第6話 予測不能
「────ところで君、濡れ濡れの女の子は好きかな?」
「……美住さんって、本当に話に脈絡がないよな」
午前の授業が全て終わり、現在は昼休み。いつもなら一人でのんびりと弁当に箸をつけているところだが、今日は美住と二人でコソコソ空き教室の物陰に潜んでいる。
言うまでもないことだが、別に逢引きというわけではない。広義的には相違ないのかもしれないが、決してそんなキャッキャウフフな空気ではないのだ。そこだけは勘違いしてほしくない。
「もし好きならこの予知夢は回避しなくてもいいかもしれないと思って」
「変な前置きは良いから早く説明してよ。これから起こる事故をいくつか防いで、俺の力を試すんでしょ?」
「そうなんだけど、君がやたらと気張ってるからさ。リラックスさせてあげようかなと。で、どうなの? 好きなの? 嫌いなの? 水浸しになって、シャツが肌に張り付いて薄っすらと透けてる状態の女の子見て、興奮したりするの?」
「……そりゃ、俺も男だし、嫌いってことはないけど。でも俺はどちらかというと露出の少ない格好の方が好きだから────って何言わせてんだよ‼」
ついつい勢いに押され、正直に答えてしまった。美住は目を細め、満足そうにしながら数回頷く。
「案外硬派な男なんだね、君は」
「うっさいなぁ……早く本題に入れって」
「そうだね。これ以上雑談してると、間に合わなくなりそうだし」
美住はコホンと一回咳ばらいを入れ、ようやく本格的な作戦会議に入る。
「まず私が見た予知夢の話からしようか。時間は昼頃、場所は南校舎の外、園芸部の花壇がある場所付近だった。そこでうちのクラスの
「園田さん……ああ、園芸部の人か。昼休みの時間なら、週ごとに交代で花壇の様子を見に行ってるって聞いたな」
「なら、その活動の最中ってことになるんだろうね。花壇の横で屈んでいた時に、急に上から大量の水が降ってきて、彼女はパンツまでびしょ濡れになる」
「……ちょっと待って。話が急だな。大量の水?」
俺はカーテンを開け、外の様子を伺う。そこには雲一つない、抜けるような青空が広がっている。
「雨なんて降りそうにないぞ?」
「雨に濡れるだけなら、回避する必要もないよ。私の予知夢にも出てこないはず」
「まあ、それもそうか。ただの自然現象だしな。ってことは、何? 誰かに水をぶっかけられるってことなのか?」
「その可能性が高いかな」
「可能性? ハッキリしない言い方だな」
「私が見た夢の中では、いきなり上から水が降ってきたことしかわからなかったからね。彼女が上を確認しても、そこには何もなかったし」
いきなり上から水が……それも雨ではないとするなら、上の階にいる誰かが水をぶちまけたということなんだろうか。しかし何のために?
「何も悪い事してないのに、いきなり水をかけられるなんて可哀想だよね。とはいえ別に大怪我をするわけじゃないし、保健室で着替えを貰えば済むだけのことだからわざわざ阻止するまでもないと思ってたけど、君の力を試すためにこの未来を変えてみようと思う」
「そうだな。そこまで大きなトラブルってわけでもないけど、止められるなら止めてあげたいところだ。で、俺はどうしたらいいんだ?」
「そんなの知らないよ。私は予知夢を見るだけなんだから。その内容は君に伝え終わったし、もう私の仕事は終わりだよ。ここから先は君が考えて行動しな」
ここで俺に丸投げかよ。でも、一応これは俺の力を試すためのものだし、俺が自分で考えて行動しなきゃ意味ないってのは正論なんだよな。
「うーむ、何から始めるべきかな。やっぱり園田さんを花壇に行かせないのが一番手っ取り早いか」
彼女が外に出なければ、上から水が降ってくることもなかろう。屋根のある場所に居てさえくれれば、未来は変えられるはずだ。
「一応言っておくけど、流石の君でもちょっとやそっとで未来を変えることはできないと思うよ。多少過程が変化することはあるかもしれないけど、結果は変わらない」
「そうは言っても、屋内で水が降って来ることはないだろ」
「その場合、上から降って来るというところだけが変化して、濡れるという結果は変わらないみたいな感じになるかもね」
「屋内で濡れる……? 突然水道管が爆発するとか? そんなことあるのか?」
「わからないよ。運命の修正力は、君が思っているよりも結構強い。だからこそ私は君の幸運に頼っているんだし」
