第6話【第二章】

【第二章】


「ぐわははは! そんなに驚かんでもいいだろう、坊主! はっはっは!」

「あんまり真剣に相手をするなよ、ケレン。飲むとすぐこれだ」

「は、はあ……」


 宿を取ったレベッカとケレンは、近所のバーに繰り出していた。カウンター席に、巨大な人物を挟むようにして。

 どうやらレベッカは常連らしい。いつものやつを、という一言で、あっという間に果実酒が出てきた。

 ケレンは未成年だということで、ホットミルクを舐めるように飲んでいる。


 問題は、密林で樹木型の食人獣との戦闘を援護してくれた人物の存在だった。

 ゴン・ウルドー。三十一歳。禿頭で巨躯、というよりは巨大な、もっと言えば馬鹿でかい体躯をしている。

 このバーに入る時も、身を屈めなければならなかったほどだ。


 密林での緊張感はどこへやら。今はただの飲んだくれと化している。


 ここまで共に歩いてくる間に、ケレンはゴンとの付き合い方を模索していた。

 とはいうものの、それをしっかり掴めたわけではない。


 そもそも、彼は人間なのだろうか? 腕が四本あるのだが。

 ゴンを挟んで反対側に座ったレベッカが、やれやれとかぶりを振った。


「ケレン、ゴンとの会話、そっちに任せるぞ」

「あ、えっ?」

「こら坊主! いい加減ビビるのをやめんか! 貧乏ゆすりが激しいぞ!」


 それはそうだ、と言い返せたらどれほど楽だろうか。自分はあんたのことが怖いんだ、と。

 だが、そのゴン当人は人懐っこい笑みを浮かべている。この笑顔だけは、胡散臭く思えない。正義漢であることも否定できない。

 なにせ、自分とレベッカを救ってくれたのだから。


「まあまあ、冒険してりゃいろんなものを見聞きするもんだ。ふっ!」


 ゴンは前腕でビールのジョッキを一つずつ掴んでいる。後ろ腕でつまみを受け取りながら。

 意外と便利な身体なのかもしれないと、ケレンはぼんやりしつつある頭で考えた。


 ……ん? 僕は酔っぱらっているのか? そんなまさか。アルコールは一滴たりとも口にしてはいないのに。

 それどころか、今まで飲んだこともない。いや、だからこそ酔う、という感覚が分からない。

 僕は生まれて初めて酔っぱらっているのか……?


