第14話 急転直下

 最寄りのコンビニがどこにあるのか、俺にはスマホの地図など確認せずとも手に取るようにわかる。

 なにせここは学校からの徒歩圏内だ。俺の家がある方角とはまるっきり真逆ではあるのだが、買い食いでこっちの方まで足を延ばしたこともある。

 早く帰ったところでやることがあるわけでもないし、当てもなく散歩するのは結構好きだからな。寄り道も大幅になりがちだ。


 そんなわけで、俺は迷うことなくコンビニに辿り着き、自分の家かのような足取りで目的の物を手に取っていく。


 体調が悪くても食べられそうなゼリー、水分補給のためのスポーツドリンク、あとは頼まれた漫画雑誌……といったところか。

 本当ならもっと豊富な種類を用意してやって、選ばせるぐらいした方がいいのかもしれないが、生憎そこまで金銭的なゆとりはない。

 ゆとりどころか、本当にギリギリなんだ。一旦時間を取るために買い出しは名案だと思ったのだが、金銭的な問題のことを一切考えていなかった。


 財布の中身を見れば、絶望しかない。一応ギリギリ足りるか……これで何も変えずに手ぶらで帰る羽目になったら大恥だったので、最低限あって良かった。


 うちでは毎月一日にお小遣いが貰えることになっているので、月末は毎月ジリ貧になる。

 なので逆に言えば、来月にさえなってしまえばこっちのものだ。今日は五月三十一日。つまり五月最後の日だ。明日になれば、五千円もの大金が俺の財布に転がり込んでくる。


 そう思えば、今日の出費も安いものだ。基本的に小遣いはその月の内に使い切ってしまうので、今日はもうあるだけ使ってしまって構わない。

 学校も抜け出してきたから、買い食いの予定もないし。正直、今はあんまり食欲もない。レジ横に並ぶホットスナックを見ても心動かされないなんて、なかなか貴重な経験だった。


 もう買うものは決まったのだが、特に意味もなくぶらぶらと店内をうろついていると、全身真っ黒な服を着こんだフードの人物がふらっと入って来た。

 顔はよく見えないが、体格からして恐らく男だ。彼はキョロキョロとしきりに周りを見ながら、ポケットに手を突っ込んだり出したりしている。


「……明らかに怪しいよな」


 一目でわかる挙動不審者。場慣れした熟練の刑事とかでなくとも、誰だって一発で犯罪臭を嗅ぎ取ることだろう。


 多分……万引き狙いかな? どうしよう、取り押さえた方がいいんだろうか。いやいや、まだ何もしてないのにそんなことしたら、捕まるのは俺の方だよな。

 だったら、店員に知らせるか? うーん……そんなことせずとも、あの怪しさならすぐに気づくか……。


 つい昨日、余計なことをして大失敗をした直後だ。とはいえ見過ごすわけにもいかないので、一声かけるぐらいにしようかな。


「……あの」


 男に近づき、軽く呼びかけてみたものの返事はない。無視されているというわけではなく、単純に気づかれていないようだ。

 仕方がないのでもう少し近づいて、ボリュームをあげようと一歩前へ踏み出したのとほとんど同時に、男はポケットから鈍く光る物を取り出した。


「……かっ……金出せ‼」


 一瞬、何が起こったかわからなかった。


「早くしろよ‼ 金……出せって言ってんだ‼」


 男の腕には果物ナイフが握られていて、それはまっすぐ目の前の店員に突き出されている。声は震え、手元も震えているが、今にも人を刺し殺しそうな迫力はあった。

 穏やかなコンビニの空気が、一瞬にして張り詰める。店内に流れるコマーシャルが酷く場違いで滑稽なものに思えてくるが、場違いなのは男が持っている刃物の方だ。


 十秒ほど経った頃、真っ白になっていた頭が時間経過と共に回復してきて、ようやく状況が見えてくる。


 強盗犯はまだ俺に気づいていない。今すぐ後ろに下がって、商品棚の奥にでも隠れれば事なきを得るかもしれない。

 しかしその場合、この店員はどうなるのだろう。男は落ち着きを失っていて、いつ店員を刺し殺してもおかしくない。この店員は知り合いというわけではないが、俺が隠れている間に刺されでもしたら、俺は何もしなかったことを一生後悔しそうだ。

