第35話 アフタヌーンティーへの誘い

 使用人用の食堂の扉は、少し開いていて、これから来る者を拒むように見えた。

「すみません……」

 恐々と扉を開く。ハウスメイド達の姿は見えなくとも、コックや男性使用人は残っているようだった。

「おぉ、おはよう。アンソニー」

 ジェイクが、彼を己の隣に手招いた。

「キャサリンじゃなくて寂しいだろうけれど、偶には俺でも良いだろう?」

 ジェイクの隣に、エドワードが食事を運ぶ。どうやら、逃げる事は出来ないようだ。

「キャサリンさんには、先程廊下でお逢いしました。昼食の際に、昨日の夜の話を聞きたいと……普通に過ごしただけなのにですよ?」

「それでも、気になるんだよ」

 と、ピーターが言った。

「仮にも、先祖からの大事なご主人様の末裔だ。ブラックモア伯爵に、パーシー様を人質に取られた時、お前活躍したんだって?」

 どうやら、少し話が盛られているようだ。

「そのような事は……」

「隠さなくていいんだぜ?」

「いえ、本当に、一瞬の出来事でしたので、何も出来なくて……イライザ夫人がいらっしゃらなかったら、パーシー様は殺されていたでしょう」

 そんなアンソニーの答えに、

「まぁ、道連れ自殺だったんだって? 良く今朝新聞社がこなかったな」

 ピーターは椅子の背に肘を乗せて、くつくつと笑った。

「恐らく、クロイドン巡査部長が口止めしたのかと。3つの貴族の関わる事件でしたので」

「成る程で、結局ジークローヴのおっちゃんも新聞沙汰になるのは嫌だと」

「そのようです」

 朝食を食べつつ、アンソニーは言った。

「まぁ、君の武勇伝は昼食の時に聞くとしよう」

 ジェイクは席を立った。

「俺は仕事に行くぜ——あ、そういえば」

 と、彼は立ち止まり、

「今朝方、ジークローヴ子爵夫人からサロンのお誘いが来ていたぞ。君も行くんだろう? アンソニー。パーシー様に、渡して呉れ」

 そう言って、胸元のポケットから白い封筒を取り出した。

「新聞は、この後すぐに持っていく。君はゆっくり食べていても良いよ」

「大丈夫です。食べ終わりました。パーシー様も、そろそろ朝食のお時間です」

 それを受け取り、懐に入れて、アンソニーは答えた。

「あ、そうか! 判った。無礼な事を聞いたな」

 ジェイクがこうべを垂れる。

「お気になさらずにいてください。朝食後、お部屋に戻られた時に新聞が置いてあった方が、パーシー様もお喜びになるでしょう」

「そうだね、それじゃあ、パーシー様によろしく」

「はい」

 アンソニーはそう答え、フットマンを見送った。そろそろ、己も朝食を食べ終えなければならない。ヴァレットの仕事は、まだ始まったばかりだ。


 食事を終えたアンソニーは、足早にパーシーの部屋に向かった。懐中時計を見ると、予定していた時刻より、若干の遅刻が存在する。パーシーに出来立ての味を提供するようにしているコック達に悪いと、彼は主人の部屋に急いだ。

 部屋の鍵を開け、中に足を踏み入れる。寝台の上で、眠る影があった。

「——パーシー様」

 寝台に腰かけ、軽くその覚醒を促す。

「ん……」

 顔を腕で覆いながら、パーシーはその前髪に触れた。

「やぁ、アンソニー君」

 あくび交じりに、彼は起き上がる。

「我ながら良い朝だったよ。二度寝も、中々良いものだね」

「朝食のお時間です。お洋服と御髪を整えて、食堂に向かいましょう」

 淡々とそう告げるヴァレットに対して、主人は肩を竦めた。

「何をそんなに急いでいるのだい? 僕には理解しかねるね」

「コック達が、パーシー様に温かいお食事を用意しているからですよ」

 アンソニーが続けると、パーシーは少しばかり驚いたように、

「今迄もそうだったけれど、これは計算しつくされていたもののようだったのだね」

 と、言った。

「ならば、急がなくてはね」

 そうして、寝台から立ち上がり、寝間着を脱ぎ始める。着る服の管理は、アンソニーの仕事だ。チェストから濃紺のスーツを取り出すと、それを片手に、パーシーの元へと急いだ。