 ケレンの頭部がぐわん、ぐわんと揺れ始めたところで、レベッカが席を立った。


「宿に戻るぞ、ケレン。やっぱりここは、お前のようなガキが来る場所じゃねえ」

「おいおいレベッカ、そんな言い草はねえだろうよ」

「ケレン、腕を引いてやるから、しっかりついて来い」


 だがこの時、レベッカとゴンの間には、巧みなアイコンタクトが交わされていた。

 無論、ケレンには気づかれないように。


         ※


 レベッカがベッドにケレンを寝かせてバーに戻ると、ゴンが周囲の賞金稼ぎたちと談笑していた。

 が、チリンチリン、とドアベルが鳴ると同時に、皆が三々五々去っていく。レベッカとゴンの邪魔にならないようにと、気を遣ったのだ。

 理由には、レベッカがあまりにもキレやすいということがある。特に、その真剣さが増せば増すほどに。


「流石統率が取れてるな、この店のお客人は。なあ、マスター」

「ですな」


 空のワイングラスを磨きながら、鼻と上唇の間に髭を生やしたマスターが答える。


「おう、来たな」


 四本の腕を駆使してつまみを漁っていたゴンが、のっそりと振り返る。

 笑顔を浮かべてはいるものの、胸中の疑問や、説明を求める視線を隠しはしていない。むしろ、わざと真面目な本題に移れ、と急かしているようだ。


 マスターが他の皆の下へ出向くのを確かめてから、ゴンは一言。


「で?」

「大体察してるんだろ、ゴン」

「まあ、な」


 ゴンは器用に手前の片腕をつき、もう片方を顎に当てた。やや伸びた顎髭に指が入り込む。

 後ろ腕はその間で、空になったジョッキをぐるぐる弄んでいる。


 それらを無視して、レベッカは俯いた。何かを切り出す時の彼女の癖だ。

 軽く頷き、身体を正面に戻すゴン。


「海岸沿いの警備任務を引き受けた。メリッサで駆けつけたが、既に食人獣共に襲われていた。そこでさっきのガキを拾ったんだ」

「へ~え、お前さんにも良心の欠片があった、ってところか」

「そうかもな」

「そんな目で見るなよ、酒が不味くなる」

「悪いな」


 再度正面に向き直るゴン。どうにも今のレベッカは、いつもの彼女とは違うようだ。

 何が、と言われても困るのだが、心に何か重苦しいものを抱えている、そう思えてならない。


 加えて、樹木型の食人獣に襲われた時、凄まじい発光現象があったのをゴンも目にしている。あのケレンとかいう少年が魔弾を構成し、撃ち放ったのだとレベッカは語っていた。

 もしそれが事実なら――。いや、今は口にはすまい。レベッカには知らせるべきか、と思ったが、彼女のケレンに対する態度が変わる可能性がある。それはよろしくないだろう。


 またしても、ゴンは深く考え込んでいる様子を見せた。

 露骨に考え込んでいる風体で、レベッカにも、よく考えろと促す。


 当のレベッカは、常時には非ざる真剣さ、深刻さで何かを考えている。

 こんな時に自分が同行を申し出れば、恩を売っておくことができる。今回のように報酬がなかったとしても。


 そこまで読んでから、ゴンは口を開きかけた。が、しかし。


「ゴン、あんたに頼みがある」

「ほう、明日は雪でも降るのかな」

「あたしは本気だぜ」


 淡々とした声音のレベッカ。こんな時に落ち着いていられると、自分が何か悪いことをしたのでは、と不安になってくる。最早、もったいぶることの利点はあるまい。


「俺もお前さんと坊主のことが心配なんだ。こんな時に冗談が言えるほど、俺はタフじゃない。レベッカ、お前さんなら分かっているだろう?」


 するとレベッカは、さっと片方の掌を上に向けて手を差し出した。

 ゴンはレベッカの掌に、パチンと前の腕の掌を打ち合わせた。


         ※


 翌朝。いや、未明というべきか。

 かちゃかちゃ、ちりちりという硬質な音が響き渡り、ケレンの意識は覚醒した。


「起こしちまったな、悪い」

「何、してるんですか」

「見て分かるだろう、武器の整備だ」


 ゴンの武器。それは、四振りの反りが入ったサーベルだった。一枚一枚を研ぎ石にかけている。非常事態用だろうか、拳銃も二丁そばに置かれていた。


 手早く丁寧に磨きをかけていくゴン。それを見ている途中に、ケレンはだんだん気分が悪くなってきた。


「うぐっ……」

「吐くならトイレに行って来いよ」

「だ、大丈夫、です……」

「ならいいがな」


 武器から目を離さずに、ベッドの上であぐらをかいているゴン。差し込んだ月光が、彼の横顔とサーベルに反射し、同時に陰影を強調している。


 ふっと、ゴンが笑みを漏らした。


「さっきは悪かったな。お前さんがあれほど酒に弱いとは知らなかった。空気中のアルコールだけで酔うやつなんて、初めて見たがな」


 笑い事ではない。そう言いかけて、ケレンはやめた。

 ゴンのにやり、と歪んだ唇が、どこか悲しげな雰囲気を纏っていたからだ。


「ゴン……さん」

「さんは要らん」

「じゃ、じゃあゴン、あなたはどうして賞金稼ぎをやっているんです?」


 するり。そんな音がしたかのように、ゴンの顔からあらゆる感情が抜け落ちた。

 それはつまり、地雷を踏んでしまったということ。それを理解するには、ケレンは幼すぎた。


 しばし、ケレンは益体もないことを喚き続けた。

 金がなかったのか。自分の体躯を活かしたかったのか。あるいは――。


「食人獣に恨みでも?」

「今日の話はここまでだ。俺は寝るぞ」

「え、ちょっと! もう少し話を――」

「悪いな、俺はデカいから、ベッドは使わせてもらうぞ。お前もさっきまでここで寝ていたわけだしな。ほれ」


 ばさり、といって、やや厚めのブランケットが放り投げられた。


「これを強いておけ。こんな固い床で寝たら、明日は全身が痛くなるからな。んじゃ」

「え、あ……」


 早速いびきをかきはじめたゴン。それと手渡されたブランケット。

 交互に見遣ってから、ケレンはのそのそとブランケットを床に広げて再び横になった。


 ケレンが寝ついた時には、既に陽光が淡く窓から差し込んでいた。


         ※


「どうした、眠そうだな、ケレン」

「あ、おはよう、レベッカ……」

「眠そうだな」


 繰り返すレベッカに、ケレンはこくこくと頷いてみせた。


「ゴンのやつ、うるさかったんじゃねえか? 武器の整備といっては、がちゃがちゃがちゃがちゃと……」

「ええ、まあ」

「生返事だな、ちゃんと眠れたのか?」


 流石に鬱陶しくなってきた。ケレンはレベッカの前をわざと横切って、顔を洗うべく井戸に向かった。

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