第7話 活動開始
一度教室へ戻った俺は、机の横にかけてある体操服袋の中からタオルを一枚引っ張り出し、花壇へと向かった。
いくら彼女が学校一の変人であるとはいえ、濡れたまま放置というのは流石に可哀想だろう。花壇の様子を見るよう頼んだのは俺だし、手を貸す義務くらいはある。
「────こんなことは初めてだよ」
水溜りに腰を下ろしたまま硬直した美住が、絞り出すような声で言う。その表情からは、相変わらず内心が読めない。
「ほら、タオル」
「……それ、君が使ったやつでしょ? 悪いんだけど、男の汗の臭いを嗅ぐような趣味は私にはないかな」
「違うわ! 予備でもう一枚持ってたんだよ」
「予備のタオル? そんなものをいちいち持って来てるの?」
「普段は持ってこないよ。今日は偶々だ。昨日の晩に体操服を準備して、その時にタオルも入れたんだけど、それを忘れて今朝またタオルを入れちゃったんだ。だから二枚あって、片方を予備ってことにしただけ」
「ふぅん……じゃあ、運が良かったってわけね」
今まさに不運に見舞われたばかりの美住は嫌味っぽく、一部を強調してそう言った。
彼女は全身から水が滴っており、まるで着衣水泳の後のようだ。狙って水をかけられたわけでもないのに、よくもまあこれほどクリティカルヒットしたものだな。相当運が悪かったとしか言いようがない。
「全く……君が未来を変えたせいで、濡れ濡れになるのが私になった」
「やっぱこれって俺のせいか? 俺が未来を変えたせいで、運命の修正力が標的をお前に変えたってことなのか?」
「さあね、前も言ったけど、私には私の未来はわからないから。ひょっとしたら元々こういう未来だったのかもしれない。けど、腹が立つから君のせいということにして八つ当たりする」
美住は俺の前で軽く手を振り、水滴を飛ばしてきた。さながら海辺ではしゃぐバカップルだ。とはいえ、別に楽しくもないし、甘酸っぱくもない。
「やめろって……タオルいらないのか?」
「いる」
露骨に拒絶を示しながらタオルを交渉材料に脅しをかけると、彼女はすんなり攻撃をやめ、俺の手からタオルをひったくった。
六月目前で、徐々に温かくなってきているとはいえ、こうも全身ずぶ濡れになってしまえば体も冷えるだろう。よく見れば、肩が小刻みに震えているのがわかる。
「ちょいちょい、ガン見しすぎじゃない? 透け透けの制服見て興奮するのはわかるけどさ、もうちょっと隠しなよ」
俺の視線に気が付いた美住は、持っていたタオルをカーテンのようにして、自分の体を視界から遮った。
「……別にそういうつもりで見てるわけじゃないって。ただ寒そうだな~と思ってただけで」
「それはつまり私に色気がないってこと?」
「そうだね」
間髪入れずに頷くと、美住は汚物でも見るような目で俺を見上げてくる。
「君、あんまりデリカシーないね。もうちょっと空気を読んで喋らないと、女の子にモテないよ?」
「お前が言う⁉」
モテるどころか、全校生徒から変人扱いされている奴にだけは言われたくないセリフだ。
俺は無難な人間関係を構築することにかけてはそれなりに自信がある。恋人や親友は作れずとも、敵を作ることもない。
味方を作ることのない美住の生き様と比較すると、まるっきり対照的であると言える。そりゃ相性も悪いわけだな。
「で、どうなの? 彼女は無事なの?」
「園田さんのこと? それなら問題ないよ。もうそろそろ昼休みも終わるし、未来は完全に変わったとみていいんじゃないかな?」
「そっか」
タオルを頭に被せ、丁寧に水気をとっていく美住。俺はようやく立ち上がった彼女の肩にブレザーをかけた。
「ちょっと、濡れちゃうよ?」
「別にいいよ。それより、早く保健室に行って代わりの制服を貰って来たら? 昼休みも残り時間少ないし」
「…………」
「……なにさ」
