そして交わるquartet(3)~必定のごとく鼓動は響く

 アルメラルダの部屋へ向かう途中、フォートはずっとファレリアの手を握っていた。

 その珍しい組み合わせに生徒たちの注目が集まるが、フォートは気にせず歩く。

 手を引かれているファレリアは嫌ではないが周囲の視線が少し困る、といった様子である。


 会話は無く、奇妙な沈黙が二人の間に横たわったまま廊下を進んでいった。




 そしてアルメラルダの部屋がある、比較的高位貴族の令嬢たちが住まう寮棟へ来た時だ。



 周囲の人影が途切れると、フォートは前を向いていた顔を動かしファレリアを見据える。

 亜麻色の髪の間から覗く青い瞳と、白金の髪の間に揺れる赤い視線が交わった。


「アラタのような強い……それこそ第二級魔法騎士相手に、精神を操ったり乗っ取ったりする呪法をかけるのは至難の業だ。あれでけっこう凄いやつだからね、あいつ」


 ぽつぽつと呟くような話し声にファレリアは首を傾げる。

 フォートはしばし迷うように沈黙を挟んでから、言葉を続けた。


「……それこそ元から抱いていた感情を利用でもしない限り、本当に難しいことだ。本で読んだよ」

「え、えらい。勤勉ですね。私、授業範囲以外全然勉強していませんよ」

「君はもっと勉強しなよ。環境に恵まれてるんだから」

「ごもっともです」


 しおっと肩を落とすファレリアだったが、「それにしても」と首を傾げる。


「今回の件。本当に誰の仕業なんでしょう。こんなイベント無かったはずだしなぁ……」


 唸るファレリアにフォートは己が言葉に含ませた内容が伝わっていないことを察する。

 その事に一瞬ほっとしてから……体の奥からせりあがってくるかのような感情の方が強く、これ以上は良くないと考えながらも続けた。

 ……続けてしまった。


「ねえ、ファレリア。これは、忠告のために言っておく」

「あ、はいはい。なんでしょう?」

「……元からアラタが抱いていた、操られてしまうことに使われた感情。それはなんだと思う?」

「えー……と。ストレス?」

「合ってるけど、それだけならアラタはきっと跳ねのけられたよ。これはもっと部分的な……個人への感情が起因していると僕は予想する」

「個人、ですか? …………。つまり襲われた私に対しての……?」


 不安そうに見上げてくるファレリアに、一瞬躊躇する。

 だがこれは必要な事だと己に言い聞かせ、フォートは"それ"を口にした。


「何故かは知らないけど、アラタはずっとファレリアに不信感を抱いていたよ。その感情を利用されたのなら、今回狙われたのはやっぱり君だ」

「え……」


 数秒の沈黙。


「そ、そうですか。狙われちゃいましたか、私。一体誰でしょうねぇ~。私の可愛さに嫉妬しちゃった人とか? いや~、でもアラタさんほどの慎重な方なら、やっぱり原作に居ない私の事なんて信用しなくて当たり前ですよね~。そっか、そっか。まあ、その、はい。納得です」


 口調がやや早い。自分を納得させるように言葉を紡いでいる。

 そんなファレリアの様子に、フォートは罪悪感と共に……心の奥底で、わずかに歓喜する自分に気付いた。


 話したことは事実だ。しかし明確に嫉妬の感情が入り混じっている。

 これでファレリアからのアラタへの感情が、少しでも薄れればいいと。離れればいいと。


 ……その自覚をもつフォートは、自分の感情すら俯瞰的に見る癖がついているのは嫌なものだなと眉をしかめた。


(ああ、嫌だな。本当に、嫌だ)


 傷つくと分かっていた。

 しかしそのことで少しでもアラタに嫌な気持ちを抱いてくれたらいい。

 そんな風に思ってしまう自分の心が醜い。


(こんな気持ち、知らないままでいたかった)


