第7話

 宿の中庭に、井戸はいくつか掘られていた。単純に水を引き上げるだけなら、井戸が複数は要らないはず。

 だが、この時間帯でも中庭は混雑していた。どうやら賞金稼ぎというのは、早起きな業種であるらしい。


 自分より遥かにがっしりした人物や、小柄ながら素早く動き回る人物、弓矢の入った矢筒を担いだまま井戸に向かう人物など、いろんな人がいる。

 皆、ところどころで談笑したり、情報交換をしたりしている。だが、どんな人物にも共通して言えるのは、薄っすらと殺気を漂わせていることだ。


 ケレンは正直、中庭に踏み込んだことを後悔し始めていた。が、しかし。


「おうお前、レベッカとゴンのところの坊やじゃねえか」

「あっ、は、はは、はい……」

「連中には世話になってるからな、順番譲ってやる。さっさと顔洗っちまいな」


 粗暴な言い方ではあるが、そこには確かな気遣いが垣間見える。


「あ、ありがとうございます……」

「気にすんなよ。お前、確かケレン、って言ったな? 今回譲ってやった分、絶好のネタができた。恩に着るぜ」


 水を引っ張り上げていたケレンの動きが、ぴたりと止まった。


「ちょ、ちょっと待ってください! まさか、二人に迷惑をかける気じゃ……」

「まさか! ただからかうだけだよ、ケレンはレベッカとゴンの隠し子なんだってな!」


 どっと中庭が湧いた。ケレンはツッコみたくはなったが、予想以上に皆が笑顔になっているのを見てやめた。

 折悪しく、というべきだろう、この喧騒に紛れてレベッカとゴンが中庭に現れた。


「おうおう、随分楽しそうじゃねえか! 何かあったのか、ゴロツキ共!」


 ゴンは大声を上げながら、後方の腕を組んで肩を鳴らしていた。レベッカも拳をパキポキと言わせている。


「おう、お二人さん! 実はたった今――」

「やめろ馬鹿!」


 最初にからかいの言葉を発した賞金稼ぎが、後方から別な賞金稼ぎに羽交い絞めにされる。

 ゴンは彼らを追及しようと、ずかずかと人混みを割って進んでいく。レベッカは、大体どんな陰口を叩かれていたのか見当がついているらしい。ぐったりと溜息をついて、ケレンの下へやって来た。


「何か変なことを言われなかったか、ケレン?」

「大丈夫だよ、レベッカ」

「ふん」


 順番を無視して、ずかずかと井戸に向かっていくレベッカ。恥ずかしいやら後ろめたいやらで、ケレンは黙り込むしかなかった。


 そして『それ』は、まさに、一瞬の静寂を切り取るようにして現れた。

 レベッカやゴンを含む、腕利きの賞金稼ぎたちが最初に勘づいた。その輪はだんだんと広がり、小金ばかりを漁っている者へと伝わっていく。


 八割方の人間が異変に気づいた時、皆の耳に、不快な振動音が捻じ込まれてきた。

 レベッカは散弾銃を、ゴンはサーベル二本を後方の腕に、それぞれ握らせた。がしゃり、と金属質な音がする。


 コの字型の中庭の、裏道へと通ずる出入口。そこから『それ』はやって来た。


「なんだ、図体がでけえだけのバッタじゃねえか!」

「ッ!」


 ケレンは悲鳴を上げかけたが、なんとか堪えた。

 一人の賞金稼ぎが、一筋の長剣を抜いて突撃していく。


「誰かあいつを止めろ! 返り討ちに――」


 ゴンが叫ぶ。が、時すでに遅し、であった。

 バッタ型の食人獣は、凄まじい速度で後ろ足を収縮させ、弾丸のように飛んできたのだ。


「ちょ、う! ぎゃあああああああ!」


 無謀な賞金稼ぎの断末魔が響く。勢いよくバッタに圧し掛かられた彼は、がじり、と思いっきり頭部を食いちぎられた。


「皆、距離を取れ! 相手は速いぞ!」


 そう言いながら、ゴンはサーベルの片方を投擲。

 予想外の方向からの攻撃に怯んだのだろう。動きを止めた食人獣は、ばっさりと二枚おろしにされた。

 ぶしゅっ、という生々しい音と共に、真っ赤な血飛沫と臓物の一部が飛散する。


 皆がほっとしたのも束の間、身体を腰から先の上半身をくの字に曲げながら、レベッカは疾駆した。散弾銃に初弾を装填する。


「レベッカ!?」


 駆け出した彼女の殺気に押され、思わず声を上げるケレン。

 きっとそれは、レベッカにとっては予想の範疇だったのだろう。今回の襲撃は、個体ではなく群れによるものだ、ということが。

 だからこそ、こちらの視界に入ったらすぐさま叩き潰していく必要がある。食人獣たちに周囲を包囲されないように。


「ゴン、お前も行け! お前らの信条は猪突猛進だろ? ケレンの無事は俺が保証する!」

「悪いな、これ以上の犠牲は何としても防ぐぞ!」

「頼むぜ兄弟!」


 ゴンと言葉を交わした賞金稼ぎは、さっきケレンに井戸の順番を譲ってくれた人物だった。拳銃使いらしい。

 左肩から腰元に吊るされたホルスター。そこから巨大な拳銃――ゴンのようなオートマチックではなく、より高い威力を発揮するリボルバーだ――が現れ、ぎらり、と朝日を浴びて輝く。


