第2話 夢喰いバクは卵焼きも好き

 顔を洗って、着替えて。

 髪はいつも通り二つに結って……うん。相変わらず地味だ。

 けど、これが落ち着くんだから仕方ない。


 さて。パンを焼いて、その間に卵焼きを手早く作る。ウインナーも焼いちゃおう。サラダにはレタスが残ってたよね。

 簡単だけど、今日はもうこれでいいかな。


 そうやって一息ついたところで、大人しくついてきたレムがキョロキョロとリビングを見回した。


「結愛。親は?」

「お仕事だよ」

「もう? こんな朝早く?」

「いつもそうなの。朝は早いし、夜は遅いし……出張でいないことも多いし。だからもう、一人暮らしみたいなものだよ」


 おかげで一通りの家事はできるようになったんだけどね。

 ちゃんと生活できるお金は用意してくれてるし、時間のあるときはメールでやり取りもできるし……二人とも私のことを気にかけてくれているから、大丈夫。

 そう自分に言い聞かせて、用意できた朝ごはんをお皿に盛る。


「はい。こっちはレムの分」

「え……オレは……」


 差し出されたお皿を見て、レムが戸惑ったように瞳を揺らす。


「……いらない?」


 迷惑、だったかな。

 いつも一人で食べてたから……こんな状況だけど、誰かに食べてもらえるの、少し、嬉しかったんだけど……。


「ごめんね。勝手に用意しただけだから、無理に食べなくても……」

「……ん」

「わっ」


 笑って引っ込めようとした手を軽くつかまれる。

 それから、レムは反対の手でひょいと卵焼きをつまんだ。

 ぱくん。レムは何の警戒もなく黄色のかたまりを口に入れて……目を見開く。


「……すごい。おいしい」


 低くれたつぶやきに、私はホッと息をついた。


「ほんと?」

「うん。結愛、料理上手だね」


 た、卵焼きでそんな風に言われるのは、さすがに大袈裟すぎる……!

 じわじわ、顔とか胸が熱くなってくる。


 それと同時に一つの気持ちに気づいた。

 ……私、誰かにちゃんと食べてほしかったんだ。

 今は時間がなくて簡単なものだけど……夜ご飯とか、いつも一人なのにちゃんと作ってたのは……いつか誰かに、ううん、お父さんとお母さんに食べてほしかったから……。


「結愛?」

「あ、ごめん! えっと、食べながら話そう。レムについて」


 顔を覗き込まれて、ぼんやりした思考を慌てて打ち消す。

 うん、とうなずいたレムは美味しそうにトーストにかじりつきながら話し始めてくれた。



***


「オレたちバクは、正確には夢喰いバクって言われてるんだ」

「夢喰いバク?」

「うん。オレたちは夢を主食とする生き物でさ。珍しいしあんまり表立っては知られてないと思う。オレみたいに悪夢も食べてくれる夢喰いバクはさらに希少で、色々需要もあるんだよね」

「……もしかして、私の悪夢も食べてくれたの?」


 今日の夢を思い出す。

 いつもみたいに、怖くてイヤな夢だった。

 でも、途中から急にお菓子がたくさんの、ふわふわで甘い夢に変わったんだ。

 あれって、もしかして……。

 こわごわ聞いた私に、レムは小さく笑った。


「そ。結愛、うなされてたし。助けてくれたお礼」

「あ、ありがとう……!」


 寝顔やうなされてるのを見られてたのは恥ずかしいけど、本当に怖かったから。それをレムが助けてくれたのは、すごく嬉しい。


「私、いつでもどこでもすぐに寝れるのが特技だったんだけど……最近は悪夢を見ることが多くて。ぐっすり寝られなかったの。今日も怖くて泣きそうになっちゃったけど、レムのおかげで大丈夫だったよ。だからありがとう」


 我ながら変な特技だとは思うけど……むしろ特技って言っていいのかもわからないけど。

 昔は寝るのが好きだったのに、最近は悪夢のせいでちょっと寝るのが憂鬱ゆううつなくらいだった。だから本当に嬉しいんだ。

 そう思ってお礼を言ったら、レムはぱちぱちと不思議そうに瞬いた。それから口を覆って、ふいと目を逸らす。

 あれ、レムの顔、少し赤い……?


「レム? 大丈夫?」

「……大丈夫。何でもない」

「そう……?」

「とにかく、オレも偉い人に雇われてたんだけどね」


 コホンと咳払いをしたレムは話を続けた。


「なんせ扱いが悪くてさ。お金儲けに使われそうになるし、我慢できなくなって逃げ出したんだけど、行く当てもなくて……雨が降るわお腹が空くわで力尽きちゃったってわけ」

「大変だったんだ……。じゃあ、これからどうするの?」

「どうしよう」


 そんな……い、行き当たりばったりすぎる。だけどレムはあんまり困った風でもなくサラダもペロリと食べた。

 って、本当にもう時間がない!


「行く当てがないなら、今日はうちにいてもいいから。レム、お留守番よろしくね」


 バタバタと準備しながらそう言うと、レムは不思議そうに瞬いた。

 玄関まで見送ってくれたレムが首を傾げる。


「……オレも行っちゃだめ?」

「だ、だめだよ。私は学校だし……逃げてきたってことは他の人にバレちゃだめなんでしょ?」

「うん……」


 しゅん……とあからさまに落ち込むレム。

 私の手をゆるくつかんで離さない。

 な、懐かれた……のかな……?

 ちょっとかわいいかもしれない……でも、心を鬼にしなきゃ!


「学校が終わったらすぐ帰ってくるね」


 うつむきがちだったレムの頭をよしよし、と撫でてあげる。

 普段の私なら男の子にそんなことするなんて考えられないんだけど……レムのしょげた姿を見ていたらつい手が伸びていた。倒れてたときの動物の姿も見てるからかな。なんだかかわいい生き物に見えてきちゃうんだ。

 レムの髪は手触りも見た目通りサラサラで気持ちいい。ずっと撫でていたくなりそう……ってダメダメ。


「いってきます!」


 昨日降っていた雨はもうすっかり上がって晴れ間が見える。

 私は水たまりの多い道路を急いで駆け出した。

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