第5話 はぁー!?

「ホノカ?」


 貴賓室の扉を勢いよく開ければ、今にも赤いワインを注がれたグラスに口をつける寸前の姉がいた。

 口紅は、グラスにない。

 一口もまだ飲んではないっ!


「お姉様っ! 飲んではダメっ!」


 私は力一杯姉の手からワイングラスを叩き落とす。

 毒入りワインは地面に跳ねて高い絨毯のシミへと消えていった。


「ホノカ、どうした?」


 心配そうに私を覗き込もうする姉と対照的に、ソファーにふんぞり返って私を見る男が一人。


「おやおや、随分と野蛮じゃないですか」

 

 薄ら笑いを浮かべながら。


「木之下、ホノカに何を……」


 姉が口を開いた瞬間、私は姉が携帯していた剣を抜いて木之下の首に詰める。

 腰は怖くて震えている。剣の重みで腕も震える。何もできないか弱く可愛い可憐な少女だったら随分と絵になったことだろうよ。私をブスだと笑う男どもが称賛しそうな構図だ。

 私がやってもさぞ滑稽だろうな。

 デブでブスが見た目麗しくもない姿で睨みをきかせても怖くもなにもないだろう。

 でもね。


「私は本気だ」


 そんなもんどうでもいいの。見たても何も。


「言ったよな? お姉様に手を出すなと。例え貴方がこの帝国の第一皇子だろうが、第二皇子だろうが関係ない。今ここで首を切り落とす」

「……俺が本当に皇子なら、首を切り落としたあとお前も死ぬが?」


 そうね。


「それがどうしたの? ブス一人死んでも誰も困らないわ」


 それよりも。


「私が死んだ方が皇子如きが花江塚マコトを手にかけようとし死んだ事実が、より世間に回るでしょ? 貴方みたいな虫が沸かないようにする効率的手段でしかないわ」


 姉は私を国のために見捨てるけど、私は姉のために国を見捨てれる。


「死になさいよ、皇子様」


 震える手を前に突き出そうとすると、そっと腰に手が添えられる。


「本当に殺すなら近づきすぎだ。あと、背をピンと。腕の長さと剣の長さを足して考え。これぐらい離れて、離れて。ほら、思いっきり腕を振る」


 ん?


「……お姉様?」

「どうした? 何かわからないところでもあるか? 一度私と練習してから首を落とすかい?」


 いや、違くて。


「止めないの? この人、皇子なんでしょ?」


 あの船に乗っていないのに海軍の服を着れる、姉が気を使えるぐらいにこの公爵家である花江塚家よりも上、木之下は側室……って言い方は今はしないんだっけ。皇帝の第三夫人の苗字。顔は知らないけど他にも色々ヒントはあったし、皇子なはずなんだけど……。

 何で姉は殺すこと推奨してんの?

 私の予想間違えた?


「うん。第二の方だよ」


 やっぱり皇子やん!


「殺しちゃダメでしょ!? 何で止めないの!?」

「ホノカのやりたい事否定すると嫌われちゃうかなって……」

「気を使う方向が違ってるんだよなー! 嫌われちゃうとかじゃないでしょ! 皇子殺したら重罪だよ!?」

「一週間後の航海で海外に逃がせるから大丈夫! 一週間お姉ちゃんと一緒に頑張ろ!」

「頑張る方向が人としてクソ過ぎるでしょっ!」

「それに木之下、なんか私よりもホノカと仲良くなってるし……。このままだとお姉ちゃんの座が……」

「その座は揺らぐもんじゃない」


 実姉の座揺らぐことある? なくない?


「……花江塚。其処迄にしてくれ。いい加減剣を向けられ続けたくないんだが」


 木之下が嫌そうな顔で両手を上げつつ、抗議してくる。なんだこいつ。

 間近で構えていた時は顔色ひとつ変えなかったくせに、今になって?

 時間差でビビるタイプ?


「妹も花江塚を説得しろ」


 あ、そうか。姉が私を通して剣を持ってるのが怖いのか。

 まあ気持ちは分からんくもない。

 が、しかし。


「何の義理があって?」


 お前、さっき何したかわかってんの?


