第4話 深夜

「アティアス、何を考えてるんだ?」


 同行してもらっていたトーレス達に礼を言って別れたあと、宿に戻ったアティアスは開口一番にノードから問われた。

 今はノードの部屋にアティアスが来て二人で話をしていた。

 宿に彼女の部屋を別に取ろうとしたが、午後にならないと掃除が終わらないということだったので、いったんはアティアスの部屋にエミリスを一人残して待ってもらうことにしたのだ。


「何を……と言われてもな。単純にあの娘のことが気になっただけだ」

「ああいう娘が好みだったのか? 確かに可愛らしい娘だとは俺も思うが……お前はあんまり女には興味持ってないと思ってたけどな」

「興味と言ってもシオスンとの関係とかそのあたりさ。あとは……あの目と髪が気になったんだ」


 アティアスは思い出しながら答える。


「確かに珍しいなとは思う。それに養女って言ってたが、ただの使用人と変わらん感じだったな」

「俺もそう思った。まぁこのあと話してみるよ。……どこまで聞けるかはわからないけどな」


 ◆


 部屋に戻ると、相変わらずエミリスは無表情で部屋の隅に直立していた。

 アティアスは呆れつつ、促す。


「君は俺の従者じゃないんだ、シオスンの屋敷ではどうか知らんが、ここでは気にせず座っても構わない」

「いえ、アティアス様の身の回りのお世話を申しつけられておりますので……」


 彼女がぶっきらぼうに答える。


「そう言われているのかもしれないが、俺のほうはそんなつもりじゃない。休暇とでも思ってゆっくりするといい。自分の部屋じゃないと落ち着かないとは思うが……」


 椅子を勧めると、エミリスは戸惑いながらもゆっくりと腰を下ろし、背筋を伸ばして座る。

 小さなテーブルを挟んで向かい側の椅子にアティアスも座り、改めて彼女をじっくりと観察した。

 その澄んだ赤い瞳を見ていると、つい引き込まれてしまいそうになる。

 ただ、どこか悲しげにも感じるのは、その表情からだろうか。


「さて……これからどうする?」

「どうと言われましても……私はご命令に従うだけですから……」

「そう言われても俺も困る。君に命令するようなことは何もないんだ。それに自分のことは自分でできる。来てもらったのは少し話がしたかっただけだ。……そうだ、何と呼べばいい?」


 彼女は困惑しつつも答える。


「そうですね……エミーとでもお呼びください」

「ならこれからはそう呼ぼう。エミーはどうしてシオスンの養女に?」

「はい。以前はこのテンセズの別の商人の方のところで養ってもらっていました。ただ……その方は事故で……。そのあとシオスン様が引き取ってくださったのです」


 少し目を伏せて話してくれた。


「……すまない。話を変えよう。今までずっとシオスンの屋敷では使用人のようなことを?」

「はい。形では養子ですが、他の使用人達と同じように働いています」

「他にも同じような使用人が何人かいるのか?」

「私を含めると五人です。みんな、どこかから引き取られてきた子達だと思います」


 ふむ……。

 慈善活動のようなことをしながらも、使用人のように扱うとはどういうつもりだ?


「わかった。ありがとう。それで……最後にひとつ聞くが――エミーは今のように使用人として生きていくので満足なのか?」


 どうも彼女の待遇が良くなさそうに見えることが気になっていた。

 問うと、彼女は少し目を伏せて答える。


「……私は……いえ……私に他の選択肢はありませんので……」


 悲しそうな顔を見せた。


「エミー。本心はどうなんだ? ここには俺しかいない。……どんな答えでも、絶対に漏らしたりはしないよ」


 それを聞いた少女は一瞬思い詰めたような表情を見せたが、すぐに口を閉じ俯く。


 彼女は無言だった。


 ◆


 その深夜のことだった——。

 アティアスが一人寝ているところにエミリスが忍び込み、彼を襲おうとしたのは。


 それに気づいた彼が咄嗟に彼女の背後に回り、逆に首元へとナイフを突きつけると、彼女はそれ以上何もできずに床にへたり込んだ。

 そして――。


 ――私を殺してください。


 そう呟いたあと、彼女はずっと泣き続けていた。

 そんな彼女を優しく抱きしめ、慰める。


 ようやく落ち着いたエミリスに、アティアスが言った。


「エミーはこのまま俺の近くに居ろ。なんとしても守ってやる」


 しばし呆然としていた彼女だったが、涙の痕が残る顔でゆっくり深く頷いた。


 彼女の手を取り椅子に座らせると、昼間と同じようにテーブルを挟んで向かい合う。

 申し訳ないとは思いながら、今後のためにも彼女から色々と聞いておく必要があった。


「……こんなときにすまないが、本当のことを教えて欲しい。……エミーはなぜ死にたいと?」


 先ほどの自分の言葉を改めて確認されると、彼女は目を伏せて呟いた。


「ずっと……何も考えないようにしてきました。そうしないと耐えられません……。でも、もう限界です。……このままシオスン様の所に戻ったら……私はたぶん……。それを覚悟して、ここに参りました」

