第33話 たとえばあなたへの愛が
再び、一人で廊下を歩く。玄関に行き着くと、先程までの血溜まりは一切なくなり、逆に今迄よりも綺麗に磨かれているように感じられた。
既に、ジェイクとピーターの姿はない。使用人用の食堂にいるのだろうか。取り敢えず、厨房に下りる事にした。
「すみません、」
アンソニーが厨房を訪ねると、とっくに食事を作り終えたコック達が、一斉に彼を見た。
「パーシー様の具合は?」
共にハーブティーを淹れた、モーリスが立ち上がる。
「少しばかり、不安定になられています。食事も、自室にてお食べになりたいと」
「お前はどうするんだ?」
コック達はすぐに料理を皿に乗せ始める。それを背に、モーリスが尋ねた。
「私と共に、食べたいと仰っておりました。お手数をおかけしますが、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だ。既に賄いも作ってある。昨日の野兎がまだ残っていてな。パイにして夕食のメインにした。賄いも、同じものだ。スープとサラダがついていないだけでな」
「今日で良かったな」
皿を片手に、エメリーが気さくに話しかけてくる。
「そうですね」
アンソニーは目を細めた。
「俺が持って行くのを手伝ってやるよ。あんたのはワンプレートだから、スープを持って呉れ」
「有難うございます」
そう言って、手渡されたスープ皿と、己の賄い飯を両手に持った。
そうして、二人は厨房から出た。
途中、玄関を通る。そこでエメリーは一度立ち止まり、
「ここが、朝から大変な事になったんだろ?」
と、聞いてきた。
「掃除をしたピーターとジェイクは散々だっただろうな」
「私も、現場に居合わせましたが、パーシー様がショックを受けていられるようで……」
「まぁねぇ。判らないでもないな。親友とその奥方が目の前で銃自殺だろう? 俺だったら、耐えられないな」
「なので、少しばかり眠って頂けるようにしたのです。オズワルドさんと相談して」「成る程。それが、アフタヌーンティーには早いハーブティーだった訳か」
エメリーは階段に足をかける。
「で、起きたらお前に傍にいて欲しいと頼んだわけか。珍しいな」
「珍しい?」
オウム返しにアンソニーは言う。
「どちらかと言えば、あの人は一人を好む方だ。でも、あんたが来てから、少し変わったかもしれないけどな」
「そうなのですね……」
「ま、俺も親父の後を継いでこの屋敷のコックになってから感じた事だけどな」
「エメリーさんは、パーシー様のご両親をご存知なのですか?」
すると、エメリーは声を潜めた。
「あの人は、愛されて育った。12歳で先代——両親を亡くされる迄はな」
「私は……」
アンソニーが口を開く。
「私は、少し違うと思います。パーシー様は、今でも愛されておられます。この屋敷の、使用人達に」
「親の愛と、使用人の愛は、違うものだぞ」
「しかし、皆さんはパーシー様を少なくとも愛情を持って育てられた筈です。例え身分が違っても、一番に考えておられます。私には、敵わない程の愛情を」
「そう言って呉れると、少し嬉しいよ」
そろそろパーシーの部屋に近づく。アンソニーが扉を開けると、エメリーは机の上に食事を置いた。これから、二人で食事をして、話す事もあるだろう。
もしかしたら、今朝の朝の事も。
今夜は、長い夜になりそうだ。
「食器は部屋の前に置いておいて呉れ。後でエドワードが取りに来るだろう。じゃあな、また明日」
「有難うございました」
「大丈夫さ。この位の事」
エメリーはそう言って、去って行った。
「——パーシー様」
部屋の中は既に暗く、月明かりがカーテン越しに差していた。
「アンソニー君か」
パーシーは起き上がり、広げられた簡易の食卓を目指した。
そうして、メニューを見ると、その瞳は、刹那悲しみを帯びたように見える。
