第10話 キミのおしごと

 約束の日。今日も街は、しとしと雨が降っている。お気に入りの赤い傘をさして、レインの営む花屋「アウター」にやって来た。

 この花屋には、実は一度来たことがある。去年クライアントの一人が亡くなった時に、ここで花を買った。あの時は急いたのもあるけど、レインという美形に気づいていなかったのは実に惜しい!

 花屋の扉をくぐる。シャラシャラとドアベルが軽やかな音を立てた。小さな店内には、カウンターとたくさんの花。どの花もきちんと手入れがされており、良い雰囲気だ。

 カウンターには、一人の青年がいた。レインじゃない。長い金髪を緩く一つに結んだ彼は、こちらに気づいて立ち上がる。

「いらっしゃいませ、何かお探しですか?」

 こちらに笑いかける彼の顔は、随分整っていた。レインも美形だけど、彼もまた違ったタイプの美人だ。思わず見惚れていると、彼は困った様子で首を傾げた。

「ああ、ごめんね。あまりにもキミが綺麗だから、びっくりしちゃって。今日は花を見に来たわけじゃなくて、レインに用があって来たんだ」

「ああ、レインが言っていた来客は君か。待っていたよ、こちらに」

 彼に案内され、裏口から一旦外に出て階段を登る。重たい扉を開けると、中には机と椅子がいくつか置かれた簡素な部屋が。奥にも部屋があるようで、何やら物音がする。

「レイン、お客様だよ。出てこれるかい?」

 するとしばらくして、別の扉からレインが出てきた。作業中だったのだろう、マスクを外しながらこちらに微笑んだ。

「おはよう、ハルカ。朝早くから来てくれてありがとう。お茶だすね」

 椅子に座るように案内される。しばらくして紅茶を持ってレインが戻ってきた。レモンの添えられた紅茶は、温かくて雨で冷えた身体にちょうどよかった。

「そういえば、案内してくれた彼は何者だい?」

 気がついたらいなくなっていて、名前も聞きそびれてしまった。本当に綺麗な顔だった。レインも美形だけど、彼を兄というにはあまりにも似ていない。それに以前、兄はいないとレイン自身が言っていた。

「あ、言ってなかった。ごめんね、僕じゃない人がいて驚いたでしょう?エレンっていうの。普段はローシュと仕事しているから、あんまり会うことはないかも。今日はハルカが来るから、花屋の店番をやってもらっているんだ」

 ああ、なるほど。そういうことだったのか。全く、ローシュも隅に置けないなぁ。あんな美人をボクに紹介しないなんて!

「戸籍上は、僕もエレンもローシュの息子ってことになってるけど。血は繋がってないの。ふふ、綺麗な人でしょう?ハルカなら、きっと気にいるだろうなぁと思って」

 おや、ボクの趣味はどうやらバレバレのようだ。美しいものには、目がないからね!ローシュの仕事についていけるということは、能力も優秀ということだ。天は二物を与えず、なんて言葉もあるけど。三物くらい持っていそうだね。

「そろそろ、お仕事見る?」

「ああ、そうしようかな。紅茶も丁度飲み切ったしね。ごちそうさま!」

「うん、どういたしまして。じゃあ、案内するね」

 レインについて奥の部屋へ向かう。入り口で白衣を借りて、消毒を済ませる。扉の奥には窓は一つもなく、手術室のようになっていた。大きめの寝台が二つ。そのうちの一つにカーテンがされている。カーテンを捲ると、そこにはご遺体が横たわっていた。事故死だったのか、身体にはいくつか損傷が見られる。

「もう消毒の工程は済んでるけど。死体から移る病気もあるから、あまり近づかないでね。もちろん触っちゃダメだよ」

 レインの言葉にうなづく。どういう作業工程があるか、どんな手助けがあればより効率よく仕事が進められるか。それを見極めなければならない。

「それじゃ、始めるね。もし気分が悪くなったら、遠慮なく部屋から出てね」

 エンバーミングの工程は、遺体の殺菌消毒から始まる。遺体の表面にある汚れや細菌を取り除くためだ。その後、体液を保存液と交換するために、鎖骨と太ももから小さい穴を開けて注入する。それが終わったら、腐りやすいところを取り除いたり、傷などを出来る限り修復し、また消毒。化粧や衣服を整えて納棺したら終了だ。この工程をレインは一人で行なっているのかぁ。確かに、補佐のための人形が必要というのもうなづける。どう考えても大変!