「……そうか。……ありがとう」


 それほどまでに彼女は思い詰められていたのかと知る。


 ふと彼女の腕に目を遣ると、左手の甲に何か紋様のような物が見えた。また、昼間は長袖だったためわからなかったが、二の腕辺りには両腕ともに痣のような傷痕があるようにも見えた。

 ちらっと見える太ももにもその痣がある。


「すまんがちょっと見せてくれ」


 アティアスは彼女の上着の裾を少し捲り、背中を見た。彼女は抵抗もしなかった。


「……これは酷いな」


 背中にも無数の痣が生々しく付いていた。

 これが付けられてから、それほど時間が経っていないようにも見える。


「シオスンにか?」

「……」


 エミリスは答えない。

 だが沈黙は答えを言っているようなものだ。


「……他の使用人も同じように?」

「…………はい」


 彼女は声を絞り出す。

 アティアスはそれを聞いて、頭に血が昇るのを感じたが、堪えてできるだけ冷静に努める。


「そうか……それは辛かっただろうな」


 ――アティアスは考える。

 シオスンのやっていることは酷いが、あくまで個人の問題だ。それだけで裁くことはできない。

 アティアスの力で孤児だというエミリスだけなら、引き取ることもできるだろう。

 だがそれでは他の使用人たちは今のままだし、そのままにしておくと新たな被害者も出る。

 せめてシオスンがアティアスを暗殺しようとしたことに証拠があれば……。だが彼女の自白だけでは言い逃れされてしまうかもしれない。

 シオスンが人身売買に関与している、というのであれば話は変わってくるのだが……。


「……先週行方不明になった子供について、何か知っていることはないか?」


 期待はしていないが、聞いてみる。


「いえ……、私にはわかりません。……でも、シオスン様はいつも身の回りに注意していましたから……裏の仕事を持っているのだとは思います」


 アティアスが人身売買について調べ始めたところで、昨晩の襲撃があり、さらにシオスンがエミリスを使っての暗殺未遂。

 となるとやはり昨晩の黒マスク達の襲撃もシオスンによる可能性が高いと考えられた。

 状況証拠からするとかなり黒に近いと思われるのだが……。

 とりあえずそれは明日ノードと相談することにする。


「ところで、その腕の紋様は何だ? これもシオスンに?」


 痣とは別に、左手に刻まれた小さな紋様を指差してアティアスが聞く。


「いえ……これは私にもわかりません。物心ついた頃からありました」

「そうか。すまないな。こんな状況で色々と聞いて悪いが、もう少し教えてくれ。普段使用人たちはどんなことをしている?」

「はい。基本的に家事全般ですが……食材などの調達などは行いません。……そもそも、私たちは屋敷から出ることは許されていません。私も屋敷から出たのは今日が初めてです」


 アティアスは驚く。


「それはなぜなんだ?」

「いえ、詳しくは……。でも屋敷を一度出てから戻ってきた子はいません。なので私も、もう戻ることはないだろうと思っていました。あと……シオスン様はいつも何かに怯えていたように思います。食事も、必ず私たちが毒味をしてからでしたので……」


 彼女は更に続ける。


「……今回うまくやれば自由にさせてやる、と仰っていました」

「それは嘘……だろうな」

「そうですね……。私もそれは分かっていました。どちらにしても、私に行く宛はありませんから……」

「もしうまくやったとしても、すぐ捕まる。そして罪を被せられて死罪だろう」


 彼女は複雑な表情で息を呑む。


「……色々話してくれてありがとう。もう夜も遅い。エミーは部屋に戻れ。詳しくはまた明日話をしよう」

「はい。……何とお詫びをすれば良いか……」


 彼女は立ち上がり申し訳なさそうに言った。


「気にするな。これからも協力してくれると信じてる。……もし何かあったとしても、俺が必ず守ってやるから」

「……ありがとう……ございます」


 深々と頭を下げて、エミリスが答える。

 少しだけ笑顔が見えた。

 笑顔を見ると本当に可愛らしい少女だ。一瞬どきっとさせられる。

 アティアスは彼女を、そして他の使用人たちも含めて解放すると心に誓う。


 ――相手が悪かったと後悔させてやる。

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