「野兎のパイだね。僕の好物さ……これは、どちらが仕留めたものだろうね?」
「パーシー様、」
アンソニーは主人の名を呼んだ。まるで、魂がパーシーの身体から抜け出そうになるように見えたからだ。
「大丈夫だよ、アンソニー君」
それを察してか、パーシーは苦笑した。
「僕が、“犯罪者”の後追いをすると思うかい?」
「例え、“幼馴染”ででもですか?」
「……君は時折、酷い事を言うね」
パーシーのナイフが止まった。
「あなたがいなくなったら、私は生きていけません」
朝の気分の儘、アンソニーは言葉を継いでいた。
するとパーシーは、
「優秀なヴァレットだね」
と、言った。フォークには人参が刺さり、それを口に運ぶ。咀嚼音がして、彼の体内に入ったのだと確認出来た。
「煙草はあるかい?」
食事を粗方食べ終わった頃、パーシーは言った。
「はい」
アンソニーは懐にしまったシガーケースを取り出す。そうしてその中から一本抜いて、主人に差し出した。火を点けると、白い煙と共にパーシーの顔は良く見えなくなった。
「食器をお部屋の前に置いてまいります」
煙草を楽しむパーシーを見て、アンソニーは食器を重ね、部屋の前に置きに行った。廊下に出る。誰もいる事はなかったが、確かブラックモア伯爵夫妻が宿泊していたのは少し離れた場所だった。そんな事を、記憶していた。
パーシーは——いや、影の警視総監は、今回の事件を如何に、怪人録に記録するのだろう。
ふとした疑問が湧いた。
「アンソニー君?」
廊下に出るだけで、いつまでも帰ってこないヴァレットに向かって、パーシーはその名を呼んだ。
「あ、はい!」
アンソニーは我に返り、再びパーシーの自室へと戻る。煙草を吸い終えたパーシーが、彼を迎えた。
「どうかしたのかい?」
「いえ、怪人録の件で……」
アンソニーは言葉を濁す。己から言うのは簡単だ。しかし、パーシーの意見が最優先だろう。
「僕は記録するつもりだよ? それが、影の警視総監の家に生まれた者の役目だからね」
パーシーは、アンソニーの考えている以上に、冷静なようだった。
「僕が混乱していると思ったのかい? 悪を裁いた。これが正義の名の元にと言うものだろう?」
そんな事を紡ぐパーシーは、何処か楽し気だ。
“いつかあの人の正義に殺される”。スチュアートとイライザが死んだ後、クロイドン巡査部長に耳打ちされた言葉が蘇る。それは、これを意味しているのだろうか。
「朝になったら、書庫に行こうか。衝撃的な事件だ。忘れないうちにね」
そう言いながらも、パーシーは全てを記憶している。
「タイトルは……そうだね。“パーシヴァル・エルマー・ヒースコートの殺人”なんてどうだろう?」
流石に……そう口に出しかけて、アンソニーは押し黙った。例え、今言い返したとしても、歪まれた正論で論破されるだけだ。
「そろそろ眠ろうか」
パーシーが椅子から立ち上がる。身体を伸ばして、服を脱ぎ始めた。
「はい」
アンソニーは答えて、クローゼットの中から寝巻を取り出した。それを裸になった主人の腕に袖を通させる。恐らく、彼の概念の中には服を着ると言う習慣が、根づいていないのだろう。
貴族等、皆そういうものだ。
襟元の釦をかけ終わると、アンソニーはその儘寝台にかけられた布団をめくり上げた。
「いつも有難う」
パーシーは笑って、布団へを潜り込んだ。そうして、
「君も眠り給え。ソファがあるだろう?」
と、言った。
「判りました」
アンソニーはそう答えて、ソファへと足を向ける。その前に一度振り返り、
「お休みなさいませ、パーシー様」
「君もね、アンソニー君」
そんな言葉を投げ合った。
ソファに横たわり、縁に足をかける。来客用のソファは、柔らかく疲れた身体を包んだ。その儘、彼は緩やかな眠りに身を委ねていた。
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