第5話 ベストパートナー
到底受け入れられない現実がそこにはあった。これまでの人生で培ってきた常識を根底からひっくり返されたような気分だ。
俺は俺の常識を守るためにも、こんなものは嘘だと否定したい。しかしどれだけ考えても、この未来を事前に予測できる方法は思いつかない。
工藤はお調子者で、周りが見えなくなることが多々あった。磯部はやや粗暴な性格でよく物を壊す。だから怪我をしやすい二人であると言えばそうだ。
だが、だからといって、二人が激突することをどうやって今朝の時点で知ることができるというのか。
その場で、その瞬間を見ていた俺にはわかる。アレは演技なんかじゃない。偶発的な事故だ。予め発生を知る術などない。ないはずなのだ。
つまり、俺の知らないなんらかの力によって予知したとしか思えない。そういう結論になってしまう。まさしく、美住の言っていた通り、予知夢の存在を証明する光景に他ならないのだ。
「待て待て……おかしいって、そんなわけないって」
あらゆる可能性を考えて、どうしても有り得なくて、導き出される答えを否定してまた最初から考え直す。そんなことをさっきからずっと繰り返している。
授業が終わった後も更衣室で一人、俺は椅子に座って項垂れていた。次の授業の時間が迫っているので、あまりのんびりしてもいられない。
だがあんなものを見せられて、冷静でいられるはずもない。この非現実的な現象にどうやったら現実的な説明をつけられるか。俺の脳細胞は高校入試の時ですら見せなかったフル回転で、思案を続けていた。
「────これで私のこと、信じてくれた?」
突然声をかけられ、顔を上げると、美住の顔が目の前にあった。いつの間に部屋に入って来ていたのだろうか。ここまで近寄られても気づかないなんて、俺は相当周りが見えなくなっているらしい。
これだけの至近距離から見ても、彼女の真っ白な肌には曇り一つなく、ほんのりとした眩しさすら感じる。改めて、彼女を人形のようだと、そう思った。
「────って、ちょっと待って。ここ男子更衣室なんだけど⁉」
「知ってる」
美住は眉一つ動かさず、こくんと頷いた。小動物みたいで愛らしい動作ではあるがその目は着替え途中でパンツ一丁の俺の裸体を凝視している。
「……どういうこと? なんでそんな悪びれもせず覗いてんの? いや、これって覗きなのか? もうガン見だよね?」
もう俺以外の男子生徒は更衣室を出て教室に戻っている。なので一応被害者は俺一人ということになるのだが……そのタイミングを見計らったのか、それとも何も考えずに男子更衣室に突撃して来たのか、どちらにせよ彼女は堂々と女子禁制の空間に足を踏み入れている。
「外で待ってたのに全然出てこないから見に来ちゃった。てへ」
「可愛く言っても駄目だ。いいから早く出て行け」
「私、弟いるから男の裸なんて別に気にしないよ」
「俺は気にするんだよ」
「恥ずかしがることないよ。引き締まってていい筋肉だと思う」
「だから観察すんなって‼」
今にも腹筋を舐めまわしてきそうな距離感だったので、慌てて後ろに飛び退く。何をしでかすかわからない変人相手には、この距離でもまだ心許ないくらいだ。
「そんなに怒らなくてもいいのに」
「いやいやいや、怒るでしょ。怒って当たり前でしょ。とにかく、サッサと着替え済ますから外で待ってて」
「えぇ、せっかく来たのに」
「だったらせめて後ろ向いてろ」
渋々、という様子ではあったが、美住はくるりと後ろを向いて壁に額をつけた。かくれんぼの鬼みたいなポーズだ。
「で、さっきの質問に答えてよ」
その状態のまま、彼女は会話を続けてくる。こっちを見ていないのならまあ別にいいかと思う俺は結構甘いのかもしれない。
「少なくとも、美住さんが未来を予知したのは間違いない。何か方法はないかって考えてみたけど、トリックはどうしたって思いつかなかった」
「と、いうことは?」
「────認めるよ。美住さんは予知夢を見てる。そう考えないと辻褄が合わない」
結局、俺はそういう結論を出すしかなかった。いくら信じられなくても、証明されてしまった以上は信じる他にない。
感覚的には全く受け入れられないし、これを認めてしまうとなんだか美住に負けたようで癪なのだが、そうも言っていられないしな。
「それで、こっちとしては聞きたいことが山ほどあるんだけど」
「何でも聞いていいよ。何でも答えるから。あ、何でもって言っても、スリーサイズとか体重は教えないけど」
「この流れで聞くわけないだろ」
やっぱりこいつと話してると調子を狂わされる。これは天然っていうより、あえてそうしてるって感じだな。
会話の中で隙あらば茶々を入れてくるタイプというか。正直、鬱陶しくて仕方ないが、気にせず話を先に進めよう。
「とは言っても、何から聞くべきか……わからないことが多すぎると、質問の仕方もわからなくなるんだよな」
「あー、あるよね。私も、英語の授業とかで、わからないところあったら聞けって先生に言われても、その聞き方がわからんってなるもん」
「別に例として間違ってはいないんだけど、普段の授業を引き合いに出されると話のスケールが途端に小さく感じるなぁ……」
予知夢とかいう超常現象の話をしていたはずなんだが……それは英語の授業が難しいという話と同列に扱っていいのか?
