第16話 日常
病院で検査を受けたり、警察に事情を聞かれたりと忙しかったので、翌日は学校を休んだ。そして土日を挟んだ月曜日、俺は何食わぬ顔で学校に来ていた。
一体どんな目に遭わされるか……机の上に花瓶が置かれていたり、上履きの中に画鋲が入っていたりするんだろうか……などと戦々恐々としていたが、特にそんなことはなかった。ただ、奇怪な物を見る目を向けられるだけだ。
俺が強盗犯に襲われたという噂は、どうやらもう既に広まっているらしい。そのおかげと言うべきなのか、どこか同情的な視線もある。腕に巻かれた包帯もそれを助長していることだろう。
いくら何でもナイフで切り付けられた直後の人間をいじめるのは可哀想すぎやしないか、という心理が働いているのかもしれない。
ともかくとして、一応俺は普通に学校生活を送れそうだ。これを普通と言っていいのかどうかわからないが、少なくとも迫害されることはない。
「ねえ、本当にいいの?」
昼休み、俺と美住は屋上で昼食を取っていた。
いくら人目を避けるためとはいえ、立ち入り禁止区域に普通に入って弁当を食べるというのは、もう正真正銘の変人だ。数日前の俺なら有り得ない選択である。
「君の評判、ちっとも元に戻ってないよ? 私ならちゃんと汚名返上させてあげられるのに」
「返上した汚名は、お前が被るって言うんだろ? そういうのはいいんだよ。なんか元々俺、実はあんまり周りに馴染めてなかったみたいだし」
俺としては上手く距離を取りつつ無難に過ごしてきていたつもりなんだが、徹底して無難すぎる人間関係を築いているというのは、それだけで奇妙なことらしい。
高校生らしからぬというか、八方美人過ぎたというか。どちらにせよ、いつかはそういうすれ違いが摩擦を起こし、火種を作って、燃え盛ったことだろう。遅かれ早かれ俺はクラスで浮くことになっていた。
「君が良いって言うなら……私はいいけど」
「それに、意外と悪くないって思ってるんだ。特定の一人とこうやって仲良くするっていうのもさ」
人間関係が煩わしくて、誰かと長い時間を共有するのが嫌で、ほどほどに仲良くしつつ孤立もしないような距離感を維持するのに尽力してきた。
しかしそれなら、一緒に居ても煩わしく感じない人を探せばいいだけの話だったのだ。そんな簡単なことに、俺は今まで気づいていなかった。
「……それは私を口説いてるの?」
少しだけ間を置いて、美住はからかうようなことを言ってくる。
これにももう慣れたものだ。今までは毎度毎度いいように転がされてきたが、そろそろこっちからも反撃に出ることにしよう。
「そうだけど?」
表情一つ変えず、肯定してみた。その場合、彼女はどんな反応を見せるのだろう。十中八九、ただ興味なさげに頷くだけだろうけど……拒絶反応を示したり、意外にも乗っかってきたりしたら面白い。
「…………」
俺の予想は全て外れだった。美住は顔を耳まで真っ赤に染め上げて、俯いたまま黙りこくっている。
「美住さん? ちょっと? なにガチで照れてるんですか? あなたが自分から言ったのに」
「……わかってる。わかってるよ。冗談なんでしょ? わかってるわかってる。私だって冗談で言ったんだから」
彼女は割り箸を口に咥え、もごもごさせながら喋る。前まではもうちょっとクールな雰囲気だったと思うのだが……こいつ、こんなに可愛かったか?
「でも、お前といるのが楽しいっていうのは冗談じゃないぞ。今までの学校生活よりよっぽど充実してる」
「やっぱり口説いてるよね⁉」
恥ずかしそうに声を荒げる彼女はやっぱり可愛い。それはようやく俺に素の顔を見せてくれているようで、素直に嬉しかった。
「それで、予知夢はどうだ? あの日以降、見なくなったって言ってたよな?」
「……うん、君が刺される夢を見たのが最後だよ。もう私に未来予知の力はなくなったのかも」
力を失ったと語る美住の表情は明るい。ようやく呪いから解放されたと言わんばかりの晴れ晴れとした顔だ。
変えられない未来なんて見ても仕方がない。何かしたところで運命に修正され、何もしなければ罪悪感が襲い、その上間近で人の不幸を見せつけられるなんて、もはや拷問といってもいい所業だろう。それがなくなったというのだから、喜びこそすれ名残惜しむようなことなど何もない。
「それは良かった。体調も良くなったみたいだしな」
「君の方こそ、その怪我はいいの?」
「ああ、問題ないよ。傷は深くないから。風呂に入る時にしみるぐらいかな」
「……そっか。でも、もう君の未来を見ることはできないから、気を付けてね? 君は運が良いわりに、頻繁に死にかけてるみたいだからさ」
「気を付けるよ。いや、まあ、どうやって気をつければいいんだって感じではあるけどな」
交通事故ならまだやりようもあるとして、コンビニ強盗に遭遇するなんて、避けようと思って避けられることなのか? 買い食いは今後もするぞ?
