第2話

 私がいつものように買い物に行き、帰ってくると夫が倒れていた。


 死んでしまう──

 その事実に怖くなり、慌てて救急車を呼んだ。


 意識は無いが、まだ僅かに脈はあり、何とか病院までは持った。

 でも、そこからの手の施しようは無かった。


 ピッ、ピッ、と断続的に鳴る心電図の音を聞きながら、私はただ夫の手を強く握る。


 このまま目覚めないのだろうか。


 そう項垂れていた、その時だった。


「彩子さん…」と優しい声が聞こえると同時に、握っていた手が握り返される。

 顔を見上げると夫が目を覚ましていた。


 そして


「今までありがとね…楽しかったよ…君に愛されて…僕は幸せだった…」


 とだけ言葉を残して、糸が切れたように眠りについた。

 けたたましい心電図の音が辺りに響く。

 それから、もうその目が開くことは無かった。


 やっと、夫が死んだ。


 安らかな顔で眠る夫の亡骸を見て、当初の目的を達成した事に気付いた。


 そう、やっと、、念願の時が来たのだ。


 そう、そのはずなのだ。。

 なのに。。。

 心が全く晴れなかった。


 それどころかむしろ、悲しさを感じていた。

 あの人がもう居なくなってしまった。のだと。


 それでも未だ心に広がっている暖かい感情。

 その名前を私は知らなかった。



 やがて暫くすると、夫の家族たちが入ってくる。


 未だ手を握ったまま茫然と夫を見つめている私に

「ありがとうね…ずっとお父さんの傍に居てくれて…あなたの事…財産目当てだなんて…疑ってごめんなさい…」

 と夫の娘さんが声を掛けてくれた。


 私は感情の整理が全く付かないまま、ひとりでに呟いた。


「分からないの…私…何か…この人が居なくなっちゃったって…悲しくて……でも…暖かいの……この人を想うと…何か心が暖かいの……今でも…まだ……」


 それを聞くと娘さんは泣きながら、私に抱き着いてくる。


「彩子さん…それは…愛情よ…あなたはお父さんを愛してくれた……そしてお父さんも…あなたを……」


 あぁ、そうか。


 これが“愛情”か。


 そうか私は



 愛されていたんだ。



 そして私も


 彼を


 愛していたんだ。



 そう分かると、堰を切ったように涙が止めどなく溢れた。


「うわぁあああああああああああ!!!」


 娘さんが私を強く抱き締めてくれる。


 あぁ、こんなに暖かいんだ。


 私は夫との日々を楽しんでいたんだ。

 愛情を感じていたんだ。与えられていたんだ。


 そうか。


 私は

 なんてバカだったんだ。


 もっと早くに気づけば良かった。

 せめてあの人が生きている時に。


 私は涙を流しながら夫に近付いた。


 もう聞こえないのも、返事が無いのも分かっている。


 でも


 ひと言、これだけは、言わなきゃ。





「こちらこそ…ありがとう」






        〜完〜



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

やっと、夫が死んだ。 らいなわき @rainawaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