第3話 私は絶対に許さない

「お父様とお母様は?」

「今朝方陸軍の大規模演習にお出かけになりまたよ」

「え、そうなの?」


 屋敷について服を着替えていると、コハルの情報に思わず脱ぎかけのドレスから顔を出す。


「ご存知なかったんですか?」

「なんか慌てて出かけたのは知ってる」

「日程が早まった様で、その連絡が遅れたそうです」

「うっへー。大変だね」


 でも、何でお母様も? あの人暇なん?


「暇ですよ」

「あ、声出てた?」

「顔にです」


 ありゃー。そんなに出てたかー。

 外じゃないし、家の中だとお嬢様っぽいことしなくていいと思うと、ついつい気も何もかも緩みがちになってしまう。


「普通、夫人がついてくもんなの? 家で旦那の帰りを健気に待ってるもんじゃないの?」

「ついて行かれる方もいらっしゃる様ですよ」

「そうなの? 意外と多いのか」


 何かイメージとちがーう。


「そうですね、割合としては万人に一人とかじゃないですか?」

「それうちの母じゃん」


 そして一人じゃん。


「いいのでは? 此方にいらっしゃるより有意義に過ごされていますよ、今頃」

「有意義が過ぎる。それよりも、コハル。あの木之下って奴なに!?」

「帝国海軍所属の人間の男では?」

「嘘、私その情報知らないってコハルに思われてる?」

「馬鹿にしてますから」

「しないでくれる!? 木之下にもされたばかりなのに!」

「いつの間にそんなに仲良く? あ、木之下様はブス専ってコト?」

「失礼すぎにも程があるでしょ。あ、勿論私にだからねっ! わかんないけど、滅茶苦茶馬鹿にされたし、なんか殺されそうな勢いで睨まれたし……っ!」

「それは……」

「え? 何?」


 まさか、アイツ、私のこと……っ!?


「滅茶苦茶嫌われてますね」

「知っとるわ」


 そんなことぐらいわかっとるわ。


「何か失礼なことでも?」

「したりされたりでしょ。あんな皮肉の応報、お姉様以外気付かないわけないじゃん」

「マコト様は昔からそんなところがありますからね。ホノカお嬢様と違って寛大なのですよ」

「あれは寛大じゃなくて鈍ちん……。ねぇ、この新しい薄桃色の洋服なんなの?」

「ああ、マコト様の従者の方が持って参りました」

「……はぁ。本当、お姉様は鈍ちんね。彼、お姉様の婚約者とかではないの?」

「木之下様ですか?」

「ええ。流石に軍の上司部下でも男女間で同じ屋根の下で寝泊まりをするとは中々考えられないわ」

「マコト様ですよ?」

「それは禁止カードよ。その魔法の言葉だとなんでもそうねってなっちゃうでしょ」


 お姉様と私は四つほど歳が離れている。

 姉は所謂結婚的年齢を超えた売れ残り、だ。

 が、売れ残りもなにも姉は海軍所属の少佐。その実力もさることながら、その年齢でその地位につけるのは我が家、花江塚の名前があるから。

 コネとか何とか文句言う人もいるけど、あの人に限ってはそんなものスピードアップの一時的な道具でしかない。つまり、軍人階級と言う個人的意見の塊様なシステム内で実力を押し通せる一つの要素でしかないということだ。

 それ程までに花江塚マコトは軍人の中の軍人。

 個の強さは勿論、冷静な判断に統制力、戦略的思考に長けたお方。

 因みに私は十二歳の時に誘拐をされたことがあるのだけど、お姉様の冷静で的確な判断により見殺しにされた過去があるわ。

 これを聞くと大抵の人が私を憐れむし、姉を非難するけども、私の存在と我が国のどの様な位置付けにいるかを冷静に判断なさっただけで何一つ間違っていないし、逆に私一人のために家族愛とか謎理論を振りかざして国家を捨てる軍人の方がヤバない? 私、その責任負えないし帰ってきて居場所ないでしょ、それ。私が死ぬだけなら、私が死んだ十字架を一生お姉様が背負って生きていくだけで済むし。

