第10話 夕暮れ時の大勝負

 目的地はすぐに見つかった。ここ二か月ほど帰宅部として、家に帰るという行為に全力を注いできた俺は、言わば寄り道や買い食いのプロフェッショナル。高校付近の地理については知り尽くしている。

 背景に焼鳥屋が映り込んでいたという証言さえあれば、予知夢の場所を特定するのに十五分も必要なかった。


 そこは住宅街の一角にある細いT字路だった。角には高い塀が立っていて先が見通せず、ミラーの一つも設置されていないので、事故が起こりやすそうな構造になっている。


「確かにここだね。間違いない。よくこんな場所がすぐにわかったね」

「近くに焼鳥屋があって、なおかつ野球部のジョギングコースに当てはまる場所と言えばここぐらいしかないからな」


 野球部に限らず、運動部はこの先の池でよくロードワークするらしい。そこは道幅も広くて、車も来ないから良いコースなんだが、学校からそこへ行くためにはどうしてもここを通る必要がある。


「じゃあ、詳しい話を聞いてもいいかな? ここで多磨野先輩が怪我するって話だったけど、具体的にはどうなるんだ? やっぱり、車との接触事故か?」

「うん、彼がここの角に勢いよく走り込んで来て、タイミング悪く出て来た車と激突する。車のスピードはそこまで出てなかったから、激突の衝撃自体は大したことなかったんだけど、転倒した彼の右腕が車の下敷きになってね。そのまま、こう……メキメキッと」

「ま、待ってくれ。聞いてるだけで右腕が痛くなってきそうな話だけど、お前は……それをどの程度まで見たんだ?」

「どの程度とは?」

「いや、その、怪我の瞬間をさ。予知夢ではどれぐらい鮮明に見れるものなのかなって」


 その後、病院に行った多磨野先輩がどのような診断を受けるのかまで見たわけではあるまいに、それでも選手生命が完全に断たれると断言できるということは、よほど酷い怪我になるのだろう。

 そんな、その場に居合わせたら一生のトラウマになりそうなショッキングな瞬間を彼女はどこまで見てしまったのか。


「予知夢は私の視点から見るわけでも、被害者の視点から見るわけでもなくって、なんというか、映画みたいな画角で見るんだよね。そして画面の中心に収まるのはもちろん被害者。他のところはほとんど映らないから、こうやって場所の特定に手間取ったり、園田花枝の時みたいに原因がわからなかったりするんだけど、被害者がどんな目に遭うのかだけはハッキリとわかるよ」

「それはつまり……そういうことか」


 以前彼女は、俺がトラックに撥ねられて死ぬと言った。ということは、その瞬間を予知夢で見ていたということだ。


 人が車に撥ねられる瞬間なんて、俺は見たことがない。映画やドラマの中でならよく見るが、あれはスタントマンの熟練の技術と経験によって怪我をしないように調整された映像でしかない。

 対して彼女が見たのは、正真正銘人間が轢き殺される瞬間のはずだ。夢の中で俺がどんな死に方をしたのか、そんなことは聞く気にもならないが、トラックに撥ねられた人間が穏やかに死ねるはずもあるまい。きっと、凄まじい衝撃と激痛に揉まれて息を引き取ったことだろう。

 そんな光景を、この上ないほどの特等席で見てしまったというわけだ。それを思うと、二日前の彼女の言動を変人だなどとは到底言えない。


「こんなことを聞くのはアレかもしれないけど……お前、大丈夫なのか?」

「何が言いたいのかよくわかんないんだけど? アレって何?」

「いや、その、リアルな事故の瞬間を夢に見るっていうのは、グロテスクだったりしないのかって話」

「……ああ、そういうこと。うん、グロテスク……と言っていいのかどうかはわからないけど、だいぶ心に来る映像ではあるね。ある意味じゃスプラッター映画顔負けだよ」


 美住の内心はどれだけ表情を見ても読めない。だから彼女は不気味だと、以前俺はそう感じた。

 その感覚自体は今でも変わらないが、それと同時に、内心が読めないというのは傷ついていたり、追い込まれていたりしても気づけないということだ。


「でも別に、私は大丈夫。そういうの慣れてるから。弟が結構アクションゲームとかやるからね。ほら、血が飛び出るグロいやつ。ああいうのを普通にリビングのテレビでやるから、耐性ついたんだよね」


 美住はそんなことを真顔で言う。冗談半分で言っているのか、本気で言っているのかは相変わらずよくわからない。


 しかし、そんなわけがないということだけは事実だ。ゲームぐらい俺だって人並みには嗜むが、あんなものは所詮作り物だ。予知夢と違って現実になることもない。


「何? 心配してんの? 私のこと」

「……いやぁ、まぁ、予知夢のことは俺にはよくわからないからなぁ。どんなもんなのかなって思っただけだよ」


 予知夢なんて言うから、その気になれば世界を牛耳れそうなトンデモ能力だと思ったのに、蓋を開けてみると自分の未来は見えず、他人の不幸ばかりが見えて、しかもそれを変えられないという嫌がらせみたいなものでしかなかった。

