第9話 変人と小心者

 自転車の二人乗りは道路交通法違反であり、とても褒められたことではないが、よく青春の1ページとして扱われる光景ではある。


 あれもある種の非日常感ということなのだろうか。二人乗りの最中は堂々と異性と密着できる大義名分を得られるし、その姿を周囲に見せつけることもできる。

 それに、大目に見てもらえるのは十代の内だけという期間限定感もある。大人になってから自転車の二人乗りなんかしていると、非常に痛々しい。


 甘酸っぱい要素もあり、今しかできないことでもあり、充分に青春の要素を満たしている行為であると言えよう。


 しかし、俺たちの場合は別に青春でも何でもない。目的を果たす最も合理的な手段であるがために、やむを得ず行うというだけのことだ。


 確かに美住未玖は可愛い。そこは認めよう。これを認めないと、逆に俺が変な意識を持っているみたいになるので、素直に認めておこうじゃないか。

 入学初日に他学年まで噂が駆け巡るほど容姿端麗だし、いつも厚着をしているため気づきにくいが、胸もそこそこ大きい。リンゴを掴むことにも一苦労しそうな小さな手には愛くるしさを覚える。表情をコロコロ変えはするものの、その内心までは見せてこないミステリアスなところも魅力的だ。


 だが、これらはあくまでも遠目に見ている限りではの話である。どれだけ可愛くても、近づけば危険であることに変わりはない。例えるなら、肉食獣の赤子のようなものだ。


 だから誰も近づかない。ほどほどに距離を取って、まるでそこに居ないかのように扱う。いつ見ても彼女は一人だし、周りに味方は一人もいない。

 そんな彼女と自転車の二人乗りをしようという男がここにいる。お前は正気かと言いたくなるが、残念ながらそれは自分自身である。

 未来予知だの、運命を変える強運だのと言われた直後だ。どちらかと言えば正気ではないんだろうな。自分が正常な判断力を維持できているとは到底思えない。


「……じゃあ俺が前に乗るよ」


 五秒ほど沈黙した後、俺はハンドルを握ることを選択した。何となくのイメージだが、やはりこういうのは男側が運転することが多い気がする。


「ふーん、背中に胸を押し付けて欲しいってことね」

「……やっぱり、後ろに乗ろうかな」

「ほうほう、つまり私の体に背後から抱き着きたいと」

「正解がない⁉ どうすればいいんだよ俺は⁉」


 困っている俺を前に、美住は興味なさげに髪をいじっている。からかうならせめて楽しんでほしいのだが……一体誰のために俺はこんな苦労をしているんだ。


「……わかった。わかったよ。じゃあ俺が前に乗る。お前は後ろに乗れ」

「それが君の……運命の選択なんだね」

「何意味深に言ってんだ。適当に決めただけだっての。サドルの高さ、変えてもいいかな?」

「終わったら戻してくれるなら、好き放題にしていいよ」

「好き放題ってほどいじるわけでもないけど……」


 俺と美住の身長差は20センチくらいあるからな。調整せずに乗るのはちょっと厳しい。


「乗る前に一応確認しておきたいんだけどさ。本当にいいの?」


 サドルの高さ調節を終え、すぐにでも発進できる準備が整ったところで、美住がそんなことを聞いてくる。


「しつこいぞ。前とか後ろとか、そんなくだらないことを気にしてる場合じゃ……」

「そうじゃなくって、私と二人乗りなんかして本当にいいの? 目立つよ? 変な噂が立つかも」

「……ああ、そういう意味か。え、何? 急にどうした? お前がそんな気を遣ってくるなんておかしいだろ」


 美住は誰からも距離を置かれる変人で、本人もそれを自覚している。それは何度か会話を交わすうちにわかってきたことだ。

 けど、彼女自身はそれを気にする様子もなく、平然としているものだとばかり思っていたのに。


 いや、そうじゃないな。こいつが変人であることは間違いないと思う。けど、高校に入ってからずっと繰り返していた奇行については、ちゃんと理由があったんだ。そのことを俺は知っている。予知夢の存在を知った俺だけが、事情を理解している。


「俺までお前の仲間扱いされるかもって、そう思ってるのか?」

「……そう、私がクラスで浮いてるのは知ってるでしょ? だから君と話す時はなるべく誰かに見られないようにしてるつもりだけど、二人乗りなんかしたらかなり目立つと思う。それが嫌なら、一度ここで別れて、学校から離れたところで合流するっていう手もあるよ」

「そっか……今思い返せば、お前は最初から気にしてたんだな」


 美住が俺に声をかけてくるのは、誰もいなくなった放課後の教室とか、男子更衣室とか、人気のない場所に限られていた。人目に付き得る場所で声をかけていたのは俺の方からだけだ。