 それがどれほど正しいか、私たちは父と母に教えられて生きてきた。

 いつ相手を捨てる捨てられるかわからないからこそ、それまでの一瞬一瞬を強い絆とそれこそ謎理論の家族愛で埋めれてるのかもね。

 おっと、話が逸れたけど、そんな姉だがまだこの国は結婚していない女子を良しとしない文化がまだ根強く残っている。軍の上層部の狸爺いどもなんて、その最たるものだろう。


「結構冗談じゃないつもりなんだけどね。お父様が止めても、お節介な爺いは多いもの」

「だとしたら軍階級が上の爵位持ちをあてがうのでは? 木之下という名前は貴族名簿には存在しませんし、彼の軍階級は随分とマコト様より下でしたので」

「コートで階級バッジは隠れてたと思うけど?」

「馬車に乗られる時にコートを受け取りました。その時に」

「成る程。うーん。本当にお姉様が困った部下に手を差し伸べて宿を提供したのかしら?」

「何かおかしいことでも? しそうじゃないですか。貴女如きに優しいんですから」

「二十年近く連れ添ってる妹に優しいのは情とかなんとか理解できるところが多いでしょ。それを部下と同列化する方が可笑しいわよ」


 何かなぁー。


「気に入らないのよね……」


 あの木之下って男。


「喧嘩売られたから家から追い出したいだけなんじゃないんですか? 体の割に器が狭いんですね」

「普通に失礼だな、おい」


 間違ってないけども。

 でも、気になるのよね。お姉様のこの行動が。




 自室を出た後、階段下で偶然姉と出会ってしまった。


「おや、もうドレスは脱いでしまったの?」

「ええ、あれでは一人で階段すら上がれませんわ」

「私が一日隣にいてエスコートしてあげようか?」


 その場合、多くの時間が姉への介護で終わるんだよな。軍人としては上に君臨すべき人なんだけど、いざ家の中にとなるとポンコツだし。


「お互いの健康のためにやめた方が良いかと。それよりも、今日からお父様とお母様がいらっしゃらないのお姉様はご存知でしたか?」

「ああ、確か大規模演習に駆り出されたと。でも何で母上まで? 暇なのか? それとも妻や娘を引き連れて演習に行くのが最近の流行りなのか? 陸のことはよく分からんな」

「コハルによると数万人に一人ぐらいは演習について行く奥様もいらっしゃるみたいですよ」

「……それは多いの? 少ないの?」


 ご自分の海軍で考えればめっちゃ少ないと思うんですけどね。


「どっちだと思います?」

「んー。五人ぐらいいると思う!」


 どっからきた? その数字。

 が、ポンコツ姉にこれ以上言っても仕方がない。


「そうだと良いですね。本当に。そうだ、お母様がいらっしゃらないので、お食事は店に行きますか? それとも職人を呼びに?」

「ああ、そうか。女主人が不在になるのか」


 女主人とは古くから使われている言葉で、家の中のことを取り仕切る主人のことを指すの。因みに、男の人が取り仕切ってても女主人って言う。

 普通の貴族だとさ、台所とかメイドやシェフのお仕事だと思うでしょ?

 でも公家上がりの貴族の多くは昔からある『女主人』制度を取ってるところが多いの。

 うちもその一つってわけ。

 勿論台所手伝いとかはいるのだけど、女主人と呼ばれる制度があると台所預かりは女主人の仕事になる。

 その日のメニューとか考えて作るとかね。多分、毒とか入れられないためとか色々理由はあるんだけど、今の時代には理由という理由はまったくないけどね。

 他の掃除洗濯なども勿論、女主人が舵きりをやる。

 言い方は悪いけど、海外のメイド長とかってやつ?