「皇子の命令だぞ?」

「その皇子を殺す覚悟でここまで来てるので。話聞いてなかったの? 耳悪いんですね、おじさんは」

「おじさん!? まだ二十五だが!?」

「そうなんですね。私はまだ十七なので十分おじさんですね、おじさん」

「花江塚の女はどいつもこいつも可愛げがないのしか居ないのかっ!?」

「は?」

「あ?」


 私と姉が皇子の鼻先に剣を突きつける。


「ホノカは可愛いだろうがっ!」

「お姉様は可愛いだろうがっ!」





「毒なん仕込んでたのか。知らなかったな」

「仕込んでない。仕込んだのは暗号だけだよ」


 そう言って、第二皇子ことスバル氏が件の赤ワインの注がれたグラスを煽る。


「つまり、これらはテストだったと?」


 呆れた顔で私は二人を見ながらため息をついた。

 話を聞くに、これは姉も共犯のテストだっと。

 テストの内容は至って単純。制限時間内に、私があの暗号を解読し正解に辿り着くか。

 はぁ。本当、冗談も大概にしてほしい。


「まあ、そんなことだと思ったけどさぁ……。子供じゃないんだからお姉様もこんな心配させるテストはやめてっ!」

「ごめんごめん。でも、ホノカがあれだけ真剣に私の心配をしてくれたのは嬉しかったよ」


 今思い出すと、自分の行動全てが恥ずかしく感じる。

 これ以上姉にニコニコする話題を振りたくなくて、私はスバル氏の方へ向く。


「一体、こんな手の込んだことを何故私に?」


 どんなつもりか知らないが、私にこんなドッキリをして何の価値があるというのか。


「お前の姉に聞いたんだ。入り用で人手がいる。海軍で一番頭がよく、物事を冷静に捉えれ、万事を多く知り、瞬時に覚悟を決めれる奴を紹介してくれと言ったら……」

「私はそれが花江塚ホノカだと答えた」


 姉が笑う。


「ホノカの才は軍人でも女でもない。『人間』と言う括りで最も私が知る限りでは有能な人物だからね」


 姉の言葉にぎゅっと胸が締め付けられる。

 いつも笑い者にされてきた。女がどれほど頭が良くて何になる。美しさも持てないだだの出涸らしじゃないか。って。

 そうだ。この世界、女は結婚出産の道具でしかない。

 美しく若ければ価値のある家具の一つになれる。

 でも、私はそんな価値なんていらない。

 私が欲しい価値はそんなものじゃない。

 誰にも言わずに宝物箱にしまった言葉を解くように、お姉様の言葉が私の中に入っていく。

 だから私はこの人が好きなのだ。命をかけて良いと思えるぐらいに。


「そう花江塚が言うんだ。まずは会ってみようと思ってあの港迄出向いた。そしたら、あの鉄の塊はどう浮くのかと目を輝かせながら見てる姿に遭遇してな。純粋に興味が湧いた」

「何故? 完全なる無知な疑問を私は口にしただけでは?」

「無知は鉄の船が浮かぬとは思わないんだよ。だが、そうだな。お前の言う通り、無知の可能性もあると今回のような大規模テストを開始した」

「……父と母の遠征もそちらが用意したんでしょ?」

「何故そう思う?」

「お姉様が知っていたから。変更連絡が着たのはその日の朝。お姉さまはその頃海の上のはず。同じ軍に所属してると言っても、父の陸軍と姉の海軍は別物。演習の変更連絡が船にわざわざ入るとは思えない。なのに、姉は知っていた。何処で誰が? 答えは簡単。陸にいた貴方が姉に教えた、または事前に教えていたことになる。メイドも付けず一人でお着替えをなさる方でなおかつ、家について母と父がいないことを誰にも問いかける姿を見なかっただけで十分すぎるぐらい証拠かと」


 他にも姉は沢山ボロをだしてくれていた。こちらが全て拾い切れているか心配になるぐらいには。


「そんなに私は分かり易かったか……?」


 ションボリした姉にかける言葉はないんだよなー。


「成る程。確かに、頭は切れる」

「普通では? 私ぐらいの人間なら沢山いますよ」

「ギリギリと言えど、暗号も時間内に成功してる」

「遅すぎるかと」


 そもそも、私は暗号を解くつもりすらなかったのに。

 関わりたくないとばかりの言葉に、スバル氏が小さく笑う。


「十分だ。それほど、俺のことが嫌いか?」

「ええ、まあ。剣を喉元に突きつけるぐらいには」

「そうか。じゃあ、都合が最高にいいな」


 ん? 何で? 何の都合なのよ? 嫌いなのが嬉しいってそう言う趣味ってこと? は? こっわ。

 私が訝しんでると、スバル氏が笑いながら立っていた私の手を引いた。


「ホノカ、俺の婚約者になれ。人生に寄り道は大切なんだろ?」

「……はぁー!?」


 よろけた私を抱きかかえるように受け止める塩顔の男。

 はぁー!?

 絶対嫌なんですけどっ!!

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可愛くない私と婚約者王子 富升針清 @crlss

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