「私、思うんだけどさ。あの予知夢は、君と私を引き合わせるためのものだったのかなって」
「……急にロマンチストみたいなことを言い出したな」
「いいでしょ? あれだけ色々あったんだから、感傷にぐらい浸らせてよ。私と君が出会うために、運命の修正力が与えた力……そう考えたら、あの悪夢も悪くなかったかもって思うよ」
「いいのかよ、そんなこと言って。予知夢には散々苦しめられたのに」
「いいんだよ。君とこうして仲良くなれたんだから」
美住は俺の目を真っ直ぐ見て、今度は一転恥ずかしげもなくそう語った。
また俺はからかわれているんだろうか。そんな風に言われたら、俺はまた距離感を間違えそうになる。
ただでさえ、人付き合いが苦手で、距離を取るのはともかく距離を縮めることには慣れていないんだ。高度な駆け引きなんて、俺にできるはずもない。
「ねえ、私たちってどういう関係なのかな?」
「……そんなこと、俺に聞かれても困る」
「君以外誰に聞くの?」
「それは……そうだけど」
「私が予知夢を見れなくなっても、君は私のパートナーでいてくれるの?」
美住の瞳が不安げに揺れる。その目を見て、俺は彼女が本気なんだと確信した。普段は何を考えているのか全くわからない彼女だが、今は手に取るようにわかる。彼女は間違いなく、俺と同じ悩みを抱えているんだ。
「もちろんだよ。むしろお前に居なくなられたら、俺が困る」
「……言ったね? 本当にいいんだね? 私、ちょっと面倒臭いよ?」
「自覚があるなら改善してほしいんだけど。そもそもお前は────」
「まず、そのお前っていうの止めて」
俺の言葉をぶった切り、さっそく彼女は駄目出しを入れてくる。
「私のことは未玖って呼んで。私も君のことは幸助って呼ぶから」
「……呼び方なんてどうでもよくない?」
「どうでもいいなら、私の要望に付き合ってよ。パートナーでしょ?」
「わかったよ……じゃあ、未玖────これでいいの?」
下の名前で呼ぶことがそこまで恥ずかしいわけでもない。ただ、誰かとそんな風に呼ぶ関係性になったことはなかった。だから新鮮で、少し背中がむずむずするような気分だ。
対して美住は、呼ばれた名前をジックリと噛み締めるように目を瞑り、数回小さく頷く。
「私、こんな幸せでいいのかな……幸せすぎて……明日には死ぬかも」
「いや、お前のそれは冗談にならないんだから勘弁してくれ」
「あ、またお前って言った」
「ああ、しまった! クッソ……未玖ね! わかってる。おっけ、もう完璧。次からは絶対いける」
「そんなに気合入れられるのもちょっと違うんだけどなぁ……」
こうして全てを失い、一つを得た二人の昼休みは終わりを告げる。
俺たちの歪な関係は、ひょっとしたらすぐに破綻するのかもしれない。周りからの目線に耐えられなくなったり、お互いのことを煩わしいと思うようになったりするのかもしれない。
だけど人間関係とはそういうものだ。何が起こるかわからない。だから面倒くさくて、価値がある。全員と距離を置いたり、全員に優しくしたりするのは楽なのかもしれないが、それを人は孤独と呼ぶのだ。
誰も特別ではないということは、誰の特別にもなれないということ。誰にも嫌われないということは、誰にも好かれないということ。
良い事だらけではないだろうが、俺はもう少し他人に踏み込む勇気を持ってみようと思う。
その結果未来がどうなるのか、そんなことはきっと知らない方がいいのだろう。どちらに転がるにしても、未来なんてわからない方がいい。
予知に左右されるわけでも、運に左右されるわけでもないのが人間関係だ。だからこそ不安定で面倒臭い。けれどそれは簡単に変えられるという意味でもある。
「午後の授業始まるけど……ここでサボっちゃおうか」
「そんなわけにいかないだろ? これ以上変人扱いされたら流石にヤバイ。ほら、早く立って」
俺が差し出した手を、美住が掴んで立ち上がる。そうして俺たちは立ち入り禁止の屋上を出て、校舎の中へと戻ったのだった。
未来が見える少女に明日死ぬと言われた少年 司尾文也 @mirakuru888
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます