第4話 お姉様

「さて、と」


 女主人の朝は割と早い。日が出る前にやることは沢山あるのだ。

 襷掛けの結び目をきつく縛り、井戸の冷たい水で顔を洗ってまずは朝餉の支度からだ。


「明日の夜には父と母が帰るようだ」


 昨日の晩、姉から聞いた情報によると、私の女主人(仮)も今日までの役目らしい。

 姉が帰ってきて一週間、よく頑張った方じゃないか?

 明後日には日が上がってから起きられると思うと、これ以上の極楽浄土はない気がしてくる。

 早寝早起きは三文の徳って言うけど、私は三文を払ってでも遅寝遅起きがしたい派。母を含め家族の生活を支える世の女主人は本当に凄いよ。尊敬するしかない。

 そして、尊敬するしかないのはこの人たちも。


「お姉様、木之下様、ごきげんよう」


 朝餉の支度に勝手口から外へ出ると、まだまだ冬の寒さが居残る早朝にも関わらず薄着の二人が鍛錬を始めていた。

 鍛錬だけで早起きも薄着もようやるわ。


「おはよう、ホノカ」

「おはようございます、妹様」

「お二人とも精が出ますね。これから山の方へ走り込みですか?」

「うん。軽く回ってこうと思ってるよ」


 姉が笑う横で木之下がギョッとした目で見るの、毎度のことながらおもろいな。

 気持ちはわかるよ。

 私も子供の頃、姉と父に付き合わされていた時ずっとそんな顔してたからな。山を舐めたらあかんとかの問題じゃない。お前ら二人以外の人間の体力は常にお前ら二人と比べると残量表示なんだよなって話よ。

 木之下も災難だな。

 が、別に私に助ける義務ないし。

 そんでもって、義理なんてかけらもないし。


「お二人ともいってらっしゃいませ。美味しいご飯を使ってお帰りをお待ちしておりますわ」


 絶望のまま走れば良いよ、この野郎。


「それは楽しみだな!」

「ははは……」


 お姉様とは対照的に力無く笑う木之下。わかるぞ。こんなところで無駄な体力一ミリでも使ってられるか!って気持ちね。

 が、そんな気遣い山に入れば全部無駄よ。

 どうせ死ぬほど疲れるんだから。こんなところでケチってても何もならんって。

 二人を送り出し、勝手口周りの用事を済ませて室内に戻る。

 それにしても、よく付き合うな。お姉様に断れないなにかがあるのか? 木之下。

 本当に恋仲だったらどうしようと思うが、姉に聞く勇気はあまりない。

 かと言って木之下に聞くのも、ねぇ?

 あの夜から木之下と接触はない。

 ありがたいことに、私と個人での接触を向こうが徹底的に避けてくれるのだ。

 いいのよ。私お前のこと好きじゃないから、大歓迎だわ。

 でも、直接な原因はわかんないのが、ちょっと怖い。

 あの夜、私に釘を刺されたことにビビってくれたのか、なんなのか。でもあれなら秘密を私に暴露させないために何ら接触をしてもいいと思うのよね。

 口止め料とか、なにかしらの取引を提示するのが王道。

 まあ、私いいところのお嬢様なんで金とか物とかチラつかされてもダブルピースしながら「いりましぇーん!」とか出来るんだけどね。クソ舐めた態度で煽りちかしたいぐらいは失礼なことされまくってるから許されるでしょ。

 それもないのに接触を断つなんて、何かあんのかな?

 ま、いいか。

 木之下も今日でいなくなるしねっ!

 今日はいい日では?




 皿下げが終わって、残り食材の確認をしていると、桐の箱を持ったコハルに声をかけられた。


「赤ワイン?」


 箱を開けて見せられのは、ご立派すぎる赤ワインである。


「ええ。木之下様がマコト様に、と」

「ふーん。今日の夕食にお出しすればいいの?」


 木箱に入った明らかに俺は高いぜ!! って言ってそうな赤ワインのボトルを見ながら、私は今日の夕飯の献立を考える。

 残りの食材を考えると、明るくはない提案だ。

 木之下が家を出るのは夕飯が終わった午後八時頃。

 迎えの馬車が来るそうなので送迎は特になし。

 いや、てか、飯の前に帰れよ。まじでそう言うところだぞ! 木之下!!

 しかも赤ワインとか、肉? 肉を出せと?

 肉屋を至急呼び寄せて、えっと……。


「いえ、夕食は魚で良いそうです」

「え? じゃあこの赤ワインどうするの?」


 手土産はその場で振る舞うのがこの国の文化である。流石に、あざっす! あざっす! とか言って貰っておいて出さずに帰させるとあれば女主人の面子が立たない。

 私はいいけど、木之下が言いふらせば本来の女主人であるお母様まで被害が及ぶ恐れがある。

 流石に私のせいで悪評とか、顔だけにておきたいところだ。


「昼にってこと?」


 朝ごはんを食べたばかりなのに、昼に重いものの話するの、なんかやだな。

 てか、昼に肉? 今から呼び寄せてでは到底間に合わないし、人を走らせるしかないのか?


