第34話 不審な一言
泣き声が聞こえたのは、深夜2時を回った頃だった。慌ててソファから飛び起き、アンソニーは泣き声の聞こえるパーシーの寝台に近づいた。
布団にくるまって、幼子のように震え泣く、“あの夜”と似たパーシーの姿があった。
「パパ、ママ! どこにいるの?!」
「パーシー様!」
アンソニーはその華奢な身体を抱きしめた。
「もう過ぎた事なのです! あれから、十年も経っております!」
真実を述べる事が、今のパーシーには効果がある気がし、アンソニーは口早に言った。
「あなたはもう、お一人で地面に立っておられる身なのです! 目を、覚まして下さい!」
すると、泣き声は止み、代わりに再びあの低音の声を聞く事になった。
「お前が、パパとママを殺したんだろう。僕は見ていたんだ。お前が、馬車に仕掛けをする所を」
「馬車に、仕掛け……?」
パーシーを抱いた儘、アンソニーは首を傾げる。事故では、なかったのだろうか。
「車が引っ繰り返るように細工して、パパとママを崖に突き落とした!」
「パーシー様! お気を確かに!」
「全部、お前の所為だ。お前が悪——」
そこまでパーシーが言葉を紡いだ時、思わず、最後の答えを唇で塞いでいた。
パーシーの身体の震えが治まってくる。それを見て、アンソニーは顔を離した。
「……アンソニー君」
いつものパーシーの声が聞こえる。
「良かった。戻って来る事が出来て……」
アンソニーは安堵の溜息を吐いた。それを察したパーシーは、
「また、発作があったのだね」
そう口に出し、手を握った儘、その甲に口づけるアンソニーの頭を撫でた。
「すまないね。起きるとは、僕も少しばかり思っていた。しかし、迷惑をかけたね」
「大丈夫です。あなたが、無事ならば。もう、お眠りください。近くのソファで寝ておりますから」
「判った。有難う、アンソニー君」
めくりあげられた布団にもぐり、パーシーは言った。そうして、再び同じ言葉を紡ぐ。
「お休み」
「お休みなさいませ、パーシー様」
こうして、アンソニーは再びソファに戻り、襲い来る眠気に白旗を上げていた。
翌朝、小鳥の声で目覚めれば、バルコニーを覗き込むパーシーの姿があった。寝巻の長い裾が、開けた風に揺れている。
「パーシー様」
アンソニーが恐る恐る声をかけると、
「やぁ、おはよう。アンソニー君」
主人は頬笑んだ。
「朝日が眩しいね」
「すみません、お起きになられた事も気が付かず……」
「そんなに気を使うものではないよ。僕は大丈夫さ。それより、ほら、見てご覧?」
パーシーが手招く。
「なんですか?」
何かと思い、アンソニーが近づくと、
「あそこの枝に、小鳥が一羽止まっているのだ。季節外れのサクランボでも求めるようにね」
「はぁ」
案外無邪気な返答に、思わず溜息が漏れていた。
「下らないと思っただろう。君の心はお見通しだよ」
アンソニーの左胸——丁度心臓のある位置を、人差し指が触れる。
「敵いませんね、あなたには」
ヴァレットは主人にそう言ってから、
「御髪を整えましょう」
と、整髪剤を手に取った。
「もう少し、見ていたいな」
パーシーが頬を膨らませる。幸い、今日は何の予定もない。
「判りました。暫く、朝日を浴びていましょうか」
アンソニーは苦笑交じりに答えた。
「君もだよ、アンソニー君」
パーシーが彼の腰に手を回した。どうやら、この下らない提案に、もう少し付き合わされるようだ。
やがてパーシーは、飽きた玩具を捨てるように、手に掴んでいたカーテンを離し、窓を閉めた。そうしてアンソニーを見ると、
「昨日はすまなかったね。使用人専用の食堂で朝食を取って来給え。僕はもう少しだけ眠る事にするよ。朝食の時間になったら、起こしてくれ」
それだけ言って、己から布団に潜り込んだ。確かに、今朝は冬が近づく秋の日の、比較的過ごしやすい天候だ。
二度寝には、持って来いだろう。
「行ってまいります」
アンソニーはパーシーが眠った事を確かめると、使用人用の食堂へと急いだ。もう大半の使用人は食事を終えているだろう。
「あ、アンソニーさん!」
プリント生地の仕着せ姿のキャサリンが、タオルを両手に持った儘、擦れ違いざまに声をかけてきた。
「もう、食堂は閉まってしまいましたか?」
アンソニーが尋ねると、
「いいえ、いつもの方々は残られています! そう言えば、昨日の夜はパーシー様の元に付きっきりだったみたいですが、やはり事件の影響で?」
「まぁ、そうですね」
好奇心旺盛のハウスメイドに、アンソニーは少し言葉を濁した。
「偶々先輩が現場を見てしまって……ほら、あたしの仕事が増えてしまったんです!」
そう言えば、彼女の仕事は暖炉の掃除係の筈だ。洗濯物を運ぶ姿は、初めて見る。
「いつもは一人仕事だから、鼻唄交じりに行うんですが、チームで動くとそんな自由はなくて……あたしは楽な仕事をしていたんだな! とか思ってしまいます」
「キャサリン! 早くいらっしゃい!」
廊下の向こうから、先輩メイドの声がする。
「あ、行かなきゃ! それじゃあ、昼食の時にでもお話、聞かせて下さい!」
そんな台詞を残し、彼女は足早に駆けていった。
「頑張って下さい!」
アンソニーは声を投げかける。
「有難うございます! ……キャッ!」
不慣れな仕事にタオルを落としそうになりながらも、キャサリンは振り向いて礼を言った。
「真面目な子だな……」
アンソニーはそう呟くと、食堂に急いだ。余り、厨房の仕事に迷惑をかけたくはない。
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