第037話

 学園に流れる川のほとりは、夏になると川遊びなんかが出来たりして、何もない孤児にとっては数少ない遊び場の1つだった。

 ルークは適当に拾った石を川に投げる。

 何度か水面を跳ねた石は、心もとなくグラグラと揺れながら、なんとか向こう岸まで辿りついた。


「おお……」


「お前、あの噂って本当なのかよ」 


「……ごめん。最近、色んな話に尾鰭がついてて、どの噂なのかわかんないや」


「お前が神殿の中に入ったっていう話。俺の周りじゃ、もうその話で持ちきりなんだが……」


「それは本当の話」


「マジか……じゃあ、女神様にも……」


「会った」


「……」


 ルークはしばらくの間、棒立ちになって晴天の縁を眺めていた。

 「女神様のことを聞くのは野暮だな……」と畏敬の念を付け加えて、ルークは続ける。


「神殿に入ったからには『寵愛の剣ソード・オブ・クラーディア』にも入るってことなのか?」


「ラフィーリアさんは、そのつもりで僕を神殿の中に入れてくれたみたい。弟子にならないかって誘ってもらえたよ」


「とうとう行くところまで行きやがったな。これ以上ないってくらい、登り詰めやがって」


「僕自身は、そんなに大したことはしてないんだけどね……」


「よく言うぜ。第二階層に落ちたルーナたちは、普通なら落下した時点で全滅してた。お前はそれを救ったんだぞ? あいつら言ってたぞ。お前が言葉を掛け続けてくれたから、安心することができたって」


「ルーナたちと知り合いなの?」


「同じクラスだ。ロビンもスコットもな。みんなお前が同い年だって話したら驚いてたぞ。あいつら、お前のこと知らなかったんだな」


「みんな元気だった? 結構トラウマになってもおかしくない状況だったと思うけど」


「ルーナのやつはちょっと……もう遠征には行きたくないって言ってたし……」


「そうなんだ……。ルーナにあったら、君の灯りのおかげで皆んな助かったって伝えておいてくれないかな」


「わかった。お前が言ってたって、ちゃんと伝えるよ」


 ルーナは服を脱いでまで灯りを照らしてくれた。

 しかも青色の制服からして、貴族組の生徒だ。

 光で輪郭しいか見えないとはいえ、人前で素肌を晒すのは相当な覚悟が必要だっただろう。

 あの勇敢さがなかったら、僕も身動きが取れなかった。

 酷いトラウマにならなきゃいいけどなぁ……。


「はぁ……お前が英雄かぁ……。遠いところに行くも程がある。これじゃあもう、追いつけるかどうかもわかんねぇじゃんか」


「ははは。大丈夫だよ。噂になっているようなことは、起こらないから」


「どういう意味だ?」


「加盟は断るつもりだし、ラフィーリアさんの弟子にもならないよ」


「な!? なんでだよ!?」


「僕の夢は、ルークと一緒に冒険者になって旅をすることなんだ。そう約束したし、握手もした」


「おま……そりゃ約束はしたけどよぉ……」


「女神様の守護者になんてなったら身動き取れなくなっちゃうだろうし、せっかく自立してこれから自由に生きれるかもしれないんだ。夢を捨ててまで、英雄になりたいとは思わないよ」