「お二人とも昼は軽くがよいそうなので、この赤ワインと合うものでも出したら如何ですか?」

「そうなん? それなら

乾燥肉とかどう?」

「いいんじゃないですか? 合いますよ」

「なら、有り合わせで足りるわね」


 そんでもって昼餉はなんでもいいのか。

 最高じゃん。


「コハルは外から乾燥肉持ってきてオタマさんに渡しといてくれる?」

「わかりました」

「後は……、今お姉様と木之下が何処にいるかわかる?」

「ええ、一時間ほど稽古をつけて帰ってくるとお出かけされました」

「山にまた入るなら風呂の準備しといた方がいいかもね。ミサエちゃんっ! 私お風呂の準備とお掃除してくるから台所の片付け任せて良い?」

「あと皿片すだけなんで、大丈夫っすよー!」


 流石ミサエ。仕事が早いいい女だぜ。


「風呂の準備なら他の者にやらせれば良いのでは?」

「時間外だし、仕事がきっちり決まってる人間をあてがうよりも、手が空いてる人間がやった方が効率的よ」

「女主人よりも下女ですね」

「あ、いいね。それ。早起きしなくていいなら下女もいいかも」


 家事全般万能ではないけど、嫌いじゃない。

 本物の戦場も女の子の戦場も私には力不足であったが家の戦場ならまだまだ戦えるんじゃない?


「それだけで十分向いてないですね」

「お嬢様も十分向いてないけどね。さて、コハルは肉取ったらお姉様の補助をお願いね。因みに今日は何の服着て出かけられたの?」

「道着です」

「今日木之下様の迎えの馬車が来るから、帰ってきたら風呂に直行させて綺麗目の服着させて。道着やらなんやら着ようとしたら頬叩いてでも止めて」

「クマに拳で勝てと? 無茶をおっしゃる」

「クマじゃなくて相手はお嬢様だよ?」

「クマに洋服を着て座って貰った方が大人しいですよ。ま、善処はしますが」

「いや、流石にクマでも……、いや、大人しいな」


 そこは流石に負けてるな、うちの姉。

 コハルは話が終わるとさっさと自分の仕事へ向かってしまった。

 さて、私もやる事が山積みだわ。

 ゆっくりしてなんていられない。

 台所を離れると、私は風呂掃除に部屋掃除と目まぐるしく働き始めた。

 少し時間は押してしまったが、残るは部屋掃除だけなのでなんとかなりそう。何故なら、部屋掃除はひどく簡単なものである。それは私が木之下の部屋を担当しているからだ。

 風呂を掃除して火の番を引き継ぎ、木之下の部屋に入る。コハルから教えて貰った時間から小一時間程過ぎてしまったが、誰からも呼び止められていないし大丈夫かな。

 木之下の部屋はお前の実家の部屋かよって呆れるぐらいいつも沢山の紙で散らかっていた。

 贅沢なテーブルには、携帯受信機のカバンが。

 その端々に殴り書きしたような数字が書かれている。

 心と違って字だけは綺麗で、どんだけ急いで書いたとしても原型を留めているのは普通に感心する。


「667852984631541085……」


 意味を持たない数字の羅列。

 モールス信号で受信した数字を書き連ねているのだろう。

 恐らく、暗号。

 私は数字を暗記して、部屋のものを動かさずに箒をかけながら今日の暗号の計算をしはじめた。

 昨日は『本日晴天なり』だったな。

 数日この部屋を掃除していて、私はこの暗号の法則に気づいたのだ。

 だって暇だし。

 人間暇だと碌な事しないって言うでしょ? 私がいい例だよね。国家機密かもしんないもの読み当てようするとか、本当自分でも暇だと思う。

 が、いくら暗号といえどこんなにも堂々と掃除する人間が入る場所にばら撒いてる方が悪い。

 数字はいつも決まった規則で並んでいるのだ。

 十一桁の数字が一つの言葉を表している。

 数字を左頭十文字、右頭一文字に分け、割る。その頭文字二桁があいうえお順の番号に該当する。

 因みにあいうえおかきくけこの一桁の場合は割り切れる数字、つまり小数点がついてない場合に頭一桁として扱うようになっている。

 正直割り算出来れば暇すぎる奴全員わかるんじゃないか説だけどね。大丈夫か、国家機密。


「西向く侍……」


 今回の暗号もだが、前回、前々回共にどうでもいい内容ばかりが書き連ねられいている。

 恐らくこれも暗号なんだろうけど、この先は知る由もなし。

 ま、国家機密に首突っ込む理由もないしね。知らぬが仏ってやつでしょ。


「あ、今日はクイーンが増えてる」


 私がベッドシーツを交換しいていると、ベッドサイドにある将棋盤の上に置かれた駒が増えていることに気づいた。

 それ自体は酷くどうでもいいんだけど、その将棋盤の上に置かれてるのがチェスの駒ってのが、ね。

 変なのってずっと思ってる。

 まあ、木之下自体変でしょ。めっちゃ失礼だし。


「着替えは……、お父様のでいいか」


 大体こんなでかいモールス信号の受信機持ってきてる割には着替えとか最低限。寝巻きとか足りないものは父のを貸し出してる。

 恐らく、姉が譲って木之下が一番風呂に入るだろうから先に用意しておかないと。

 私は木之下の部屋から服を掴んで飛び出そうとすると、何かが足に引っ掛かる。


「ぎゃっ!」


 見事に前のめりに転けてしまった。

 え? なに?