園田を花壇に近づけないという対処なら、美住でもできる。そうしないのは、したところで無意味だからだ。結局彼女は何らかの理由によって水をかけられることになる。
とすれば、俺はどうしたらいいんだ。幸運によって未来を変えると言っても、運なんて自分で操作できるものではないし、どうやったら発動するのかもわからない。
「まあ、ごちゃごちゃ考えても始まらない。行動あるのみだ。それが昼休み中に起こることだって言うのなら、もうあんまり猶予もない」
園芸部は、昼ご飯を食べ終わってから昼休みの残りの時間を使って、花壇の手入れをしに行く。昼休みは既に三分の一が経過しており、そろそろ食べ終わっていてもおかしくない時間帯だ。
大食いの運動部ならともかく、園田は多分そう沢山食べるタイプではない。そうなると、食事にかける時間も短いだろう。今にも教室を出て、外へ向かっているかもしれない。
俺たちは昇降口へと移動し、花壇へ向かうためにここを通るであろう彼女を待ち伏せることにした。
「外へ出るのに靴を履かないということはないだろうし、ここで絶対に止められる」
「本当にそうかな? 何が起こるかわからないよ?」
「いや、お前にはわかってるはずだろ。予知夢の中では、園田さんは普通に靴を履いてただろ?」
「うーん、そんな細かい所は憶えてないけど」
「特徴的なことをしていれば憶えてるはずだ。記憶に残ってないってことは、取るに足らない普通の行動だったってこと。今日俺は園田さんと一切接触してないし、現時点では未来が変わる要素は何もない。つまり、彼女は絶対にここを通る。何か異論はあるか?」
「……ない」
美住はなぜか少し悔しそうにしながらも、俺の推理を肯定した。
会話の中でいちいち茶々を入れなければ気が済まない美住としては、そんなものを挟む隙間の無い論理を展開されると弱るのかもしれない。そう考えると、彼女に一杯食わせたようで気分が良かった。
「あ、噂をすれば」
美住の視線を追うと、そこには下駄箱の前で上履きを脱いでいる園田がいた。波乱が起きることもなく、俺の予想は普通に当たった形だ。
「で、ここからどうするの? 彼女を外に出さないって言ってたけど、タックルでもして押し留める?」
「そんなことするわけないだろ。俺の人生終わるわ」
間違いなく、嫌われるだけじゃ済まないだろうな。最悪の場合は変質者扱いで警察のお世話になりかねない。
ここで止めなきゃ彼女が死ぬというならともかく、水に濡れるのを助けるだけなのだから、あまりにも割に合わないリスクだ。
「大丈夫だ。普通に話せば普通に止められる」
「普通にって?」
「美住さんはコミュニケーション能力に致命的な難があるからわからないかもしれないけど、普通の人間はタックルなんてせずとも他人の行動を変化させられるんだよ」
「前半についてはともかく、後半については疑問だね。まさか、予知夢のことを説明するわけじゃないんでしょ? だったらどうやって……」
「まあ、見てなって」
そんなに『どれ、お手並み拝見といこうか』みたいな目で見られても困る。本当にただちょっとした雑談をするだけなんだから。
これから見せるのは別に頭脳プレーでもないし、高等技術でもない。美住以外のほとんどの生徒が持っている極々一般的なトークスキルの延長だ。
「園田さん。何してるの? こんなとこで」
俺は気さくに、さも偶然出会ったかのように声をかける。待ち伏せしていたことが悟られるのは、当然ながら相手に不信感を与えるので避ける。これから始めるのはあくまでもクラスメイト同士の世間話だ。構える必要もない。
「あれ、輝家君? 私は部活だけど、そっちこそどうしたの?」
「一時間目の体育の時に忘れ物してさ。それを取りに行ってたんだ」
「へぇ、何を忘れたの?」
「体操服。一式袋に入れてたんだけど、それが丸々なくて」
「今、手に持ってないってことは……見つからなかった感じ?」
「まあね。多分職員室にでもあるんじゃないかな。二時間目に更衣室を使ったクラスが、落とし物に届けてくれてるかも」
「あーそうかもね。体操服入れって、あの学校指定のやつでしょ? 学年ごとに色違うし、二時間目体育だったのは二年生のはずだから、絶対気付くよね。名前は書いてなかったの?」
