第8話 未来を変える準備

 ある日突然、日常がいきなり崩壊するという妄想をしたことがあるだろうか。原因については何でもいい。宇宙人の襲撃でもいいし、異世界への転生でもいいし、合体ロボのパイロットになるでもいいし、とにかく今の現実をひっくり返すような超常現象だ。

 きっと多くの人が、それらに憧れていたことだろう。俺だって例外じゃない。退屈な日常を破壊してくれる存在を夢見たことがないと言えば嘘になる。


 けれど、やっぱり普通が一番なんだ。そういう結論に達したのは割と最近で、多分中学を卒業した頃だと思う。

 スーパーヒーローとか、超能力とかに憧れたこともあった。けど、もし本当にそんなものが現実になったらどうなんだろうと冷静になって考えてみたら、あったはずの渇望がすっきり消えていったというか、冷めていったというか。


 皆に憧れられるような力を手に入れるということは、強い影響力を持つということだし、強い影響力を持つということは、重い責任を背負うということだ。俺はいつしかそういうのが嫌だと思うようになっていた。


 だから未来予知が現実にあると知った時も、自分の幸運だけが運命を変え得ると知った時も、困惑や混乱こそあったが、期待するような気持ちにはなれなかった。非日常感を楽しむ余裕が、俺にはなかった。


 結局のところ、俺は小物なんだろうな。美住から、今日の放課後に起こる出来事について聞いて、俺は自分で思っている以上に動揺していたらしい。午後の授業には全く身が入らなかったし、ずっと貧乏ゆすりが止まらなかった。


「────何をソワソワしてるの?」


 放課後、教室に残っているのは俺と美住だけ。シチュエーションとしては、初めて彼女と会話した二日前とよく似ている。


「むしろ俺の方が聞きたいよ。なんでお前はそんなに平然としてるんだ?」

「なんでって?」

「だって、これから多磨野先輩が大怪我するんだろ? 二度と野球ができなくなってもおかしくないくらいの」

「そうだね。まあ死にはしないと思うけど」

「それって結構ヤバいことだぞ? わかってる? あの多磨野先輩だぞ? たまにプロ野球のスカウトが練習見に来るぐらいの逸材らしいし、そんな人の選手生命が今日で終わりって聞いて、冷静でいられる方がおかしいだろ!」


 舌を噛み切りそうなぐらい早口で、なおかつ頭が沸騰しそうになるほどの熱量を持って語ったつもりだったが、あんまり美住には響かなかったみたいだ。彼女はいつも通り、感情のいまいち読めない顔で、平然と俺を見つめている。


 この神経の図太さ……俺が小物だとするなら、彼女こそが大物なのだろうか。それはそれでなんか違う気もするけど。


「何より、これから怪我するってところが一番怖い。昨日怪我したって話なら、俺もそんなに動揺しなかったと思うよ? 俺は野球あんま詳しくないし、多磨野先輩とも関わりはない。だから、有名な先輩が怪我したらしい……で終わったと思う。けど怪我をするのはこの後で、しかもそれを阻止できるのは俺だけって話なら、緊張しないわけないじゃないか」

「それはそうかもしれないけど……うーん、君っていまいち頼りないよねぇ。発想が小市民的というか、生き様がショボいっていうか」


 似たようなことを自分でも思っていたところだが、美住から言われると素直に受け止める気が全くなくなる。自分で気づいている欠点も、他人から指摘されるとムカつくものだな。


「お前の感覚と一緒にしないでくれよ。俺はついさっき、予知夢の実在を認めたばっかりなんだぞ? 生まれつき予知夢を見てたお前は慣れてるかもしれないけど、俺はまだまだ色々とビビってるんだから」