 木之下の呪い?

 と思って足元を見れば、分厚い本が置かれていた。こんなとこに本を置くなよ!!

 怒り心頭で本を元あった場所に戻す。少しでもズレて文句言われるの嫌だし。

 しかし、ありふれた本だな。帝国の歴史の本。少し前、私の学年では学校で教材として使われていた本だ。

 内容は至って普通の歴史教材。

 しかし、ベッドの下に隠すように置く本かね?

 もしかして、なんか如何わしいものでも挟まってたとか?


「……限りなくどうでもいいな」


 だって木之下のでしょ? 限りなく興味ないわー。

 私は服を掴んで今度こそ部屋を飛び出した。

 それにしても帝国の歴史とか懐かしいな。

 そういえば、あの暗号に書かれた『本日晴天なり』も乗っているのよね。別にあれは天気の話ではなく、一つのテストで使う記号と言ってもいいかもしれない。確か帝国初めての無線テストで『本日は晴天なり』って言ったのが始まりとか何とか書かれてたわね。だからたとえ雨が降ってても『晴天なり』って言うのよ。

 面白いよね。

 でもね、まだ面白い話があってね。

 あの本で『本日晴天なり』って書かれてるんだけど、実はこれ、誤植なの。本当は、『本日は晴天なり』で作った人がうっかり『は』を忘れてしまったわけ。

 だから、『本日晴天なり』ってことば本来存在しないのよね。本当、ただそれだけで私の次の学年では回収騒動にもなったんだっけ。

 あれ? でも、そうなると……。


 あれ?


 私は階段を降りる足をピタリと止めた。

 それだと、おかしくないか?

 今、私は何と言った? 『本日晴天なり』は存在しない言葉と、言ったよな?

 なら何故、存在しないはずの言葉を木之下は受け取っているんだ?

 あの暗号は、存在しないはずの言葉が唯一存在する、あの本を指していると言うこと……?

 待てよ、だとすると今日の暗号でもある西向く侍もどれもこれも、全てあの本に書かれた単語じゃないか?

 私は息を吐いて、あの本の全てのページを呼び起こす。

 数年前とはいえ、全て、ページのシミ一つ間違えずに暗記した本だ。使われていないと言って、忘れているはずがない。

 本日晴天なり。

 八十八ページ七行目二十一文字からスタート。

 他には?

 あのページに何があった?

 あのページには他にも無線が軍事で使われた際の騎馬隊が……。

 私は持っていた着替えを殴り捨てる。

 騎馬隊……。馬……。ナイト……。

 将棋盤の位置は▲8九ナイト。

 ページ数は八十八。

 左側のページは八十九。

 恐らく、右と左のページ数を分けた数が駒の位置を表してるはずだ。

 八十九ページ一行目二十四文字目に馬。馬の文字を▲8九に配置。

 あの盤面でナイトの動きで当て嵌まる文字は、『赤』……。

 全ての暗号を同じように当て当て嵌めて場面を進ませると一つの文章が浮かび上がった。


『赤わいンニどク』


 赤ワインに毒……っ!

 身の毛がよだつ。

 その悪意に。


「コハルっ!! コハルっ!」

「何事で?」

「あの赤ワインは今どこにあるの!?」

「先ほど、戻られたばかりのお二人が今から飲むと用意をさせました。それが五分前のことですので、既に……」


 既にだって!?


「水を用意しろ! それも沢山だっ!」


 最悪の場合を考慮し、私は大声を張り上げた。

 何かいいかけているコハルの相手をしている暇はない。

 食事がないのならば、二人は間違いなく一階の貴賓室にいるはずだっ!

 そう早くもない足てドスドス音を鳴らしながら廊下をひた走る。

 あの暗号通りならば、木之下が持ってきたあの赤ワインには毒が入っているっ!

 木之下はその事実を知っているが、お姉様はそれを知らない。私もそれがどんな毒かはわからない。

 ここからは私の想像の話になってしまうが、恐らく仕込まれたのは遅効性の毒だ。何故この険しい山道の中にある花江塚家を木之下がわざわざ夜に我が家を出るのか。夜道の危険を取ってまでも、木之下にはこの家に残る時間が必要なのだ。それは自分が犯人ではないとアリバイを作るためと残った毒の処理のために他ならない。

 何で姉が命を狙われてるかなんて知らない。

 根っからの軍人気質な彼女を疎むお飾り軍人の貴族どもはさぞ多いだろうよ。

 誰の差し金か知らないけど、狙うならば姉を狙うべきじゃない。


「お姉様っ!!」


 まず、私を殺しておくべきだった。

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