「そうなんだよ。書くの面倒臭くてさ。小学生の時からそうなんだけど、俺あんま持ち物に自分の名前書かないんだよね。それで一回、テストにも名前を書かずに出しちゃったことがあって」
「いや、それはヤバいでしょ。で、それどうなったの? 0点になった?」
「0点にはなってないけど、後から呼び出されて説教だよ。これが受験だったら大変なことになってたとか、教えてもらえるだけありがたいと思えとか」
「うわぁ~イメージつくわ。学校の先生ってどこでも同じようなこと言うよね」
────と、まあここまでは怪しまれないように当たり障りのない雑談をして、ここからが本題だ。
「そういえば、次の授業ヤバくね?」
「ん? 次って、何かあったっけ?」
「小テストだよ。小テスト。勉強した?」
「うわ、やっばしてない!」
「皆、今頃直前の詰め込みやってると思うよ? 園田さんはいいの?」
「いやいやいや、全然良くないって! うわぁ……しかもあれだよね。追試とかあるウザいやつだよね」
「そうそう、50点以下だとね。しかも追試は問題変わるし」
「あー……マジでヤバいかも。え、輝家君は余裕な感じなの?」
「昨日ガチって来たから余裕」
「出た出た、小テストガチ勢。卑怯だぞ!」
「卑怯ってことないだろ。俺は真面目なんだよ」
「うっわ……ズッルー騙されたー」
「何も約束とかしてないし。まあでも、もし良かったら園芸部の仕事変わってあげようか? 花壇の様子を見て来るだけだよね?」
「え、マジで⁉ ラッキー! じゃあお願いできる? 本当は水やったり、虫を取ったりもするんだけど、それはプロの技が必要だからいいよ。ボールが入り込んだりしてないかだけ見て来て」
「プロって……まだ園田さんだって園芸部に入ってまだ一ヶ月ちょっとでしょ」
「私は趣味ガーデニングだから。この道十年のベテランだから。じゃあ、お言葉に甘えまして、輝家君、後はよろしくね! 今度またお礼するから!」
彼女はそう言って、大袈裟に手を振りながら戻って行った。階段を上っていくその背中が見えなくなったところで、隠れていた美住がひょっこり顔を出す。
別に隠れる必要なんてない……と言いたいところだが、美住が一緒にいるだけで警戒されることは充分考えられるからな。これに関してはナイスな判断だった。
「君、彼女と喋る時は随分と楽しそうだったね」
俺と美住が横に並ぶと、身長差によって彼女が俺を見上げるような格好になるわけだが、その目線がどうも俺を責めているような気がする。
近いものを挙げるとするなら、彼氏の浮気の証拠を見つけて問いただす彼女のような……一体なぜ俺がそんな目を向けられなくてはならないのか。
「アレが普通なんだよ」
「でも、私と話す時は残業終わって帰って来たお父さんみたいなテンションじゃん」
「それは相手がお前だからな」
「……段々私の扱い雑になってきてるよね」
美住は不満そうに唇を尖らせてそっぽを向いた。不満があるのなら、もう少し自分を省みてほしいものだ。
「────っと、あれ? 園田さん、何か落としていったな」
彼女の下駄箱の真下に当たる位置に、ストラップが落ちている。これは確か、どこかの野球チームのマスコットだ。名前は思い出せないが、見覚えはある。
「ちょっと俺、これ届けて来る」
「花壇は? 見に行かなくていいの?」
「お前に任せる。見るだけで良いっぽいし。よろしく」
「自分で引き受けたんだから自分でやりなよ……まあいいや、わかった。見るだけなら別に大した手間でもないし」
美住はため息を吐きながらも引き受けてくれた。それを確認した俺は、階段を駆け上がって園田を追いかける。
彼女がこの昼休みに外へ出ることはない。つまり花壇の前へ行くこともない。だから彼女が花壇の前で水浸しになるという未来は、これで避けられたはず。
理屈ではそうだが、しかしそうはならないと美住は言っていた。未来を変えられるのは俺の幸運だけ。だが今のところ運の要素は介入していない。待ち伏せという確率に依らない確実な方法で阻止しただけだ。
「これじゃ未来は変えられない……ってことなのかな。よくわからんけど……」
じゃあ、これはどうなんだろう。俺は今、園田が落としたストラップをこの手に握りしめている。
これは彼女が偶々落とし、俺が偶々拾った物だ。これを彼女に届けることは、運の要素が絡んだ事象だと言えるのかもしれない。ならばこれを彼女に届ければ? 何かが起こるとでも言うのか?
