28.望月の夜

 転移した時の独特の浮遊感が終わると景色が一変する。先ほどまでは薬品が入った瓶や分厚い本などが雑多に散らばっていた部屋から、新鮮な空気で満たされた空間。

 夕日がそろそろ完全に沈もうかという時間帯なのか、僅かに残る赤い夕空を濃紺の夜空が塗り潰そうとしていた。

 ヒュノルはさっと辺りを見渡してちゃんと黒の民の里に転移して来たことを確認する。と、同時に中央に目的の人物と予定外の人物を見つけ、声をかけながら二人の元へと移動する。


「おーい! ゼツナ! ハクト!」

「ヒュノルだったか」

「ウサ!」


 ハクトがぴょんぴょんと飛び跳ね、そのたびに長耳を揺らしながらヒュノルを迎える。


「何でまだハクトがいるのかって事はとりあえず置いておくとして。ゼツナ、チェシカがここに来るのがちょっと遅れそうなんだ。必要な魔術の巻物スクロールを準備するのに時間がかかっちゃって。だから時間を稼ぐ意味でもしばらく身を隠す為に、チェシカのいる場所へあの魔法陣で転移して欲しいんだ」

「――そうか」


 ヒュノルの言葉を訊いて瞼を閉じ一度深呼吸をすると、再び開いた瞳には何かを決意したのか強い意思が宿っていた。


「わかった。ならばお前たちはすぐにでもこの場を離れるんだ。私はこのままここで奴を待つ」

「ゼツナっ!!」

「いいんだ。元々これは私の問題だ。奴との決着は私一人で付けるべきものなのだから」


 ヒュノルの制止の声を首を振って断るゼツナ。


「チェシカには世話になった。ヒュノルにも。ハクトには何度も治癒をしてもらった。ハクトがいなければ、私は"次元渡り"を会得することは出来なかっただろう」


 ゼツナは真剣な眼差しで二人を見つめた後、「感謝を」という言葉と共に深々と頭を下げる。そして顔をあげたゼツナは力強く、有無を言わさぬ口調で決意を告げる。


「里の仇は私の手で取らなければならない。――奴は私一人で倒す」


 その為の"次元渡りちから"は手に入れた。

 身を隠す――逃げることなどあり得ない。


「あぁ、もうッ!!」


 ゼツナのその様子を見たヒュノルは苛立ったような、諦めたような声をあげる。


(ダメだ。ゼツナの決意は固い。研究室まで転移してもらうのは無理だ)


「ハクト、君は何でまだここにいるの? チェシカからも楽園フォーリングタウンに戻るようにって言われてただろ?」

「え? いや、何となく帰るタイミングを逃しちゃってウサ。あはは、ウサ」

「はぁ。もう今から戻るとなると森を抜けるのも危険だろうから、ハクトは僕と一緒にチェシカの所へ行こう。ちょっと遠いところになっちゃうけど、ここに残るよりはずっと安全――だと思う」


 ふと脳裏に老魔術師のいかつい顔が思い浮かんで思う。


(――まさか動物、じゃない。人体実験とかはさすがにしないよなぁ)


「ちょっと"間"があったのは何でウサ?」

「いや、ううん。気にしないで。ちゃんと安全だから」


 心の中で「たぶん」と付け加えながらも、ヒュノルはしっかりと力強くハクトに頷いてみせる。


「う~ん。でもいいウサ。ハクトはこのまま街へ戻るウサ。ハクトは修行の身なので、里を出てから一人で旅することも多かったウサ。夜の森も経験しているウサ。それにハクトは逃げ足には自信あるウサ。と、いうことでここでお別れウサ。ゼツナさん、がんばって魔族を倒してくださいウサ。それでは~ウサ!」

「あ、ちょっと、ハクト!」


 ヒュノルは声をかけるが、ハクトは言いたいことだけ言ってトテトテと森へと向かって行く。


「う~。いいのかなぁ」

「――大丈夫だろう。ハクトは見かけの可愛らしさとは違ってからな。その辺の魔蟲や魔獣の一匹や二匹、どうということはないだろう」

「ハクトが?」


 あの小さな身体で魔蟲の大蜘蛛をやっつける姿を、ヒュノルは思い浮かべ――浮かばなかった。


「強さとは何も相手を倒す力だけを示すのではない」


 ヒュノルの思いを察したのかゼツナが補足する。


「それじゃ、僕は一度チェシカの所へ戻るよ。本当はゼツナにも来て欲しいけど――」

「すまぬ」

「だよね。だけど無茶はしないでね。ゼツナは逃げることを良しとしないみたいだけど、世の中には戦略的撤退って戦術もあるんだから」

「――心に留めておこう。感謝を」


 軽く頭を下げたゼツナに「なるべく早く戻るからッ!」と声をかけて、ヒュノルは再び魔法陣を使ってチェシカの元へ戻って行った。

 ヒュノルが転移していくのを見届けたゼツナは、仲間の土塊はかの前まで来ると、改めて誰もいなくなった里をぐるりと見回す。

 あと数時間もすれば四ツ目の魔人と戦うことになる。なのに不思議なほど心が落ち着いていた。

 変わり果てた村。

 崩れた家屋や破損した家屋、生々しい裂傷が残った畑や窪地になっている村を囲むような土手も所々崩れていたり陥没していたりと痛々しい。

 生まれ育った十七年。この里しか知らない。チェシカには"引き籠り"と馬鹿にされもしたが、世界ほかを知らなくても里は十分に良い所で、ここで生涯を終えることに何の疑問も持っていなかった。

 ただ、世の中は広くて里には無い物、違う考え、いろんな人間や人間以外の種族がいる。皮肉なことに四ツ目の魔族が里を襲わなければ、そういう当たり前のことを知らずにいたのだろう。

 

里の外せかいか――フッ」


 里を出て世界を巡る旅に出る己を想像し、自分で自分を笑う。

 未来のことなど想像して何になるというのか。今宵、四ツ目の魔族を倒さなければ未来も何もない。

 そしてゼツナはそのときまで仲間のそばで過ごすと。


「――行ってくる。見ていてくれ。みんな」


 その場に挨拶の言葉を置いて、ゼツナは村の中央へゆっくりと歩いて行く。

 正確に、村のどこでという話はなかったがその歩みに迷いはなかった。

 ふと夜空そらを見上げれば星は無く、蒼白く妖しく輝く満月だけが浮かんでいた。

 そして視線を戻した目の前。


 何も無い虚空が裂け、魔の気配を纏った何者かがその姿を現した――。












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