「……本当に後悔しないのかぁ? 英雄だぞ、英雄。最強のクランだぞ?」


「後悔しないよ。絶対にね。それが僕の夢なんだからしょうがない。ということで、これ、プレゼント」


「どういう話の流れだよ……」


 僕はついさっき買ってきた剣を、ルークに渡した。

 手に取った瞬間に中身を察すると、ルークは布を捲り、すぐに剣を引き抜いた。


「その剣に魔力を込めてみて」


 魔力に反応すると、剣に刻まれた魔術式が青く光り、周りに結界を作り出す。

 持続時間は2、3秒。

 これだと持続的な攻撃は防げなさそう。

 緊急時の回避に使う感じだろうね。


「防御陣の付与がしてあって、魔力を流すと勝手に発動してくれる。大抵の攻撃は防げるみたい。魔力消費量は一回で0,5%だって」


「……俺にくれるのか?」


「うん。ちょっと遅くなっちゃったけど、進学祝い。この剣なら、いざっていう時もルークのことを守ってくれると思ってね」


「これ、いくらしたんだよ」


 まさか1000万の剣とは言えないよなぁ。

 僕のより高い剣を渡したら、ルークは気を遣って受け取ることを拒否するかもしれない。


「い、1万ディエルくらいかな? ほら、ルフト洞窟みたいなこともあるし、中等部から実戦的な訓練も始まるでしょ? こういうのがあった方が安全だからさ」


「すげぇ良い剣だ……。ありがとうな。大切にするよ」


 ルークは剣を優雅に振り回して感触を確かめる。

 風を切る音が澄み切っている。

 うっとりするような剣の動きを見るだけで、ルークが日頃からどれほど努力しているのかがわかる。


「お前はどんな剣使ってんだ?」


「え……」


 ルークの下げた視線は僕のベルトに装着された剣へ注がれる。

 まずい。

 市場には出かけないはずのルークだ。

 剣の相場に明るいとは思えない。

 でも、ルークほど剣を扱ってきた人なら、刀身を見れば素人ながらにも剣の良し悪しは判断できてしまう。

 僕の剣を見せたら、ルークに渡した剣より劣ることがバレてしまう。


「け、軽量化の付与がついた剣だよ。ラフィーリアさんに選んでもらったんだ。10万ディエルくらいで買えたよ」


「ふーん。剣の相場ってそんなもんなのか。意外と安いんだな」


 背中を向けて、ホッと胸を撫で下ろす。

 ルークが剣の相場を知らなくてよかった。

 まぁ、いずれはバレるだろうけど、それまでには僕も同額くらいのいい剣をこしらえておけば、ルークだって文句はないはずだ。



 ◇



 神殿に再び呼び出された。

 クラ―ディアは改めて僕の『進路』を問う。


「アウセル様。私の守護者となる意思はございますか?」


 女神の申し出を断ったら、僕は罪に問われるだろうか。

 怒られるだろうか。

 背中には最強の英雄である幹部たち12人が並んでいる。

 逃げ場はない。

 それでも、不思議と怖くはない。

 自分の夢はハッキリとしてる。

 僕がなりたいのは、英雄なんかじゃない。

 

 僕は最高権威の前で、宣言した。


「すみません……せっかく誘って頂いて恐縮なのですが……僕は『寵愛の剣ソード・オブ・クラーディア』には入りません。加盟は辞退させて頂きます」


「そうですか……残念ですが、仕方ありませんね」


 クラーディアは寂しそうに言いながら、こちらに罪悪感を与えないよう柔らかく口角を上げてくれた。

 しかし女神様は許してくれたけど、後ろの人たちが快く見逃してくれるとは限らない。

 背中で強く揺れ動く覇気。

 幹部たちの動揺が伝わってくる。


「ラ、ラフィーリア様!? おお、落ち着いてください!」


 レックスの慌てふためく声。

 女神の了解を断ったことで怒られるのかと思ったけど、そうじゃなかった。

 後ろを見ると、遠い目をしたラフィーリアが冷気を撒き散らしていて、幹部たちを動揺させていた。


「グレイン」


「承知した」


 ルーベンからグレインと呼ばれた男は、離れようとする幹部たちとは逆行して、ラフィーリアの冷気の中に歩いていくと、全身を炎に焼かれ始めた。

 【炎】か、それに似たスキルだろう。

 流石は幹部、英雄の中の英雄、寵愛の十二天子じゅうにてんしと評される人たちだ。

 熱量が凄まじい。

 グレインは悲鳴を上げることもなく、ラフィーリアの隣に立って燃え続けている。

 冷気はグレインの放つ熱気と中和し、凍結の広がりを防いぐ。

 ラフィーリアの近くは結露した水が溜まり、鏡のように景色を映す、湖ができていた。


 動揺の原因は、間違いなく僕だ。


「ごめんなさい、ラフィーリアさん。せっかく誘ってもらったのに……色々と教えてもらっていたのに……でも、僕にはどうしても叶えたい夢が他にあって……」


「う、うううん。気にしないで……私は……一人で慣れてるから……」


 プルプルと肩を震わせるラフィーリアは、オモチャを買ってもらえない幼児のように、堪えきれない涙を流しながら口をつぐむ。

 泣かせてしまった……!

 僕が恩知らずなばかりに……!


「ご、ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! 本っ当ぉぉにごめんなさいっ!」


 謝れば謝るほど、ラフィーリアの目から洪水のように涙が溢れ出していった。


「アウセル様。アウセル様の夢を、是非ともお聞かせ願えないでしょうか」


 女神は尋ねた。

 神様に伝えるような高尚な夢なんか持ってなくて、僕は恐縮しそうになった。

 でも、これは僕の夢だ。

 何もない僕の夢は、周りの人からすればちっぽけな夢かもしれない。

 馬鹿馬鹿しい笑い話に過ぎないのかもしれない。

 それでも僕の抱く夢は、僕の人生で唯一見つけることのできた、たった一つの夢だ。

 他の全てを失ってでも、叶えたいと思った夢だ。

 怯んでる場合じゃない。

 僕は今にも駆け走りたくなるようなこの胸の高鳴りを、白状しなくてはいけない。

 誰もが抱く当たり障りのない夢なんて、きっと腐るほど道端に落ちているけど、僕にしか語れない夢は、世界にたった一つだけ、今この場所にしかないのだと。

 自分勝手に、強情に、荒れ狂う自然の猛威のように、僕は僕自身の全てを白状しなければならない。

 

「僕の夢は、親友と一緒に冒険者になって、世界中を旅することです」


 女神は……微笑んだ。


「それがどれほど素晴らしい夢なのか、あなた様のお顔を見れば伝わってまいります。あなた様が抱く夢ほど、純粋で清らかなものなど、この世界にありはしないのでしょう。迷うことなくひたすらに邁進し、どうか夢をお叶えください。私はあなた様のご武運をこの場所より祈り続けます。そしていつの日か、あなた様の夢が叶ったその時には、きっともう一度、同じお願いを申し上げる機会をお与えください」


「は、はい!!」


「アイツはまだ若い。同志として迎え入れるのは、世界を見て回らせて、色々と経験を積ませてからでも遅くわないってことだ」


「……」


 ルーベンが呟くと、ラフィーリアの涙は止まった。

 

「……熱っ!?」


「……失敬」


 冷気が弱くなり、崩壊した中和から飛び出した熱波がラフィーリアを襲った。

 グレインの炎が消えると、この場の熱も自然と治っていくようだった。


  





それぞれの進路編 【了】












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