 あるいは見つかる前に逃げ出すか。そうすれば助けを呼びに行くことができる。強盗犯の横をすり抜けることはできないので、店内をぐるっと大回りしていくことにはなるが、外に出ることはできるはずだ。

 とはいえ、出入り口はレジから丸見えなので、どれだけ慎重に行動したところで出て行く瞬間は見られる。そうなった場合、男がどんな行動に出るのかは予測不可能。下手に刺激してしまうのは危険かもしれない。


 ……いや、違う。助けを呼ぶならスマホでいいじゃないか。どう考えても警察に通報するのが最適解だろ。


 そう思い、ポケットに手を突っ込むもスマホがない。どこに入れた? 右のポケットにも左のポケットにも入ってない。いつもはこのどっちかに入ってるはずなのに一体どこに……。


「お、おい‼ なんだお前‼ いつから……そ、そこにいるんだ‼」


 ゴソゴソ動き過ぎたせいで、男が気づいて振り返ってしまった。


 スマホを探すなら隠れてからにすべきだった……じゃない。そうじゃない。そんな反省をしてる場合じゃない。

 ナイフの切っ先は俺の方を向いてる。いつでも俺を刺し殺せる。一秒後でも、それより早くでも、簡単なことだ。


「俺は……その……」


 なんて言ったら難を逃れられるだろう。咄嗟に正解が思いつかない。ひょっとしたら正解なんてないのかもしれない。

 とりあえず、まずはポケットを探っている両手を出して、顔の高さまで上げるべきか。ナイフを持った男と格闘できるほどの戦闘能力なんか俺にはない。なるべく早急に降参の意図を示した方が良い。


「おち、落ち着いて。俺は……」


 両手を持ち上げようと動いた瞬間、何を血迷ったのか男は持っていたナイフを俺の腹部に押し当ててきた。


 こっちが銃でも出すと思ったのだろうか。ポケットの中に武器なんかあるわけないのに、俺がちょっと動いただけで錯乱しやがった。落ち着けって言ったのに。無抵抗だったのに。


 それもこれも後の祭り。腹にナイフが突き立てられた事実は変わらない。痛くもないし、大して血も出ていないが、急速に視界がぼやけてきた。


「う、うわああああぁぁぁぁぁぁっ⁉」


 ふざけたことに、男は自分で刺しておきながら驚いて逃げて行った。血を見る度胸もない奴が人を刺すなボケが。世の中には人が傷つく瞬間を毎日のように間近で見せられる女子高生だっているってのに……駄目だ。何を考えてるんだ俺は。

 さっきから感情の収拾がつかない。あの男も相当落ち着きがなかったが、その数倍俺は狼狽えていたみたいだ。自分では冷静さを維持していたつもりだったが……そうでもなかったらしい。


 ナイフが抜け落ちて、待ってましたと言わんばかりに血の滝が溢れる。流石にこれは……ヤバイ。視界がどんどん暗くなって、ついには何も見えなくなった。

 膝からガクンと床に崩れ落ち、立っていることすらできなくなる。足元には、美住に買っていく予定だった商品が落ちているのが辛うじてわかる。


 あぁ、今思えば、ポケットに手を突っ込むために、持っていた物を床に落としたんだな……俺。間抜けなことこの上ない話だ。そんなことしたら、音で気づかれるに決まってるのに。どれだけ焦ってたんだよ。


 次にコンビニ強盗に遭遇することがあったら、物音を不用意に立てないように気をつけよう……このままだと次はなさそうだけど……。


 そんなわけで、俺の人生はこんなにもあっけなく、そして唐突に、意味不明なほど強引に幕を閉じる。


 ────それと同時に、美住未玖は自室のベッドの上で、最悪の予知夢から目覚めた。

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