「じゃあ、えっと、その予知夢ってどんな感じなの? 具体的には何が見えるものなんだ? 例えば、俺と美住さんがここで会話する様子を、美住さんは今朝の時点で知ってた?」
「いいや、それは知らなかったよ。だから、君が私の話を信じてくれるかどうかはわからなかった」
「ってことは、予知夢って言っても、未来に起こる全ての出来事がわかるわけじゃないのか」
「基準は私にもよくわからないけど、大抵の場合は回避すべき未来が見える。さっきみたいに怪我をするとか、事故に遭うとか、トラブルやアクシデントに巻き込まれるとか、そんな感じ」
悪い未来────言うなれば危機だけを知らせる夢ということか。ここだけ聞くとすごく便利な力のように思えるが……。
「でも、自分の未来は見えないんだよな?」
「うん、夢に私が登場したことはないね。さっきのだって、私とは全く関係のない事故だったでしょ? なんなら私は二人がぶつかった瞬間を見てもいないし」
「自分に迫る危機には気づけないってことか? それは……なんというか不便だな」
「そうでもないよ。私の未来が見えたところで、私には変えられないんだから。もし自分が死ぬ瞬間なんかが夢に出ちゃったら、それはもう死刑宣告みたいなものだし」
美住は冗談っぽく、首を刎ねるジェスチャーを加えながらそう言ったが、実際にそんなことが起きたらと思うとゾッとする。どうせ変えられないのなら知らない方が良いというのは同感だ。
「でも、君が介入すれば話は別。さっきの二人だって、どうも私が見た予知夢よりも軽傷っぽいし。ひょっとして、直前で声をかけたりしたんじゃない?」
「……! あ、ああ、うん。確かに、声はかけた。けど、二人には届かなかったと思うけどな……」
「でも、それは未来を知った上での行動だったわけでしょ。本来の君はそこで何もしなかったわけだし。だから多少は影響を与えてると思う。私の方も、君の力はやっぱり本物だと確信できたよ」
「俺の力……運命を変えるほどの幸運だっけ?」
そんなこと言われても、いまいちピンとこない。未来予知とかいうバトル漫画でも頂点を取れそうなバチクソ強い力と比べれば、俺なんかちょっと運が良いだけの男なんだ。
そんなものをまるで同列であるかのように、必要不可欠なピースであるかのように扱われても、実感が湧かないどころの話ではない。
「納得いかないって顔してるね」
いつの間にか振り返り、視線をこっちに戻していた美住が、俺の表情から敏感に内心を読み取ってくる。案外彼女は鋭いらしい。
「まだ振り向くなよ。下しか履いてないぞ」
「隠すべきところは隠れたんだからいいじゃん。それより、どうして君はそんなに不満そうな顔をしてるの?」
「不満そう?」
「うん、そう見える。違った?」
不満……か。まだ彼女の話に納得できていないという意味では当たっているのかもしれない。未来予知の件はもう疑うつもりはないが、幸運の方については半信半疑といったところか。
「率直な感想を言わせてもらうなら、話についていけないって感じだな。美住さんが特別な力を持ってることは百歩譲って良いとしても、俺自身のことは俺が一番よくわかってるはずだろ? だから美住さんに何を言われても、スッと入ってこないというかさ」
「ふぅん……面倒臭いね」
配慮もせず、遠慮もせず、面倒そうな表情を隠そうともせず、美住はバッサリ切り捨てるような清々しさでそう言った。
「だったら次は、君の力の方を証明してあげないといけないってわけね」
「証明……まあ、そうだね。俺を納得させられるなら、してみてほしい」
「偉そうに言うなぁ。私からすれば、それだけの幸運を持っていて、なんで自分を普通だと思っているのか理解に苦しむけど。案外、生まれてからずっとそうだと、気づきにくいものなのかな」
美住は再び俺の体をジロジロと見つめ始める。俺はその不快な視線から体を隠すようにして、制服に袖を通した。
「じゃあとりあえず、チュートリアルその2に行ってみよっか」
しばらく観察を続けた彼女は、不意にそんなことを言う。
「チュートリアルその2?」
「さっきは私の予知夢を証明するために、干渉するなと言ったけど、今度は違う。ガンガン君に干渉してもらって、私の見た未来を改変してもらう。君はその過程で、自分の力を確かめていけばいい。私としても、君の幸運がどれぐらい作用するのかは確認しておきたい。まさか全てのことが自分の思い通りにいくわけじゃないだろうし」
「そりゃまあ、そうだろ」
もしそれだけ強力な幸運だったとしたら、更衣室で着替え中に変人に突入されることもないはずだからな。
「昨日見た予知夢はまだいくつか残ってる。次はそれを一つ阻止してみよう。無事に成功した暁には、私たちはベストパートナーになれると思うんだよ」
「パ、パートナー……」
口角が引きつったのが自分でもわかった。恐らく美住にも伝わったはずだが、彼女は気にする素振りも見せず続ける。
「相棒と言ってもいい。とにかく相性の良い二人組ってこと。そう考えるとどう? テンション上がってこない?」
「あぁ……うーん……」
こいつと……ベストパートナー……? 相棒……?
これは果たして成功を祈るべきなのだろうか、失敗を祈るべきなのだろうか。美住の到底無邪気とは言い難い笑顔を見つつ、俺は複雑な心境に浸るのだった。
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