第18話 ペルセポネのゆりかご

「エレン、着替えたかしら。入って大丈夫?」

 扉の向こうから、レインの声が聞こえる。

「ああ、終わったよ。入って大丈夫」

「お邪魔します。うん、やっぱり!よく似合ってる」

 エレンは、先日レインとローシュが選んで仕立てられた服を着ていた。キャメル色に、ところどころハウンドトゥース柄の入った、どこに着て行っても一目置かれる一着だ。エレンという素の素材もあって、よく似合っている。

「ふふ、ありがとう。こんなに綺麗な服を着たことがないから、汚さないか心配だよ」

「新しい服って、ちょっと慎重になるものね。ふふ、本当に似合ってる。これにしてよかった」

 ご機嫌な様子のレインに手を引かれ、二人はローシュの美術館「ペルセポネのゆりかご」へ向かった。

 

「やぁ、おはよう。遅刻せずにきたね、実に良いスタートだ」

「ペルセポネのゆりかご」の入り口には、すでにローシュが立っていた。

「おはよう、ローシュ。お招きいただきありがとう」

「うむ、挨拶も出来る。実に素晴らしい。こちらこそ、きてくれてありがとう、レイン」

「ここって美術館だったんだ」

 エレンは物珍しげに辺りを見渡す。以前にも何度か通ったことはあるが、入ったのは初めてだ。

「展示室は、少し暗いところもある。気をつけて進みたまえ。他の客人はいるが、人の流れに逆らわなければ大丈夫だよ」

 ローシュに連れられ、レインとエレンは展示室を進む。今期の展示テーマは『花と生物』。世界各国の花と、その周囲に集まる生物にまつわる展示だ。

「わぁ、どれも綺麗だね」

 レインは展示された絵を、丁寧に鑑賞している。美術品の見方などわからないエレンは、ぼんやりと飾られたものたちを見つめていた。

 一つ目の展示室が終わり、二つ目。絵がメインに飾られていた先程と違い、花そのものがたくさん飾られている。その花に集まるように配置されているのは、蝶の標本だ。色とりどりの花に負けない、鮮やかな蝶達。

「エレン、こっちこっち」

 先を進んでいたレインが、エレンに声をかけた。

「これ、見てみて」

 レインが指差したのは、水辺を模した展示だ。涼しげな川べりに、緑色の蝶が止まっている。

「ええと、アカエリトリバネアゲハ、だって。赤い襟みたいなのがついてね」

「本当だね。赤色もだけど、はねの緑色も綺麗だね」

「でしょう?ふふ、エレンの目の色に似ているなって思って」

「俺に?」

 エレンは、まじまじと蝶を見つめる。彼の目を賞賛する者は多くいたが、同時に冷たいと言われた数も多い。レインの目には、この蝶のように綺麗なものに映っていることが、不思議で仕方がなかった。展示室を出てからも、しばらく自分と同じ色の蝶のことが頭から離れなかった。 


「今日は楽しかったね、エレン」

 夜。食事も入浴も済ませた二人は、レインの部屋で今日のことを話していた。レインの手には、美術館で見た蝶の標本がある。ローシュが土産屋でレインに買ったものだ。ランタンの灯りだけの部屋で、レインは嬉しげに蝶を見つめている。

「そういえば。レインは生き物が好きなのかい?」

 エレンは、ふと気になっていた問いを投げかける。

 ローシュと初めて話した際。彼は当初レインが、犬や猫を拾ってくるかもしれないと考えていた。レインが普段から生き物が好きだと思っての推測のはずだ。

 だが、エレンが見る限りレインにその様子はない。街で見かける犬や猫を特別気に留めている様子もなければ、何かを連れ帰ることもない。

「うーん。動物も虫も好きだよ。けど、飼おうとは思ったことないかも」

「そうなのかい?」

「うん。──生きているものは、いつか僕の前から消えちゃうから。お別れするの、怖いの」

 その言葉は、両親を亡くしたレインの、切実な思いであり不安だった。

「綺麗なものが好き。だけど、消えちゃうのは嫌なの。でも、この蝶は。もう、どこにもいかないでしょう?」

 手の中の蝶を見つめるレインの顔は、年相応の少年のものであり。同時に、どこか危うげな魅力があった。

「だから、どうか。エレンも、どこにも行かないでね。絶対、僕のところに帰ってきてね。約束」

「ふふ、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。けど、そうだね。指切りでもしておく?」

「うん、する!」

 互いの小指を絡めて、二人は約束をする。その永遠に、夢を見ながら。

 

 そろそろ寝るね。そう言って、レインの部屋を出て与えられた部屋に戻った。部屋に入った瞬間、エレンは堪えきれず顔を覆う。手の向こうの顔は、笑っている。

「ふふ、ふふふ。ああ、レイン。分かった、俺分かったよ。ずっと、目的もなく生きてきたけど。ようやく、君に会った意味が分かった」

 エレンの頭は、レインのことでいっぱいだった。花屋の仕事をするレイン、葬儀屋の仕事をするレイン。そして蝶を見たあの瞳が、焼き付いて離れない。

「俺は、君にあの目で見られたい。君の、その目に映る一番になりたい」

 暗い部屋に、エレンの囁きだけが響く。闇に輝く緑色は、堪えきれない笑みに歪んでいる。

 ずっと、汚いものの中で生きてきた。何を見ても、この世界は汚れていると。そう思っていたのに。レインは、彼だけは。何よりも美しかった。

 レインは、エレンにとって。この世界にたった一つ残った、清廉だったのだ。

「待ってて、レイン。俺は、君の一番になってみせるから」

 窓の向こう。細い月だけが、彼の声を聞いていた。

 

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ハーバリウムの棺桶 雨上鴉(鳥類) @karasu_muku14

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