 しかも夢というのがまた嫌らしい。どれだけ未来を見たくなくても、睡眠は毎日取らなくてはならないし、夢は見るかどうかなんて自分では決められない。もし寝るたびに100%予知夢を見るのだとしたら、毎日目覚めは悪そうだ。


 なんで彼女がそんな力に目覚めたのか知らないが、ちっとも羨ましいとは思えない力だな。


「私からしてみれば、君の方こそよくわからないけどね」

「俺? 俺なんかお前と違って普通の高校生だぞ?」

「まだ言うか。君の幸運は異常なんだよ? もうちょっと自覚を持ってほしいね」

「異常って……確かに運命を変えるほどの力があるってことはわかったけど、そこまで特殊なわけでもないだろ。予知夢と違って、運が良い人ぐらいならそこそこいるからな」

「やっぱりわかってないねぇ。さっきので自覚を持ってくれたと思ったけど、まだ足りないかな」


 そう言って美住はポケットから財布を取り出して、全て種類の違う五枚の硬貨を手の平に置いた。その上に反対の手を被せ、シャカシャカとバーテンダーみたいに振り始める。


「……何してんの?」

「さ! 表か裏、どっちだと思う?」


 手の中の硬貨を右手で握りしめた美住は、それを左手の甲に叩きつけた。右手で蓋をされていて見えないが、その下では五枚の硬貨が裏表混在した状態になっているはずだ。


「1円、5円、10円、50円、100円、順番に答えて」

「そんなのわかるわけ……」

「だから、当てずっぽうでいいよ。適当に言ってみて」

「俺の運を試そうってことか。無駄だと思うけどね、運が良いって言っても別に百発百中じゃないし、もしそうなら競馬でもして今頃大金持ちになってるよ」

「いいから言ってみなって。それでわかるからさ」


 美住は口もとに薄っすらとした笑みを湛えていて、自信満々といった様子だ。しかし残念ながら、俺の幸運はそう都合よく発動できるわけじゃないんだ。


「じゃあ、全部表だ」

「……全部?」

「そう、全部表。数字の書いてない方な」


 俺の答えを聞き、右手をどける美住。その下から出てきた五枚の硬貨は、その全てが


「え……なんで?」


 あり得ないとでも言いたげに、細かく肩を震わせているところ悪いが、これが現実だ。運の良さなんて当てにならないものである。


 俺の幸運には運命を変える力がある。だから美住が過剰な期待をしてしまうことは理解できないわけではない。

 しかし、前にも彼女が自分で言っていたことだが、運が良いからと言って全てが思い通りにいくわけではないのだ。予想を外すこともあるし、狙いが失敗することもある。


「全部外れた……そんなことあるの?」

「そりゃあるだろ。確率的には」

「もしかして、わざと?」

「正解がわからないのにどうやって外すんだよ。偶々だよ。適当に予想したら、外れたってだけ。だから当たる可能性もあったはずだけど、一つも当たらなかったってことは運が悪かったんだな」


 美住は俺の顔と、手の甲に乗った硬貨を交互に見て、しきりに首を捻っている。どうやらまだ納得できていないらしいが、一体俺の幸運を何だと思っているんだろう。


 その後も彼女は、色々な方法で俺の運を試してきた。結論から言えば、平均よりはちょっと運が良い方ぐらいの結果に収まった。計算上の的中率よりは少しだけ上になるものの、ただそれだけだ。


 園田の件で見事に未来を変えてみせたのが、誤解を与えてしまったのか、美住は酷くガッカリしているように見えた。

 どれだけの幸運だろうと、それは運なのだ。外れることも、当たることもあるからこその運気であり、確率なんだ。


「────私、まだ君の幸運のことをちゃんと理解できてないかも」


 気の済むまで様々な検証をした美住は、よくわからないという答えに行き着いたらしい。


「だから言ってるだろ? 俺はただ運が良いだけなんだよ。お前の予知夢と同列に扱うようなものじゃないんだって。けど、運命の修正力に抗えるってところだけは間違いないみたいだし、それでいいじゃないか」