「ああ……クッソ。まだ全然把握できてない……頭が追い付かないって」
とにかく、未来云々に関係なく、落し物は届けるべきだ。その結果何が引き起こされるのかは、実際にこの目で確かめる他あるまい。
「あ、園田さん!」
廊下の先に彼女の背中を見つけ、俺は大声で呼び止める。
別に今すぐ届けなければならないものではないし、教室に戻ってから渡せばいいのだから、こんなに急いで追いかける必要もなかった。
けど、なんとなく俺は急いでしまった。特に理由はない。突然大声で名前を呼ばれた園田は立ち止まり、少し迷惑そうにしながら振り向いた。
────その直後、彼女が一秒後には進むはずだったところに、勢いよく大量の水がぶちまけられた。
「何……ってうわっ⁉」
俺の声に反応して振り返り、さらに背後の水音に反応してまた振り返り、園田は逃げるように三歩後ずさる。
「急に水が……え?」
一瞬、未来を修正するために、物理法則を無視した超常現象が起きたのかと思ったが、そんなことはない。水が飛び出て来たのは男子トイレからだ。俺は小走りで園田に追いつき、トイレの中を覗き込む。
「だはは! うっわ、水の勢い強!」
「おい! バッカお前止めろって! 廊下濡れたぞ!」
「ビームだこれ! ビームビーム!」
……などと、小学生みたいに大はしゃぎする男子生徒の姿が、そこにはあった。
一人はモップを、一人はホースを、一人は蛇口をひねっている。昼休みにトイレ掃除をしているということは、何かをやらかしてペナルティを負わされている生徒だろう。明らかに不真面目そうだしな。
「なるほど、こうなるわけか……」
「え、えと、輝家君?」
「あ、園田さん。これ、落としたよ」
落とし物を園田に手渡し、俺は引き続きトイレ掃除の三人を観察する。
彼女はしばらく俺を不思議そうに見ていたが、男子トイレをあんまり覗くのも悪いと思ったのか、お礼だけ言って、水溜りを迂回し去って行った。
「これで未来は変えられた……ってことでいいのかな」
園田に声をかけたタイミングは本当にギリギリだった。確かに、これは運が良かったということなのかもしれない。
俺の力────運命を変えるほどの幸運……やっぱり実感はいまいちないが、ある程度は認めるしかないみたいだ。
「うわっ! だから水強めるなって! 暴れる暴れる!」
「おまっ! 手、放すなよ! うぎゃっ!」
蛇口を管理していた生徒が水流をさらに強め、ホースを持っていた生徒が手を放した。掃除用の緑色のホースは、掴まれそうになっているどじょうみたいにウネウネと動き回り、四方八方に水を飛ばす。
「な、何やってんだこいつら……」
やがてホースは個室の扉の下にあるスペースに挟まり、固定された。角度は少し上を向いていて、その放水先は窓の外へと向いている。
そういえばこのトイレ、位置的にあの花壇の真上なんだよな。もし俺が何もしていなければ、こうやって園田に水がかかっていたわけか。でも、その未来は変わって、被害者は誰も────
「ひゃあああああぁぁぁぁぁっ!」
窓の外から随分と情けない、弱々しくも鋭い悲鳴が聞こえてきた。聞いたことのある声、しかし聞いたことの無い音だ。
「あ、そういえば今花壇には……」
窓の外を確認した男子生徒たちが青ざめているのが、後姿を見るだけでわかる。女子に水をかけてしまったのは流石に罪悪感があったのだろうが、それだけではなかろう。
なにせ相手は学校一の有名人。理解不能な狂人と恐れられ、生徒会長でも、野球部のエースでも、不良のトップでも近寄りたがらない異常者だ。
普通なら謝って済みそうな問題でも、彼女が相手となればどうなるか予測不能。その未来を知るのは本人ただ一人。
「俺は知らないぞ……」
……よし、あれだ。何も見なかったことにしよう。それがいい。それしかない。俺がかけたわけじゃないし、いいだろ。うん。
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