とこんな真似をさせないように、戦わなければ!

 何と戦うのか?

 そんなことは、生き延びてから考えればいい。


「おおおおおっ」


 俺は残された気力を全て振り絞り、己の内に魔力を集中させる。


「まさか、自爆魔法か!?」


 とどめを刺そうとしていたヴェルクたちが、おののくように距離を取った。

 けど、違う。俺に自爆魔法は使えない。


 これは、俺が持つ、たった一度きりの奥の手だった。

 全魔力と精神力を引き換えに使用できる魔法具マジック・アイテム――炎獄のアミュレット。


 胸中に隠していたそれを手に取った。

 見た目は、あまり目立たない小さなネックレスだ。

 竜の牙のような白亜の台座に、紅い宝玉がはめこまれている。

 どこか女性的な繊細さを思わせる、華奢とすら言える造りだった。


 俺はそれを掌中に握り、ありったけの魔力を込める。

 そして、握りつぶした。

 破片がてのひらに突き刺さり、血を流す。

 それが盟約めいやくの証であるかの如く。


 無論、俺にとってもこれを使うのは初めてのことだ。

 それは、魔王軍に焼かれた俺の故郷に伝わる秘宝だった。

 すべてを奪われた俺に残された、唯一の形見の品ともいえた。


「な、なんだ、これは!?」


 ヴェルクが驚愕する声が聞こえてくる。

 だが、それもすぐに耳元でうなる業火にかき消された。


 視界がぐんぐんと高くなり、俺はヴェルクたちを見下ろしていた。

 下を向き、手足を確認する。

 元の俺の姿とは似ても似つかない、節くれだった悪魔のような四肢。

 全身が赤銅色しゃくどういろに輝いている。

 顔は自分では見えないが、文献が正しければ、俺の姿はいま……。


 ――炎の魔人と化しているはずだ。


 頭が熱い。絶え間なく業火に焼かれているようだった。

 無差別的な破壊衝動が己の内から湧きおこる。

 てのひらから日輪のように輝く炎が生まれ、気づくとそれをヴェルクたちに向けて放っていた。

 道をえぐり、すさまじい音を立てて、それは爆発四散した。


 だが、理性のすべてが飛んでしまったわけではない。

 衝動のままに動き、破壊と殺戮をもたらそうとする身体を、必死で抑え込んだ。

 俺の動きが硬直したのを見て取って、イリスが顔を狙って矢を放ってきた。

 だが、それも身体を刺し貫くことなく、炎に焼かれて消し炭と化す。


「こんな力を隠し持っていたなんて……卑怯な!」


 イリスの声が耳に届く。


 ――卑怯? 卑怯だって?


 半ば魔人と化した俺の意識に、怒りが湧きおこる。

 ……この力は、魔王軍との戦いのため――可能であれば魔王相手にこそ使いたいと願っていた。

 それが、同じ人間……それも死地を共にくぐり抜けてきた仲間相手についえてしまった。

 遥か上位の魔族相手でも通用しただろう、たった一度の切り札――それを魔族にぶつける機会は、永遠に失われてしまった。


 その悲しみが、お前たちには分からないのか?


「ぐおおおおおぉぉ!」


 魔人と化した俺の口から、天に向かいこの世のものとも思えない吠え声がほとばしる。

 あるいはそれは、慟哭どうこくだったのかもしれない。


 これ以上、誰も殺したくはない。

 だが、自分が死ぬ気もなかった。


 俺は、宙をえぐるように右腕を薙いだ。

 俺とヴェルクたちの間の地面に、城壁ほども高さのある炎が出現する。


 ――炎の壁。


 魔人と化した俺の頭は、なぜかこれが生み出せることを当然のように知っていた。


「来るな!」


 俺はヴェルクたちに警告を残し、きびすを返した。

 自分の声とは到底思えない、まさしく地獄の魔人が上げたかのような声音だった。

 人間の身ではありえない身体能力で地を駆け、屋根を飛び越え、さらに跳躍する。


「くそっ、逃がすな。追え!」


 ヴェルクの声も、もはや遥か後方に聞こえる。

 あいつらでも、あの炎の壁は越えられないだろう。

 大きく迂回するしかない。


 俺は街を出て、木立の中へと紛れこむ。

 だが、そこまでが限界だった。


 高揚感が薄れ、身体から熱が抜けていくのを感じる。

 思った以上に、変身していられる時間が短い……!


 何の前触れもなく、俺は元の姿に戻っていた。


「はあはあはあ……」


 大きくあえぐ。呼吸が整わない。

 体力の限界の、さらにその先まで気力を奪われたような感覚だった。


 全身に傷を負い、魔人と化した俺は、すべての力を使い果たしていた。

 一度でも膝をつけば、もう起き上がることはかなわないだろう。


 だが、影のジジンの追跡を撒こうと思えば、ここは街から近すぎる。

 もっと、距離を稼がなければ……。

 俺はほとんど這うようにして、林の中を進む。


 振り返ると遠目に――、


 火の手が上がる街の姿が目に映った。

 この世の地獄とも思える光景だった。


 この距離で聞こえるはずもない、住民たちの上げる怨嗟えんさの声が……。

 風を渡り、俺の耳を打った気がした。

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