 正面に振り返ると、やはりバッタ型の食人獣は群れを成していた。五匹、十匹、いいや、二十匹はいるだろう。この宿の中庭、裏口がある方、道路を挟んだ森から、次々に湧いてくる。


 待てよ、とケレンは考える。だとしたら、自分の有する魔弾発生能力で一掃できるのではないか?

 森をいっぺんに消し去るような、強大な魔力を行使できれば。


「あっ、おい!」


 リボルバーの男性の陰から飛び出し、ケレンは中庭を駆ける。

 走りながらも胸の前に手を翳し、球体を作り始める。まだ小さい。もっと魔力を……!


 しかし、魔弾は結局生成しきれなかった。

 

「うわっ!」


 思いっきり後方から弾き飛ばされたのだ。思いっきり引っくり返され、仰向けに。

 目に入ってきたのは、リボルバーの男性の顔だった。直後、鈍痛が左頬に走った。


「馬鹿野郎! そんな力を使うな!」

「え……?」


 僕だって戦える。皆の手伝いをしたかっただけだ。

 だがそれを口に出せる状況ではなかった。男性は鬼か悪魔かという形相で言った。


「薄々感じてはいたが……。お前、魔術が使えるんだな?」


 脱力しきった様子で、ケレンはかくかくと頷いた。


「レベッカやゴンは知っているのか、それを?」


 再び頷く。今度はしっかりと、一回だけ。


「詳しい話は後だ。ひとまずお前さんは下がって――」


 と、男性が言いかけた、その時。

 ザシュッ、とトマトを握り潰すかのような生々しい音がした。


「え? あ、あの……」


 ケレンには、何が何だか分からない。一つ認識できたのは、何者かが自分の頭上を跳躍してきたこと。そして、直後に男性の首がなくなってしまったことだけだ。


「ちょっと、ど、どうしたんですか? 僕に話って……?」


 パニックを通り越して、ケレンは状況認識能力にも支障をきたしていた。

 彼が状況を理解したのは、その男性をゴンが引っ張っていった時だ。


「ゴ、ゴン、一体何が――」


 すると、ゴンは四本の手足を駆使してがっちりとケレンを締め上げた。


「馬鹿野郎!」

「……ぇ、ぁ……」


 ゴンは片手でケレンのこめかみを掴み、がつん、と後頭部を地面に叩きつけた。


「ッ!」


 激痛が走るが、今はそれどころではない。

 ゴンが自分の耳に口を寄せ、囁いてきたからだ。


「いいか? 魔術ってのはひけらかしていいもんじゃねえんだ。特にこの物騒な界隈ではな。今は下がれ。詳しい話は後でじっくり聞かせてやる。まあ、貧村で暮らしてきたお前には分からねえだろうが……」

「う、あ」

「分かったらさっさと失せろ! 頭を下げて壁沿いを行け! 分かったな!」

「はっ、はいっ!」


 ゴンはケレンを引っ張り上げ、そのまま放り投げた。その先がレンガではなく、土で固められた地面だったのは幸いだ。


 べたり、と地面に張りついたケレンは、血生臭さと濃密な草木の臭いに締めつけられるような感覚がした。


「お前ら、一旦退け! 重火器を持って来たぞ!」


 中庭一杯に響くような声で、酒場のマスターが進み出てきた。

 今は白と黒の燕尾服ではなく、迷彩柄の長袖・長ズボンという格好。ヘルメットも装備している。


 だが、それより目を引いたのは、彼が引っ張り込んできた重火器だった。

 いわゆるガトリング砲だ。マスターは素早く地面に固定し、それを他の賞金稼ぎたちが援護する。


「ようし! 撃てるぞ! カウントダウンは省略、全員伏せたな? 行くぞ!」


 バラララララララ、と、鼓膜が割られんばかりの勢いで、銃弾が放たれ、薬莢が地面に落ちてキリリリッ、と鋭利な音を立てる。


 ケレンもまた、他の皆同様に耳を塞いで地面に這いつくばった。

 これが本当の戦いだっていうのか……!

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