 粗方の着替えが終わると、最後の閉めのように、珍しく選んだネクタイを結ぶ。

「珍しいね。君はてっきり僕のリボンタイ姿が好きだと思っていたのに」

「偶にはネクタイも良いでしょう。気分の問題です」

「これは……もしやスチュアートへの追悼かい?」

「それは——」

 アンソニーは言い淀んだ。まさに、そう感じて選んだスーツだったからだ。

「あぁ、そうでした。ジークローヴ子爵夫人からのアフタヌーンティーのサロンの招待状が届いています。今日の2時頃。スケジュールはありません」

 白い封筒を差し出しながら、アンソニーは言葉を継いだ。

「早速来たか……余り、語りたくはないのだけれどね」

 そう言うパーシーの声は、淡く悲壮を帯びている。

「お断りする事も出来ますよ?」

「いや、行こう。僕が背を向けてしまったら、アンジェリカもグレースも報われる事が出来ないだろう? それに、約束もしてしまったしね」

 予めジェイクが剥がした封蠟を開き、メッセージカードを取り出した。アンソニーも、気になって、主人がメッセージカードを開くのを見ていた。


 パーシヴァル・エルマー・ヒースコート侯爵様。


 メッセージは、そこから始まっていた。


 突然のご招待、申し訳ありません。我が家の可愛い娘達の最後を知っていると夫から聞き、アフタヌーンティーに招待致しました。どうか、他の参加者のいる中で、娘達——アンジェリカとグレースの最後、そうして犯人について語って下さい。夫も、その方が娘達も報われるだろうと言っておりました。

 しかし、無理にとは言いません。犯人に関して、夫から色々と覗っています。あなたも、ご親友を亡くされてご憔悴だとか。

 もしも、気が向いたらで良いのです。美味しい紅茶を用意して待っております。


セーラ・ジークローヴ


「これはもう、断る事は出来ないね」

 パーシーは苦笑した。

「それでは、今日は少し固めに御髪を整えましょう」

 整髪剤を手に、アンソニーは言った。


 髪を整えたパーシーが食堂に入る迄、さほど時間はかからなかった。食卓には温かいパンが置かれ、彼が椅子に座ると同時に、アンソニーはスープ皿を受け取った。

 今回は、普通の茶に透き通ったコンソメスープのようだ。

「良い匂いだね」

 パーシーが鼻を揺らす。そうして、スプーンを使い、それは口に運ばれていった。

 彼の喉仏が上下する。それから、パーシーは口を開き、

「美味しいコンソメスープだよ」

 そう言いながらも、彼の興味はボイルドエッグに惹きつけられる。匙の背で卵の頭を叩き、中身を味わった。

「そう言えばアンソニー君」

 不意に、パーシーは手を止めた。

「何でしょうか?」

「朝の賄いは何が出たんだい?」

 余りにも馬鹿げた質問だ。アンソニーは半ば呆れ気味に、

「パンとスープですよ」

「成る程ねぇ……」

 パーシーは暫く悩んでいたが、やがて顔を上げて、

「我が屋敷の給金は、それ程安いものなのだろうか?」

 と、言葉を吐き出した。

「皆がその食事で満足しているのです。決して、そのような事ではないでしょう」

「そうか……」

 主人は何処か不満げだ。

「それならばそれでも良いのだけれども……」

「あなたがご心配をなさる必要はございません」

 朝食を食べ終えたパーシーの椅子を引きながら、アンソニーは諭した。

「書庫へ行こう、アンソニー君」

 パーシーは言った。怪人録に、今回の事件を記録する為だろう。

「判りました」

 アンソニーは一度こうべを垂れると、食堂の扉を開いた。


「……ここで、スチュアートは死んだのだね」

 玄関に差し掛かった時、ふとパーシーは口火を切った。

「思い出させてしまいましたか?」

「いや、記録用にね。事件を明確に書くのが影の警視総監の使命だ。犯人が如何にして逮捕されたのか。はたまた、死んだのか。歴代当主がやるべき事だ」

 親友の死を、ここまで淡々と話す人物を、アンソニーは今迄見た事がなかった。いや、そのような対応しか、パーシーの脳は機能しないのだろう。

 膨大な記憶力と引き換えに得たものは、彼にとって、余りにも大きな枷になっていた。


 ——いつか、あの人の持つ正義に殺される。


 いつかのクロイドン巡査部長の言葉が蘇る。いっそ、己は怪人録に名を連ねる者になろうか。そんな事を思わせてしまう。

 しかし、己がパーシーの中の“記憶”として残るならば、それは至極の蜜の味がするのだろう。

 そんな事を思考している内に、二人は、書庫の扉の前に立っていた。パーシーが慣れた手つきで鍵を開ける。扉の向こう側から、古書独特の匂いが、鼻を刺した。

 パーシーは一番手前の本棚に納められた本を手に取った。分厚い背表紙が、その大きな手に収まる。

「さて、書くとしようか」

 置かれたテーブルに本を置き、ぱらぱらとページをめくる。間も無く、何も書かれていない白いページになった。

 記帳用に置いてある古い羽ペンにインクを付けて、ペン先を走らせる。パーシヴァル・エルマー・ヒースコート侯爵の殺人。書き出しのタイトルは、もう昨日話していた通り、決まっているようだった。

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