 そんな大変な作業をしているにも関わらず、レインは終始穏やかな表情で作業をしていた。丁寧に丁寧に施される一つ一つの処置に、祈りを込めるように。その姿は本当に美しくて、メモを取るのを忘れそうになる程だ。

 工程が進むにつれ、遺体はかつての姿に近づいていく。悪くなっていた顔色も、破れていた肌も縫い合わされ、綺麗に整えられていく。時々質問をしながら、作業が進むのを観察すること数時間。一区切りついたのか、レインがこちらを向いて笑った。

「とりあえず一通りは終わったから、今日はここまでかな。ごめんね、疲れたでしょう?」

「ううん、そんなことないよ。レインこそ、お疲れ様。見せてくれてありがとう、おかげで良いものが出来そうだ」

 レインと共に部屋を出る。借りた白衣などを返して、来たとき座っていた椅子に座る。

「ふぅ。作業を見て思ったけど、力仕事の部分と繊細な動きが必要な部分があるね。これは設計に悩むなぁ」

「難しそう?」

「難題ではあるけど、不可能ではないよ。まぁ、時間はかかると思うけどね」

 難易度の高い依頼の方が、やりがいがある。簡単な依頼が悪いわけじゃないけどね。

「ハルカ、仕事頼んでからすごく楽しそう。ふふ、ありがとう」

「こんな依頼、滅多にないしね。キミの作品がより良くなるためなら、喜んで作るさ」

 レインの素晴らしい作品を思い出す。あの作品に自分の作品が関われるのであれば、とても光栄だ。

「あ、そうだ。作品、6体頼んだでしょう?もし出来るなら、そのうちの一つを花屋で働く仕様にすることって、できる?」

「花屋の仕事かい?出来るけど、そうなるとまた違う仕様になるね」

「うん。その、エンバーミングの作業が多くて、花屋にあまり時間がかけられなくて困ってるの。誰か雇うのも考えたんだけど、なかなか良い人が見つからなくて。今日はエレンが店番してくれたけど、いつもいるとは限らないし」

 花屋の様子を思い出す。綺麗にされているけれど、心なしか他の花屋に比べて商材が少ない気がした。仕入れ含め、手が回っていないのだろう。作品に必要な作業時間を考えると、当然とも言えた。

「いっそ、エンバーミング一本で行く気はないのかい?収入的にもキミの能力なら可能だろう?」

 ローシュの腕なら、レインにもっと作品制作の仕事を持ってくることも可能だろう。というか、多分そういう打診は既にあったはずだ。

「うーん、それも考えたけど。花屋もエンバーミングの仕事も、どっちも両親から引き継いだものだから。片方だけにするのは、気が引けて」

「あ、ご両親の仕事だったんだね?引き継いだ、ということはもしかして」

「うん、10年前に死んだの。小さすぎてあんまり覚えてないんだけど、ローシュからは事故だって聞いてる。……あまり気にしないでね?悲しいとか、寂しいはもう通り過ぎているから」

 顔に出ていたのか、レインに気を遣われてしまった。幼い子供が両親を亡くしてここまで生きていくのは、相当過酷なことだ。ローシュという後ろ盾がいるとはいえ、随分苦労したことだろう。

「ご両親の仕事、大切にしているんだね。そんな大事なもののために、ボクの作品を選んでくれってありがとう。ボクに出来る精一杯を詰めた、最高のものを作ると約束しよう」

 ますます素敵なものを作らなければならなくなっちゃった。燃えてきたぞぅ!

「今日はありがとう。そろそろお暇するね」

「うん、こちらこそ。気をつけて帰ってね。まだ外、雨降っていると思うから」

 もうちょっと仕事があるから、ここで見送るね。そう言われ、2階の出口でお別れする。

 一階に戻ると、エレンが受付で座っていた。お客さんがいないからか、本を読んでいる。こちらに気づくと、本を閉じてこちらにやってきた。

「話は終わったようだね。お疲れ様」

「こちらこそ、案内してくれてありがとう。えーっと、エレンと呼んでいいのかい?」

「ん?ああ、レインに名前を聞いたんだね。好きに呼んでいいよ、名乗らなくて申し訳ない」

 そう言って彼は名刺を差し出してきた。ローシュの経営する会社名が書いてある。ローシュ、仕事仲間にこだわるタイプだから、そのお眼鏡にかなうって本当に珍しい。

「いいよいいよ、ボクも忘れていたしね。ボクはハルカ、しがない人形作家さ」

「ハルカ、か。良い名前だね。いずれローシュと一緒に仕事で会うこともあるかもしれない。その時は、どうぞよろしく」

 エレンはその美しい顔に笑みを浮かべ、お見送りしてくれた。ふふ、今日は美人に囲まれて気分がいい。インプットもしたことだし、帰ったら早速作品作りに取りかかろっと。

 雨はまだ降っている。傘越しの雨音と共に、上機嫌で花屋を後にした。

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