「……う、うん。そうだね。未来さえ変えられるなら、それでいいよ」


 こんな話をしている間にも時間は刻々と過ぎていく。いつの間にか空は赤く染まり始めていて、遠くから野球部がジョギングの時に発する掛け声が聞こえて来た。


「どうやらそろそろみたいだぞ」


 これからここで事故が起こり、未来ある一人の野球少年の選手生命が断たれてしまうことになる。

 それがわかっていると、ありふれた夕暮れ時の街並みも、まるで淀んだ戦場の空気かのようにずっしりとした重みを帯びてくる。手に汗が滲み、舌先が軽く痺れる。


「細かい作戦は決めてなかったけど……臨機応変にアドリブで対応するってことでいいのか?」

「そうだね。君がここに居る時点でもう予知夢の状況からはズレてるから私は役に立たないし、君の判断に任せるよ」


 ここからは俺の役目……わかってはいたことだが、改めてそう言われるとプレッシャーに圧し潰されそうだ。


 心臓の鼓動に急き立てられながら、少し離れた電柱の陰で屈んで待っていると、道の先から隊列を組んで進む野球部の姿が見えてきた。


「うわぁ……本当に来た」

「しっ、まだ出ないで。もっと引き付けてからじゃないと、未来が変わった時に対応できない」


 ここで道路に飛び出し、大声を出して彼らを呼び止めれば、T字路で起こる事故に関しては防げるだろう。しかしその場合、場所を変えて同じような事故が起こる。

 だから運命を変えるのならば、もっと直前まで待って、何かしら運の要素を絡めつつ行動を起こすしかない。考えれば考えるほど無茶ぶりな気がしてくるが、ここで逃げてももう遅い。


 ジョギングとはいえ、彼らのペースは結構速い。遠目に見えていた姿があっという間に近づいてきて、T字路に差し掛かろうとしている。


「そろそろだよ」

「わかってる」


 俺はゴクリと唾を飲み、状況を見守る。果たしてここで何が起こるか。美住の見た予知夢の通りなのか、それとも俺たちがここにいることによって多少の変化が起こるのか。

 何が起きたとしても、俺のやるべきことは変わらない。自分の幸運を信じて、事故の発生を防ぐだけだ。


「────あ、悪い。靴紐解けた。先行っといてくれ」


 先頭を走っていた部員が、隊列を離れて足を止める。アレが多磨野先輩だ。事前に確認してあるので顔は知っている。


 周りに人がいなくなり、T字路の中心には多磨野先輩ただ一人。事故が起こるとすれば明らかに今だ。しかもおあつらえ向きに、車が一台接近してくるのが見える。

 ちょうど互いに死角に入っていて、気づく気配もない。多磨野先輩が靴紐を結び終えてまた走り始めるのと、角から車が出てくるのが同時なら、美住が見たという予知夢をピッタリ再現する結果となりそうだ。


「よし、そろそろ────」


 これ以上引き付けるのは危険だ。そう思い立ち上がろうとしたところ、右袖を強く引っ張られて軽く体勢を崩した。


「おい、なんだよ! 早く行かないと……」

「……待って」

「なんでだよ。もう車が近づいて来てるぞ!」

「あの車……緑のトラック……」


 美住の様子がおかしい。顔色は異様なほど真っ青に染まり、尋常じゃない量の汗が額に滲んでいる。ほんの数秒前まで平然としていたのに、突然恐怖のどん底に突き落とされたみたいに硬直してしまった。

 限界まで開き切った瞳孔は接近してくるトラックを凝視していて、他の全てが見えていない様子だ。


 放っておくと危険そうだが、しかしだからと言って、目の前で起こる事故を放置することはできない。刻一刻と、その瞬間は迫っている。


「……よし」


 立ち上がった多磨野先輩が数回つま先で地面を叩き、かかとの位置を調整して、今にも走り出そうとしている。

 角の向こう側には、もう目と鼻の先まで車が迫っている。今進んだら危険だ。止めるならもう────この瞬間しかない。


 俺は引き留めてくる彼女の手を振り払い、全速力でT字路に飛び込んだ。地面がアスファルトで舗装されていることも、目の前に車が接近していることも構わず、ヘッドスライディングするような形で多磨野先輩を突き飛ばす。


「うわっ⁉」

「ぐっ……!」


 あまりにも後先考えずに行動したせいで受け身すら取れず、俺と多磨野先輩は二人で硬い地面の上を転がる羽目になった。

 直後に体を巨大なハンマーでブン殴られたかのような衝撃が襲い、意識が朦朧としてくる。


「…………?」


 酷い耳鳴りがして、世界がグルグル回っている。あるいはこれはクラクションの音だろうか。そんなことの判別すらつけられそうにない。無我夢中だったとはいえ、いくら何でも勢いをつけすぎた。頭がボーっとする。


 先輩はちゃんと助かったのだろうか、車は止まってくれただろうか、俺は今どうなっているのだろうか。

 何もわからない。状況を掴めない。自分が今どっちを向いているのかも、どっちが地面でどっちが空なのかもわからない。


 ────遠くから、誰かが呼ぶ声がする。俺の名前が、辛うじて聞こえてくる。誰かが俺を、呼んでいる。

 しかしその呼びかけが俺の意識を目覚めさせることはなく、瞼がストンと落ち、視界に暗幕を下ろした。


 ……ただひたすらに、全身が痛い。

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