第2話

 今日は、神様との婚姻の日。

 村に代々伝わる風習。五十年に一度、十五の歳を迎えた娘を、村の水を清めてくださる神様の花嫁とする日。花嫁は、村のみんなに祝福されて、神様である龍に愛されて暮らす。

 その後成人するまで、昼間は龍神様のそばで、夜は家族のそばで時を過ごす。そして、二十歳を越えれば龍神様と共に泉に住まう。そういうしきたり。


 本来なら、私が花嫁であるはずだった。なのに、ある日お姉様に奪われた。

 何故だったか、私は覚えていない。


「お前は婚姻の場に相応しくない。家で静かに過ごしてなさい」


 今朝私は、父にそう言われて家に閉じ込められた。

 誰もいない家の中。やけに静かで、広かった。


 昔を懐かしむ。

 私がまだ小さかった頃、両親も姉も、私を可愛がってくれていたはずだ。頭を撫でてくれた父の手を、優しく繋いでくれた母の手を、私は今でも覚えている。

 だが、今の私はお姉様の邪魔になるからと、ただ一人留守番を命じられている。


 そういえば、お姉様からの愛情を、私は何一つ覚えていない。顔を合わせれば逸らされて、私の泥髪を隠すため頭巾を寄越したこともある。私を視界に入れないため、お姉様自ら離れに寝泊まりした夜もあった。

 でも、私に冷たくあたるお姉様を、私は嫌いになれないでいる。お姉様は何故私を毛嫌いするの。


「お姉様。失礼します」


 私は、答えを求めてお姉様の部屋に入った。

 ベッドの脇にあるサイドテーブル。そこに懐中時計が置かれていた。私はそれを持ち上げ、見つめる。


「綺麗……」


 文字盤には星座、鳳凰座が描かれていた。星にあたる箇所には、ごく小さな宝石が埋め込まれている。

 私は宝石の煌めきに見惚れて、じいっと文字盤を見つめていた。時計の頭についた竜頭を、無意識に回す。

 くるり、くるりと、針が回る。


 くらりと、視界が歪んだ。

 私は倒れそうになり、サイドテーブルに寄りかかった。懐旧時計かいきゅうどけいを落としてはいけないと、ぎゅっと片手で握り締める。


 辺りの景色は、ぐんぐんと後ろへと遠ざかっていく。

 まるで走馬灯を見ているかのよう。気持ちが悪くなって、私は目を閉じた。


 暫くそうしていると、不意に声が聞こえてきた。


「ねぇ、お姉様、早く」


 私は目を開ける。

 目の前には二人の少女。片方は金の髪、片方は銀の髪。

 見たことがある顔立ちなのに、誰だか思い出せない。私は眉を寄せる。


「ソレイユお姉様。早く来て」


 銀髪の少女が、金髪の少女の手を引いている。


 私は理解した。この懐旧時計かいきゅうどけいは、お姉様が星降堂で購入したものに違いないと。きっとこの時計は、私にお姉様の記憶を見せているんだわ。

 金髪の少女は、きっと幼い頃のソレイユお姉様。小さな頃からお姉様は美しくて、本当に太陽のよう。


 銀髪の美しい少女は、一体誰?


「お姉様。私、龍神様をお見かけしたのよ」


「本当に?」


「本当よ! 早く来て頂戴。今なら龍神様にお会いできるわ」


 銀髪の少女は、お姉様の手を引いて森の中へと駆けていく。私は追いかけなかったものの、景色は少女達を追いかけて離さなかった。

 

 鬱蒼うっそうとした森の奥。清水が湧き出る泉のほとり。

 龍神様が住まうとされる泉へ、少女達は向かっていた。


 二人の少女は、泉の中を覗き込む。


「あなた、本当に龍神様を見たの?」


 お姉様が銀髪の少女へ問う。銀髪の少女は、水の中へと手を伸ばし、何かを掴もうとしていた。


「見たわ。泉の中へ飛び込んでいくところを見たもの」


 その時だった。

 少女達の後ろ、誰かが近付いて声をかけた。


「あら、お客様かしら」


 二人の少女は振り返る。私の視線も、自ずとそちらへ向けられる。


「ひっ……」

 

 私達が見たものは、あまりにも醜くグロテスクであった。

 かつては美しかったであろう村娘の姿。だが、目は飛び出て、髪は疎らに抜け落ち、肌は青黒く変色している。

 正に、ゾンビという表現が相応しい姿だった。


「きゃああ!」


 銀髪の少女が悲鳴をあげ、お姉様はガタガタと震える。

 少女たちが怖がるのも無理はない。私も、恐ろしくてたまらない。だけど、目を逸らそうにも、それができない。ここはお姉様の記憶の中だから。

 

 村娘は「ふむ」と声をもらした。


「この皮も、もう駄目になってしもうたな」


 村娘は、関節の可動域を無視して、自身の背中に手を回す。そして、乾いた音を立てながら背中を開いた。

 村娘という皮が、ずるりと落ちる。中から出てきたのは、純白の龍。

 

 私は知っている。何処で知ったかは覚えていないが、あれは龍神様だ。


 龍神様は、不要となった村娘の皮を食べ始める。その残酷さに、私の意識は遠のきかけた。無理にでも意識を叩き起こして、繋ぎ止める。


 少女達は蒼白としており、大きな瞳からは涙をこぼす。

 龍神様は、それを見て実に厭らしく笑う。


「ああ、お前は次の皮に丁度いい」


 龍神様は指差した。その先にいるのは、銀髪の少女。


「月のような銀の髪に、夜空のような濃紺の瞳。ああ、何とも綺麗だ。お前こそ、私の皮に相応しい」


 少女はきっと、何を言われたのか理解できていない。でも、お姉様はわかっていた。


 この龍は神様でもなんでもない。村の水を清めるという話も、嘘に違いない。

 婚姻とは、龍の皮を見繕うための儀式だ。そして、その儀式直後に村娘は殺され、皮だけを龍は利用していた。

 なんのために? いや、理由なんて大したものではないのだろう。知るべきはそれではない。


 かつての私は、美しさ故、邪龍に見初められたのだ。

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