 淀むように心の奥底に溜まっていく熱を帯びた泥。フォートは抱く気持ちをそう認識していた。

 けして表に出してはならない。しかしそう思えば思うほど、加速度的にその泥はフォートの心を占領していく。


 ……「好ましい」程度に収まるよう調節はしているが、攻略対象達の好感度を上げていく過程でもしそういった気持ちがもし自分へ向けられていたら。

 それを考えるとゾッとする程度には、この気持ちは醜悪だ。



『いつか素敵な人と恋をして、かわいいお嫁さんになるの』



 幼い頃、姉が無邪気に夢を抱いていた砂糖菓子のような気持ち。それが恋だと思っていた。

 だが実際はこんなにも……。




 フォートが忸怩じくじたる思いを抱いていると、くんっと腕が後ろに引っ張られる。否、手を引いているファレリアが足を止めたのだ。


「ファレリア?」

「ご、ごめんなさい。そのですね。さっきまでアドレナリン大放出って感じであんまり気にしてなかったんですけど……」


 ちらと視線を向ける先は、アルメラルダの部屋がある方向。

 その体はかすかに震えていた。


「刺された場所に行くのは、流石に記憶が刺激されるというか。ちょっと待ってもらえます? すぐに整えるので。へへ」

「……!」


 眉尻を下げて困ったように笑うファレリアだったが、その顔色は紙の様に白い。

 そうだ。ファレリアはつい先ほど殺されかけたと……そう言っていたではないか。


(なのに、僕は自分の都合ばかりで。……しかもファレリアの気持ちを刺激するようなことを……言った)


 自分が本当に嫌になる。



 それと同時に、急に一つの考えが鮮明になった。



(もしかしたら、ファレリアは今。……僕の前に居なかったのかもしれない)


 昨日のことを受けて、たまたま自分が護符を渡していた。それが無ければ今頃ファレリアはアルメラルダの部屋で冷たくなっていたのだ。……二度と目を開けないまま。


 じわじわと目の前の相手を失うかもしれなかった現実を受け止めて、フォートは体が冷え切っていくのを感じた。


「あれ、フォートくん? どうしました?」


 相手はといえば震えているくせに呑気に聞いてきて、こちらの気など知りもしない。

 だけど動いている、生きている。




 ……本当に?



 足りない。

 繋いでいたファレリアの手に深く指を絡ませる。



「えっと…………。フォート、くん?」


 それでも足りない。




 たまらなくなって、フォートはファレリアを腕ごと引き寄せ抱きすくめた。


「!?」


 驚く気配を感じるが、気にせず抱きしめる。

 あたたかい。血のかよっている生者の温度だ。

 それを確かめるように柔らかい体に腕を回していると、いつもほんのりと香っていたファレリアの香水がより強く鼻先をくすぐる。


「フォートくん? おーい。どうした、フォートくーん?」


 首元に顔を埋めていると真横から戸惑った声がする。

 早鐘のように響く心臓の音は失うかもしれなかった恐怖からか、それともこの相手へ向ける恋慕によるものか。

 判別できず、ただただ自分で困惑する。

 まるで迷子にでもなったような気持ちで顔を上げると……至近距離で赤い瞳とかち合った。


「その、どうしました? えへへ。もしかして、心配してくれたんです? 大丈夫でしたよ。フォートくんがくれためちゃつよお守りがあったので」

「……でも、一歩間違えてたら、死んでた」

「それはすでに"もしも"の話です。私はちゃんと、ここにいますよ。それを確かめたかったんですよね?」


 抱きしめたことをそう解釈したらしいファレリア。間違ってはいないが、フォートは心に引っかかりを覚える。


 ……ともかく相手が"そう"思ってくれている間に離さなければ。でなければ何かが変わってしまう。

 フォートはずっとこの体温を感じていたいと感じながらも、ファレリアの体を解放しようとする。

 しかし、それは少し遅かったらしく。


「あの……ところで。さすがにちょっと照れてしまうので、そろそろ離してもらえると助かるなぁ、なんて」

(あ)



