43 ユア

43

 急に静かになった洞窟で、一人立ち尽くしていた。

 その時、後方から何かを引きずる音がした。俺は振り返らない。少しずつ近づいてくる。しばらくすると足が大地を踏み込む音も加わってきた。掌が俺の肩を掴み、ぐっと力を入れた。

「人間はどこだ?」

 デルタの声が低く響いた。逃がしたと知れれば俺もただでは済まない。そしてそれは時間の問題だ。

「まさか逃がしたと言うのではないだろうな。笑えない冗談だ」

 俺は肩の手を振り払う。ごちゃごちゃと濁った感情を抑え込んで、振り返った。

 その時、デルタの足元で何かが動いた。見下ろすと、その左足に、ボリジンがしがみついている。白髪を乱暴にかられ、身体中に傷や痣をいっぱいにつけていた。それはもう意識がないらしく、髪に阻まれて表情は見えないが、細い指でしっかりとデルタにしがみついていた。

「ああ、こいつか。しぶとい奴だ。まだ離れない」

 デルタは何の感情もなく言う。

  俺は恐怖を呑み込んで、向きなおった。

「話があるんだ。聞いてほしい」

「お前の話など必要ない。私の意思が絶対だ」

デルタが俺を睨み付ける。いつもその狂気に当てられた目に恐れを抱いていたが、今回ばかりはそうではなかった。 俺は一歩踏みだし睨み返した。デルタは何かを感じ取ったのか、かすかに目を見開いた。

 俺はゆっくりと口を開いた。

「メイラさんは・・・身の危険があることを知っていた」

「なんだと?」

 デルタが反応した。メイラさんの話なら聞く気になるらしい。

 彼女は以前俺に話をしてくれたことがあった。世界とライナ族の確執についてだ。ライナ族の人々が屈辱を受けてきた歴史を語る時、彼女の声には怒りも憎しみもなかった。そこにあったのは悲しみだった。

「いつか私も誰かに殺される日が来る。その日はそう遠くないと、何となくわかるんだ」

彼女はそう言った。俺の記憶では、メイラさんが暗い表情をしたのはこの夜だけだった。

すべて話し終わるとデルタはうつむいた。

「あの人は勝手な人だ」

 その瞳には凶暴な光がなかった。 むしろ昔を思い出させるような、悲しみに溢れた怒りが見えた。

「要するに自分の命なんてどうでもよかったのだ」

 それは違うと言いかけてやめた。本当は、デルタも、メイラさんがどういう人か知っている。

「あの人は残される方の気持ちなど考えなかったのだ。人を救う薬を作ったとて、近くに居る者たちをこんなにも傷つけるのならば・・・何のための正義なのだ」

 俺はそっと口を開いた。

「正義なんて、大それたもんじゃなかったんだと思う」

 そう。そんなに難しいことじゃなかった。

「あの人はずっと信じていただけなんだ。優しさは伝わり、新しい何かを育むと」

 きっとわかりあえると、手を繋げると信じていた。

 デルタは一瞬ぽかんとして、再び俯いた。 苦しみの中でもがくような呻き声がした。

「馬鹿だ、大馬鹿者だ」

「・・・ああ、そうだな」

「なぜ、なぜ守ってやれなかったんだ!」

 デルタは涙こそ出なかったものの、泣き叫んでいた。

 同じ時を過ごしてきたから、その思いは手に取るようにわかった。どうしようもない能無しだと自分を責めたてる声が聞こえてくる。

 今度こそ俺は俺の役目を、あの人との約束を果たしたい。 否、果たさねばならないのだ。

「俺たちがやっていることは、メイラさんを殺したあの兵士たちと同じだ」

 デルタは俺の諭すような声に、肩をびくりと震わせた。

「違う、私は断じて・・・」

「メイラさんを殺し続けてるのと、同じだぞ」

 奴の脳裏に、剣に体を貫かれたメイラさんの姿が映った。



「争いは争いしか生まない。あの人は、そんな未来を望まないよ。デルタ 」

 以前は耳を傾けようともしなかっただろう言葉が、デルタに働きかける。これも、メイラさんの力だ。

 デルタが目を吊り上げ、片手を大きく振った。気づいた時には頬を1発殴られていた。衝撃に倒れそうになる身体を何とか持ちこたえさせる。そうして前を向くともう次が来ていた。  デルタがあらん限りの力で思いきり殴りつけてくる。それは自分がしてきたことからの逃避のようにも思えた。いいさ、殴りたいだけ殴らせてやる。

  俺には身体感覚がない。痛みもない。だけど、痛みを感じたいと思った。人間と、メイラさんと同じ苦しみを味わって、デルタにやり直そうと心から言ってやりたかった。 まとまりのない感情ばかりが、渦巻いていく。心ほど厄介なものはないんだ、昔から。

「違うッ!人間など必要ない!私は間違っていない!あの人は喜んでくれている!」

 次々に拳が飛んでくる。顔が破損していく。右や左へ光が飛び、エラーの赤いマークがいくつも、いくつも表示されていく。 少しずつ重たくなっていく意識を感じながら、ぼんやりとデルタの瞳の色を観察した。 前にもこんなことがあったような気がすると思って、前は反対だったんだなと気づいた。

 主人の命令にただ従うだけだった俺は、デルタがメイラさんを守ろうとする姿に衝撃を受けた。その頃から俺の一歩先を行っていたのだから、やはりデルタはすごいんだ。俺はこの一瞬だけでも強くありたい。

 デルタが俺と同じく新しい選択をするのか、もしそうならなければ俺は壊され、人間は絶滅するだろう。

 さあどうすると開きづらくなった目で問いかけた。俺たちの世界になるか、お前の世界になるか。

世界は一つしかない。





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