第3話

「そんなことさせない」


 お姉様は必死だった。

 真夜中、月明りの中、妹の銀髪を撫で慈しむ。

 きっとお姉様は、覚悟をもって臨んだことだ。

 私を守るためなら、私から嫌われようとかまわなかったのだろう。


「ごめんなさい。ごめんなさい。こうすることしかできないの」


 お姉様の指が、銀の髪をなぞる。お姉様の指が、妹の瞼に触れる。

 月のような銀髪は、泥のような醜い色に。

 夜空のような濃紺の瞳は、汚水のような汚い色に。

 銀髪の少女は、今の私とよく似た姿に塗り変えられていく。


「龍神様の花嫁は私、ソレイユが引き受けるわ。あなたは何も心配しなくていい。

 いっそ私を憎んでしまいなさい。そうすれば、何も怖がらなくて済むから」


 お姉様が私の額を撫でる。指先に光が灯り、額から銀の煙が抜かれていく。


「忘れてしまいなさい。怖いことは全て……」


 嗚呼、なんてこと。私は、お姉様の気持ちをちっとも知らなかった。

 私は両手で顔を覆い、嗚咽をもらした。涙があふれて仕方ない。

 私、お姉様に愛されていたんだわ。


 思い返せば、お姉様は私から距離を置いていただけだった。

 私の醜い髪を隠すため、頭巾をくれた。

 私を追い出すことはせず、お姉様自ら離れに向かった。

 私を避けることはあっても、悪口を言われることは一切なかった。

 全て、全て、私のためを思っての行動だったのだと、今更ながらに気づいた。


「お姉さんを助けたいかい?」


 声が聞こえた。私は顔を上げる。

 目の前には、星降堂の女店主、魔女がいた。

 何故、どうやって、ここに来たのか。疑問に思いはしたけど、それを口に出すことはしなかった。しゃくりあげることしかできない私は、魔女の言葉に何度も頷く。

 魔女もまた、うんうんと何度も頷いた。


「じゃあ、これをあげよう。一度だけ、君の願いを叶えてくれるよ」


 魔女は、私の手を取り何かを握らせてきた。手を開こうとするけど、魔女は私の手を強く握り首を振る。


「その時になるまで開けてはいけない。星の魔法を詰めたお守りだから、すぐに煌めきが消えてしまう」


 私はお守りを強く握る。


「そうだね。泥髪のお姫様なんて様にならないから。これはおまけだよ」


 魔女は指を振る。

 その指先から光が溢れる。その光は私の髪に触れるなり、泥の色を持ち去り消えてしまった。

 長い髪は、月のような銀色に塗り替えられる。きっと瞳も、汚水の色から濃紺に戻っているのだろう。

 私は、私自身の姿を取り戻した。


「さあ、行っておいで」


 魔女は霧が晴れるかのように消えていく。懐旧時計かいきゅうどけいが見せた過去も、かき消されていく。


 私はいつの間にか、泉の前に立っていた。


 目の前にはお姉様の姿。純白の衣装に身を包んだお姉様は、見とれるほどに美しい。

 お姉様を見下ろすのは、神と崇めていたはずの人喰い龍。


 私の背後には、村人達が集まっていた。


 龍との婚姻を邪魔した私を、村人たちは罵る。だけど、私の銀髪を見た者から、口を閉ざし沈黙していった。

 お姉様は私を見るなり、あんぐりと口を開ける。


「あなた……ルナ、なの……?」


 私は頷く。


「そうよ、お姉様。あなたの妹、ルナよ」


 お姉様は涙を浮かべた。

 お姉様は、私を守るために、私を醜く変えていた。その魔法が解け、龍の目の前に現れたという、この状況。お姉様は絶望を感じているのかもしれない。

 だけど、私は龍に喰われに来たわけじゃない。


「おお、姿をくらましたと思うたが、ようやっと来てくれたか。真の花嫁よ」


 龍は猫なで声で語る。

 その声は、人喰いの口から発せられたもの。不快だ。

 私は村人達を振り返る。


「この龍は、泉の神でも何でもない! 村の娘を食らい、皮を着る化け物よ!」


 私は懐旧時計かいきゅうどけいを掲げる。懐旧時計かいきゅうどけいはくるりと回り、お姉様の過去を映し出した。

 村人全員達は皆、私とお姉様がかつて見た光景を目の当たりにした。龍が娘の皮を脱ぎ捨てた、その瞬間を。

 村人は皆一様に叫び声をあげた。当然だ。この光景を見るのはあまりに辛い。


「小娘が……よくも私の秘密を晒してくれたな……」


 龍を振り向く。

 龍の目は怒りに燃えていた。私を貫くような鋭い目つき。脚が竦む。だが。


「私は、あなたからお姉様を取り戻すために来たの!

 さぁ、お姉様を返して頂戴!」


 私は拳を突き上げる。そして、魔女から授かったお守りを掲げた。

 それは、星の光を集めたかのような美しい結晶。私の手から離れると、溢れんばかりの光を発した。


「さぁ、滅びなさい!」


 私の願いは、龍を討ち滅ぼすこと。その願いを聞き入れた星の光は、眩い光の刃となって、龍に振り下ろされる。

 龍は醜い叫び声を上げる。その身は光に斬られ、焼かれ、光の剣とともに消え去った。


 後に残ったのは、村人と泉。そして、大好きなお姉様。


「ルナ……」


 お姉様はその場にくずおれる。私はすかさず駆け寄って、お姉様の体を支えた。

 お姉様はさめざめと泣いていた。私の背中に腕を回し、強く抱きしめてくる。


「ごめんなさい。今まで、辛い思いをさせて……」


 きっとお姉様は、私を龍に喰わせないため、たった一人で戦っていた。今日の婚姻で、自分の死を覚悟していただろう。

 私が感じていた苦しみなんて、お姉様の苦しみに比べたら遥かに小さいもの。だから、私はお姉様を責められない。

 だけど、一つわがままを言っていいのであれば……


「一緒に帰りましょう。昔のように、手を握って」


 私はお姉様の手を握る。お姉様はそれを見て笑顔を浮かべた。

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