――――まずい。



 がらがらと崩れる。

 崩れたものの名前は、理性といった。


 いつもの無表情の癖に、やはりファレリアの感情自体は豊かで。うつむきこちらを見ない彼女の頬は、ほんのり赤く染まっていた。


 誰だって異性にこの距離で居られたら照れくさくなるだろうとか、きっと自分と同じ気持ちで赤くなっているわけではないだとか。

 いくらでもそんな考えが脳内を駆けていくのに、どれ一つとして掴むことは出来ない。



 するする通過していって、残った空白に収まったのは剥き出しの欲のみ。




「…………」


 耳元で心臓の音がする。

 互いの呼吸音がやけに大きく聞こえた。

 それもそのはずだ。珊瑚色の唇がすぐ目の前にある。

 もっと近づく。

 互いの呼吸がぶつかる。








 そして。








「ん゛ッん゛ー!」

「わあっ!?」


 唸るような咳払いが聞こえたと思ったらぐいっと首根っこを掴まれて、そのままバランスを崩したフォートは尻もちをついた。


っ」

「あら失礼?」

「アルメラルダ様!?」


 フォートをファレリアから引き離したのは、研究塔へとむかったはずのアルメラルダだった。

 彼女は尻もちをついているフォートを見下ろす。その視線は氷のように冷え切っていた。


「……さて、アリスティ。貴女も一応星啓の魔女候補なのですから、一緒についてらっしゃい。わたくしがわざわざ呼びに出向いてやったのよ。もちろん来るわよね?」

「え……と。どういう」

「反応が鈍い!」


 容赦ない叱責が雷のように落ちてきて、フォートは思考が定まらないまましどろもどろに「行きます」と頷いた。


「それで良いのよ。……なんでも先生によればわたくし達星啓の魔女候補には、呪いを消す力がそなわっているとか。念に念を入れたクランケリッツの最終的な呪法除去の処置のため、二人そろっていた方が良いそうよ。……ファレリアは怪我の処置をしたあとは部屋に戻っていなさい。ここまでくれば、もう一人で行けるでしょう。ああ、戻るときは必ず誰か護衛をつけるのよ。わたくしのメイドに言えば手配してくれるわ」

「あ、はい。……はい?」

「貴女もなの!? 呆けた顔をしていないで、さっさとお行きなさい!」

「はいぃぃぃッ!」


 アルメラルダの声を受けて、石のように固まっていたファレリアは飛び上がってすでに扉の見えているアルメラルダの部屋に向かって駆けだした。

 それを見送ると、アルメラルダは尻もちをついたままのマリーデルフォートを見る。

 ……夕日に照らされたように赤いその顔を。





(今、なにしようとしてた……!?)





 フォートは口元を押さえて今の自分の行動を自問自答しては堂々巡りの考えを繰り返していた。

 ドクドクと心臓がうるさくなる。さっきからずっと鳴りっぱなしだ。


 その脳天をバスンッ、と扇で叩かれてようやく我に返るが、叩かれたことに怒る余裕もない。


「今のは、その!」


 口から飛び出たのは言い訳のための助走。

 しかしアルメラルダはそれをばっさり切り捨てた。




「貴女にファレリアは渡しませんわよ」




 ひゅっと息をのむ。

 フォートのハトが豆鉄砲でもくらったような顔を見たアルメラルダは、開いた扇で口元を隠しながら目を細めた。


「ふふっ。そんな顔を見て分からないほど、わたくし鈍くなくってよ。……まあ、貴方がそういった趣味の方とは知りませんでしたけど」

「ちがっ。違います! どうしてぼ……私が、あんな」

「あんな!? うちのファレリアに何かご不満でも!? 確かに顔しか取り柄の無い子だけども、貴女ごときにそんな風に言われるような子に育てた覚えはありませんわ!」

「そうじゃなくて! っていうか育てたって何、親か!? ああもう!!」


 どう答えればよいのか。混乱した頭では到底その解をはじき出せそうにない。

 するとアルメラルダは軽く息をついてフォートの後ろ襟をひっぱる。


「ちょ、猫じゃないんだから! 首元掴むのやめてよ!」

「あなたの化身は猫だったじゃない」

「そうだけど!」

「……どうやら大きな猫もかぶっていたようだし?」

「…………!」


 フォートはそこで散々アルメラルダの前で素を晒してしまった事に気づき、余計に思考のドツボにはまる。だがそれに対してアルメラルダは上機嫌だ。


「今日はあなたの弱みをたくさん握ってしまったようね。ほほほ! さっ、モタモタしていないで行くわよマリーデル・アリスティ」


 アラタが正気に戻ったらなんと説明しよう。



(だけど、ああ。そうか。これってもう、隠しておけるほど小さなものじゃない……のか。だったら僕は……)



 フォートは忙しない自分の内面に頭痛を覚えつつも、どこかすっきりとした気持ちも抱いていた。

 相変わらずドロドロとした醜い気持ちであることには変わりないが、それも受け取り方次第かもしれない。

 生涯においてそんな強い気持ちを向ける相手に巡り合えたことは、きっと幸運だ。









 たとえそれが、叶わぬ想いであろうとも。


























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