「ん? この予知夢は生まれつきじゃないよ?」

「……そうなの?」

「うん、初めて見たのは今年の三月だから」


 まだたったの二か月くらいってことかよ……それでこんな、歴戦の風格を漂わせてるのか。てっきりこの道十五年の熟練者かと思ってたのに。


「だから別に慣れてるわけでもないよ。私だってただの女子高生だったんだから、いきなり未来予知なんかできるようになっても持て余すって」

「ただの女子高生と呼ぶには変わり者すぎる気もするけど……」

「……今はそうかもね」


 美住は俺に背を向け、スタスタと歩き出す。後ろで組まれた手には鞄が握られていて、どうやらこのまま教室を出て行くつもりらしい。


「ちょ……おい! 行くなら行くって言えよ……」


 俺は慌てて自分の鞄を持ち、彼女の後を追った。声をかけても立ち止まる気配はなく、流れそのままに靴を履いて外へ出る。


「おい、どこ行くんだよ。方向逆だろ。グラウンドは反対だぞ?」

「グラウンドには行かない」


 やっと立ち止まった美住は、軽く首を回して背中越しにそう呟く。


「……? 何言ってんだ。野球部ならグラウンドに……」

「いない。野球部は今日、ロードワークだって言ってたから。私が見た予知夢の舞台も、グラウンドじゃなくてその辺の道路だった」

「い、いつの間にそんな情報を……」

「昼休み、保健室に行ったときに工藤に聞いた」


 工藤と磯部の怪我は幸いにも軽傷だった。しかし二人とも足を捻ってしまったらしく、親に迎えに来てもらって早退したという。

 それまでは保健室で待機していたはずなので、着替えを借りるために保健室へ行った時に、練習メニューを聞き出したというわけか。


「抜け目ないな、お前」

「今朝の時点で考えてはいたからね。私が話しかけた相手は大体逃げるし、情報を聞き出すなら動けない相手を狙うのが手っ取り早いかなって」


 確かに、前触れなくいきなり美住に話しかけられたら誰だって構えるよなぁ。まともに会話ができる状況じゃなくなるのは容易に想像できる。


「それなら俺を使えば良かったのに。俺なら野球部の知り合いも何人かいるし、練習メニューくらい、普通に聞けたと思うけど」

「君の行動は未来を変えかねないから、良くも悪くもね。そのせいで状況が予知夢と乖離するようなことになれば、怪我を防げなくなるかもしれないでしょ?」

「……なるほど、だから昼休みの時点では、詳しい説明をしなかったんだな」


 園田の例でわかったように、未来で起こる事象の結果はそうそう変わらないが、過程を変えることは、少なくとも俺にとっては容易い。

 多磨野先輩が怪我をすることはわかっていても、どこでどのように怪我をするのかは状況次第で流動的に変化するということだ。だったら下手に動かず、予知夢通りの状況を作り出し、直前で動いた方が、怪我を防げる確率は上がる。


「具体的なことは現地で説明する。今は予知夢で見た場所に先回りすることが優先。夢の中では空が赤かったから、時間にはまだ余裕があると思うけど、あんまりのんびりもしてられないよ」


 腕時計を見れば、現在時刻は4時15分。日没はこの時期だと大体7時頃だと思うから、夕暮れ時となるとその30分前ぐらいか……? となると猶予はあと二時間ってとこだな。


「正確な場所がわからないから、まずはそれを特定するところから始めなきゃいけないわけだけど……」

「野球部がロードワークで行くところなら、前に工藤から聞いたことがあるぞ。その辺を当たってみれば、多分見つかるんじゃないか?」

「じゃあ早速そこへ行こう。ところで君、自転車は持ってる?」

「いや? 俺、徒歩通学だし」

「ふぅん……」


 美住は意味深に目を細め、俺の顔を見つめる。値踏みされているような、疑われているような、そんな目だ。


「……なんだよ?」

「いや、こうなることがわかってたから、私は今日自転車で来たんだけどさ。君が徒歩じゃ、その機動力を生かせないから、二人乗りをしようと思うんだよ」

「ん、異論はないけど、何か問題が?」

「……何も思うところはないんだ。やっぱり君、そういうところは変わってるよね」


 少しだけ眉を上げた美住は、駐輪場から一台の自転車を引っ張り出してきて、押し付けるかのように俺の目の前に停めた。


「じゃあわかりやすく、直接的に聞くけどさ。私の腰に手を回すのと、私の胸を背中に押し付けられるのと、どっちが良い?」


 ……何というかそれは、わかりやすくはあるが、答えにくい質問だった。

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