第2回 私はゴジラ映画を観ない

 前回、私はウルトラ怪獣から怪獣の道に入ったと言った。

 では、ゴジラには全く触れてこなかったのかというと、そうでもない。

 今回は超個人的なゴジラの話をしようと思う。


 酔うと必ずする話、と言うのがある。あ~この人またこの話してるよ、というアレだ。

 毎回話の枝葉が幾らか違っていることもあれば、落ちが前とは全く異なっていることもある。

 深く記憶に刻まれているのだろうか。

 私は誰かがこの状態に入った時は、なるべくうんうんと聞くようにしている。なぜなら、話している本人がとてもうれしそうだからだ。(私も同じことを相手にしていることが往々にしてあるから)

 いわばこれは落語家が言うところの十八番だ。名人が最も得意とする高座。談志で言うところの粗忽長屋と言うところか。

 私の父親にも十八番がある。その一つが、幼い頃の私を『ゴジラVSメカゴジ』(2002年12月公開)に連れて行った時の話だ。

 私が丁度、小学生に上がるか上がらないかの頃は正にミレニアムゴジラブームの真っただ中だった。怪獣少年であった私も有無を言わさず、ゴジラにハマっていた……わけではない。前回も書いたかもしれないが、私はゴジラ系列で怪獣にハマった人間ではない。

 幼い頃の私にとって、ゴジラシリーズ(東宝特撮)は怖いというイメージが強かった。原因は多分、ラドンとフランケンシュタイン対地底怪獣バラゴンだと思う。ラドンに出てくるヤゴのような怪獣メガヌロンやフランケンシュタインが団地を覗くシーンを見たのがトラウマとなり、ゴジラ映画=怖いというイメージがインプットされていた。


 では、そんな私がなぜ『ゴジラVSメカゴジラ』を観に行ったのか? 驚くなかれ、私は『ゴジラVSメカゴジラ』を観に行ったわけではないのだ。

 何を言ってるのか分からない……と言う方少し待たれよ。

 どれぐらいの人が覚えているだろうか。当時、ゴジラ映画の何本かは別作品と2本立てで公開されていた。東映まんがまつりみたいなあれだ。

『ゴジラVSメカゴジラ』と同時公開されていたのは『劇場版 とっとこハム太郎 ハムハムハムージャ! 幻のプリンセス』

 何を隠そう私は怪獣少年でもあり、ハム太郎少年でもあった。私の目的はハムタロサァンの映画を見ることであり、怖いゴジラ映画を見ることではない。

 明るく楽しいハムタロサァンが画面を駆け回った後、無音で映し出される東宝のマーク。

 私は、「帰ろう」と言った。

「俺はゴジラ映画を見に来たつもりだったのに、ハム太郎だけ見て帰ってきた。子育ての難しさを知った」

 父はこの話を度々する。

 でも、これは私が悪いのだろうか? ゴジラとハムタロサァン。対極も対極だ。

 ゴジラ大好きマンとハムタロサァン大好きマンはどれだけ両立されるのだろうか。

 入場特典で貰ったメカゴジラの中に格納されたハムタロサァン。通称メカゴジハム君を貰った私は、ゴジラが始まる劇場から逃げるように退席し、ミスタードーナツでフレンチクルーラーを頬張るのだった。


 PS:ちなみに、私の弟は家族でスターウォーズEP3を観に行った時、クライマックスのダースベイダー誕生の直前に父親をトイレに連行した。父親は「俺は死ぬまでダースベイダー誕生のシーンは見ない」と語る。

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