「いや、外は……。そうだっ! ホノカ! 君が女主人をやるんだよ!」

「……え?」


 突然の姉の提案に、思わず私は飛び上がった。

 いや、だって。


「順番的にはお姉様が女主人では……?」


 なんで上がいるのに下が主人やんのよ。


「私のことは用心棒ぐらいに思ってくれ。君も知る様に、私は掃除洗濯食事については破壊的に向いてないから、ねっ!」


 そうだ。そうなのだ。

 何回も言うが、この人は軍人じゃないと基本ポンコツなのだ。ポンコツって言うよりも、本当向いてないって感じ。

 よくある表現のダークマター料理で作っちゃったり、服破っちゃったりとかの向いてなさじゃない。

 現実的な向いてなさを披露するのがお姉様なのだ。

 例えば、卵焼き。

 作れるは作れるんだ。上手いわけじゃないけど。食べれないものはない。

 が、段取りがクソほど悪かったり、効率的にできないが故に時間がかかる。滅茶苦茶かかる。卵焼き出来るのに三十分ぐらい余裕でかかる。

 段取りやら効率なんて慣れだと言うけど、それはある程度それに時間が割けれる人間の努力した結果である。

 一年のうち大半を母国を守る軍事のために海の上で過ごす姉にそんな時間は割けない。


「別に私がわざわざ女主人でなくても、料理以外は女主人不在の動きを使用人たちは熟知しておりますよ。料理も外で外注が出来ますし、不要では?」

「いや、私としてはホノカが女主人になった方が助かる。掃除の指示もホノカが出してくれるかい?」

「それは構いませんが、従来では問題がおありで?」

「ああ。木之下の部屋の掃除は極力物を動かさずに頼みたい。また、一人で行うこと。また、新人は近寄るのも禁止。あの部屋で我々は仕事の話をする機会がある故、下手に触れたくないのだ」


 随分と過保護だな。

 それに、掃除の注文も細かい。


「承知いたしました。お姉様のお部屋は如何されますか?」

「従来で構わないよ」


 少佐の部屋はベッドだけ、か。


「何もないですものね」

「うん。服もお母様のをお借りするし」


 殺風景を通り越して、最早監獄に近い。いや、監獄の方がまだ住み心地いいと思う。


「わかりました。女主人の件は引き受けさせていただきます。取り敢えず、今日の晩ご飯は質素なものになりますが良いですかね? 今の時間人を走らせても碌に揃わないでしょうし」

「構わないよ」

「わかりました」

「そう難しく構えずに。結婚後の練習だと思ってやってくれ」

「ああ、そうですね。そう言えば能登回様も旧公家ですものね」


 嫁いだら自動的に女主人が回ってくるのか。

 一度も考えたことなかったな。


「……本当に結婚するのか? 私以外のやつと」

「本当に結婚しますし、お姉様以外しか選択できないやつですよ、それ」

「はぁ。あのおじじに君をあてがうなんて間違ってるよ」

「何をおっしゃるの。公家同士の結婚なんてこのご時世中々見えないものですわよ。それに、この結婚は私からプロポーズしたのですから能登回様の文句は差し控えてくださいます?」

「そうだったね。……で、いつ婚約破棄するの?」

「めんどくさいお父様みたいなこと言わないでいただける?」


 まったく。結婚なんてしてもしなくても皆んな煩いのどうにかならないわけ?




「と言うわけで、私がお母様の代理で女主人になったので皆様のお手をお借りしまーす。よろしくお願いいたしますわ」

「はーい」


 台所を牛耳る女性陣は少数精鋭だ。

 どれもお母様が選んだスペシャリストたち。

 

「お嬢様、木之下様は貴族なんです?」

「違うんじゃない? 軍階級、貴族なら最低でも少尉から入るし」

「あら、それよりも下なんです?」

「うん」

「じゃあ、マコト様の恋人とか!?」

「それ私も思った! 家に連れてくるだなんて、婚約前ではあり得ないわ!」

「オタマさん、それは古い考えじゃない? 今の時代はもっとカジュアルにお付き合いしてるわよ」

「マコト様は腐っても公爵家のご令嬢よ? カジュアルにお付き合いなんて身分的にも出来るわけがないでしょ!」

「腐ってなくてもお姉様はお姉様よ。あの人が恋人とか作ると思う?」


 花江塚マコトだぞ?


「……解散、解散。どうせ仕事の延長でしょ。明日の朝には鍛錬する二人が見えるわ」

「そうね。時間の無駄だったわ」

「えー。折角顔がいい人間が一人増えると思ったのにっ!」


 ミサエの言葉に私は首を捻る。


「え? あの人、顔がいい?」


 何処が?


「えっ!? お嬢様はそう思わないんです!? 塩顔でシュッとして凛々しくないですか!?」


 そうか?