 俺が他人との距離を一定に保ち、平穏な人間関係を構築しようとしていることは傍から見ていても簡単にわかるだろう。友達はいないが、敵もいない。そういう生き方を俺はしてきた。彼女はそれを汲んでくれていたんだ。


「じゃあ、俺からも一つ確認していいかな」

「……何?」

「入学直後、美住未玖と言えば学年一の美少女扱いだった。その評価がひっくり返ったのは、お前がずっと理解不能な行動を繰り返してきたからだ。でもそれも、全部誰かの未来を変えるためにやってきたことなんだろ?」

「それは……一応、ね。でも結局未来は何一つ変えられなかった」

「変えられなくても諦めなかったからこそ凄いんだよ。なのに俺がここで人目を気にして別行動するとか言い出したら、いよいよショボい男になるじゃないか」


 変人扱いされても構わないとか、周りの目なんか気にならないとか、そういう格好良いことを言えたら良かったんだが、生憎俺はそこまで覚悟が決まっているわけじゃない。

 ただ、流石にここで二人乗りを拒否するほど、俺も恥知らずではない。未来を変えるためにパートナーを組んだ以上、心の準備くらいできている。


「それに、ここで余計な時間を使って、未来を変えるのに失敗したらどうする? 完全に俺のせいじゃん。取り返しつかないって」

「……この流れだし、もっと私を励ます感じのセリフがくるかと期待してたんだけど君にそんなものを求めた私が愚かだったよ」

「え? うーん……ずっと変えられない未来と孤独に戦ってきたお前は、すごく……頑張ってたと思うぜ!」

「もういいよ。君に労ってももらってもあんまり嬉しくないし。私が孤独なのは昔からだから。予知夢には関係ない」

「……やっぱり変人なのは素だったんだな」


 俺は美住のことを変人だと思っていた。そして今でも思っている。だがその印象はほとんど180度と言っていいほど大幅に変化した。

 どうせ変えられないとわかり切っていた未来を変えるため、誰に嫌われようと、誰に疎まれようと、己の意思を貫き続けて来たんだ。本人には言わないけど、不覚にもそんな彼女を格好良いと思ってしまっている。


 大して仲良くもない他人のためにそこまで頑張れる彼女を素直に尊敬する。俺なんてなんだかんだと理由をつけて、他人との距離を詰めることを避け、余計な物を背負わないように逃げ続けて生きて来た姑息な男だ。


 俺と美住はやはり対極だ。あらゆる意味で考え方が真逆であり、本来ならば絶対に交わることのなかった相手だと思う。


 俺はクラスの全員とほどほどの距離を取り、誰とでも仲良く、しかし誰とも友人にならないくらいの関係を築いている。それは社交性が高いようで、言い方を変えれば誰の人生にも責任を負わないということだ。小心者の生き様だと言われても、否定はできないしするつもりもない。

 対して美住は、誰からも好かれず、誰とも良好な関係を構築できていない。その割に彼女は誰彼構わず距離を詰め、その未来に介入し、不幸な未来から救おうとしてきた。結果的にそれは失敗したが、決して責められるようなことではない。やり方こそ不自然だったかもしれないが、志は立派なものだ。


 他人との距離が近いようで遠い俺と、遠いようで近い美住。予知夢と幸運の奇妙な繋がりさえなければ、絶対に二人乗りなんてしなかったはずだ。

 そんな現状が、果たして幸運なのか不幸なのか。それについて考えるのは、目の前に迫った悪夢を改変してからにした方が良さそうだ。


「私は変人と呼ばれても気にしないけど、君も問題ないって言うなら、もうここでグズグズしてる理由はないね。じゃあサッサと行こうか」


 彼女は優雅にスカートをまとめ、自転車後方の荷台に横向きに腰を下ろす。俺がサドルに座ると、木にしがみつくコアラみらいに腰へ両腕を回した。


「じゃあ安全運転でお願いね。私たちが事故に遭ったら世話ないよ?」

「確かにそれは人の心配をしている場合じゃないな」


 俺は後ろに座る美住の体がガッチリ固定されたのを確認し、地面を強く蹴って漕ぎ出した。


「ああ、そういえば私、下着は濡れたまま変えてないんだよね」

「え」

「風に当たると体が冷えるからさ。なんかこう……上手い事やってくれない?」

「そんなもんできるか‼」

「くちっ」


 やけに可愛らしいくしゃみを背に聞きながら、俺たちは下校中の生徒の視線をいくつか集めつつ、校門をくぐった。

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