この無言の時間はなんだ。ジッと俺の目を見つめて、何を主張したいんだ。こういう時、顔から内心が読めない奴ってのは不気味なんだよな。
「君ってさ、やっぱちょっと変わってるよね。私ほどじゃないけど」
「……やっぱ自覚あったんだな」
「君には自覚がないらしいね」
自覚も何も、俺はどこにもでもいる普通の高校生だと思うけどな。というか、そう思われるように振舞っている部分はある。
あんまり目立つのは好きじゃないし、かといって存在感が無さすぎても過ごし辛いし、何事もほどほどに、普通が一番。これが俺の処世術だ。
だからまさか美住から変人扱いされるとは思ってもみなかった。しかし変人から変人と呼ばれるということは、一周回って普通だということな気もする。価値観のズレている人から、価値観がズレていると言われているわけだからな。俺からしてみれば誉め言葉に等しい。
「何をニヤニヤしてるの?」
「別に何も。それより、これからどうする? お前の予知夢と、俺の幸運の力がこれでハッキリしたわけだけど、ここから本格的に未来を変えるための活動を開始していくのか?」
「……何? 君、そんなヒーローみたいなことがしたいの?」
「ヒーローみたいって……え、違うの? そのために俺の力が必要なんじゃ……」
「概ねそうだけど、別に人助けってわけでもないからね。あんまり期待されても困るよ」
「人助けじゃない……? 謙遜せずとも、不幸な未来を変えたんだから充分人を救ってると思うけど」
「違うよ。これは人助けじゃない。それだけは勘違いしちゃ駄目だよ」
自惚れまいとする高潔な精神なら立派だが、過度な謙遜は自己評価の低下を招くだけだ。人を助けたのなら、それは誇ればいい。自慢したっていいくらいだ。未来予知はそれぐらいすごい力だと思う。
いや、そもそも美住にそんな高潔な精神など宿ってはいないか。じゃあなんで、人助けだと認めたがらないのか。彼女の考えていることはよくわからない。
「でも、そうだね。ここから本格的に活動していくのは間違いないよ。君は部活に入ってないし、友達も居なさそうだし、暇そうだし、問題ないよね?」
「酷い言われよう……だけど間違いではない……まあ、問題ないよ」
美住と一緒に行動しているとこっちまで変人扱いされかねないという問題点は依然として残っているけどな。
けど、予知夢だの、幸運だの、超常的な物を見せつけられた直後で、そんな細かいことを気にするほど、俺も器が小さくないつもりだ。未来を変えられる力があるのなら、何もしないというわけにもいかないし、ここは彼女に従うしかあるまい。
「それじゃ、さっそく今日の放課後から」
「放課後? まだ今日の分の予知夢があるんだ」
「沢山あるよ。割とどうでもいいのも予知したりするから。何を不幸と感じるかは人それぞれってことなのかな。けど、放課後に起こる事故は、割とどうでもよくない」
放課後に起こる事故──まだ発生すらしていないそれを、彼女は既に知っている。その感覚はやっぱり奇妙だ。
あり得ない、おかしい、異常だ、気味が悪い、不思議だ、変だ、という感覚が先に来てしまう。
もう美住のことは疑っていない。妄言だとも、虚言だとも思っていない。彼女がよくないことが起こると言えば、それは実際に起こるのだろう。しかしこれは理屈ではなく感覚の問題だ。すぐには慣れそうにない。
「一体、何が起こるんだ?」
「細かい説明は後でしようと思うけど……じゃあ端的に何が起こるかだけ伝える。君は野球部の
「多磨野……? ああ、野球部のエースの? 確か、プロ入りするかもってぐらい凄い人なんだよね。その人がどうかするのか?」
「彼の選手生命が永久に断たれる」
端的に何が起こるかだけ伝える。その言葉通り、彼女はこれから起こる未来を、余分なものを限界まで削ぎ落した最低限の言葉で表した。
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