 塩顔ってのはわかるけど、シュッとしてるとかはわからん。


「ああ、確かに。美男子ですよね」

「軍人さんってゴツメの人多い中で、あのスラッとした体系素敵よね」

「わかるっ! 詰襟が映えるのよねっ!」


 各々が木之下男前ポイントを上げて行くが、どうもピンとこない。

 だって、さ。


「お姉様の方がカッコよくない?」


 顔がいい人間といえば、お姉様でしょ。


「あー。お嬢様はマコト様の顔が基準になっちゃたんですね……」

「そんな象のようなデカい物差し持ってると、何も測れず死にますよ?」

「今のうちに折っておいたほうが無難ですよ」

「えー。そこまで言う?」


 だって生まれた時から見てる顔だし。

 それに、私の顔をとやかく言うのならば、せめて私の身内だけは軽々と飛び越してくれないと。

 ふと、米を研いでいる自分の手を見る。


「……太いかな?」


 見れば水桶に映る自分の姿もまた随分と醜い。

 美し定規なんて既に折れてるよ。

 だって私、こんなにもブスだもん。




「げ」

「おや?」


 質素に終わった夕餉。その片付けが済んで風呂へと向かうと、その途中に煙草を嗜んでいた木之下と遭遇してしまった。

 ぐぬぬ。特に夕餉の時にはお姉様の目もあってか攻防しなかったけど私一人の時はなんかしかけてくんのか!? やんのか!?

 思わず私の心の中でファイティングポーズを取ってしまう。

 最早煙草を挟む細い指たちすら、太い私の指に喧嘩売ってんじゃないの!? と思えてくる始末だ。

 被害妄想だなって自分でも思うけど、売られた喧嘩の内容を、速攻忘れるような鳥頭でもないから仕方がない。


「……木之下様、ご機嫌よう。何も持て成せぬ狭い家ですが、どうぞごゆっくり寛ぎ下さいませ」

「いえいえ、夕飯もとても美味しかったです。妹様が作られたとか?」

「まさか。我が家の使用人達の腕が良かったのですわ。私は出来るのは恥ずかしながら野菜の皮剥きぐらいですので」

「そうなのですか? てっきり妹様が作られたのかと。少佐殿がいつも妹様の料理の腕前を我々に教えてくださるので」


 よ、余計なことを……っ!

 

「お姉様ったらっ! お恥ずかしいですわ。姉は私を過大評価し過ぎる癖がありまして……」

「ええ、そうでしょう。妹様が如何に美しいかも教わりましたしね」


 そう言って木之下はプカプカと白い煙を浮かした。

 お?

 今、ゴング鳴ったな??

 鳴ったよな? てか、鳴らしたなよな? おい。


「特に賢いと仰っていましたが、そうですね。本当に、少佐は大層家族を愛されているのかと感心しざる得ないですな」

「そうなのですか? 身内のお恥ずかしい話ばかりで恐縮致しますわ」

「なに、誰でも家族は特別可愛く見えるのでしょう」

「あら、木之下様も妹様が可愛く思いますの?」

「……は?」


 は? じゃねぇーんだよ、雑魚。


「ああ、失礼。『木之下』では妹はいらっしゃないですものね。ごめんあそばせ。私、賢くないようなのでうっかり失礼な質問をしてしまいましたわ」

「何を……」

「何を? 配慮が出来ない愚かな私からの謝罪ですが? 何か?」

「何故妹がっ」

「はは、何を仰りたいのか。全てご自分が私に教えたのでしょう? 船にも乗らずに軍服がご用意される身分であること。姉に外部からの制限をかけさせる指示が出せること。貴方の言動一つ一つがお答えでは? ご自分の言葉に重みを置いておられぬとは可笑しな話ですね。我々はあなた方の言葉に命を預けて生きていると言うのに」


 何故、私の疑問を答えられた?

 何故、家のことに無頓着な姉が食事を制限する?

 何故、お前のタバコを持つ手は私の手よりも美しく綺麗なのか。


「……」

「では、私はこれで。お休みなさいませ、木之下様」


 何も答えられない木之下の近くを今度は私が横切るのだ。


「あと、これは最後に。私のことはどれほど馬鹿にしても構わないが、うちの次期当主を蔑むようなら私は絶対に貴方を許さない」


 お前が誰であっても。

 私だって大層家族を愛しているのだもの。

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