第015話

 バケツやらモップやら雑巾やら、掃除道具だけもって出発した。


 石畳の広い道。カトル通りは高級住宅街だ。

 なかでも僕が辿り着いた家は、ひときわ目を引く大きな館だった。

 鉄柵の門の向こうにライオンの像が二台、牙をむき出しにして立っている。


「こ、ここであってるよね……。デカ〜。確かラフィーリアっていう人だよな。こんな大きな館に住める人って、どんな人なんだろうなぁ」


 名前からして女性だよな。

 どこかの貴族か、大企業のお嬢様だろうか。

 身分の高い人が相手だと緊張するなぁ。

 また目をつけられるのは嫌だからね。

 当たり障りのないよう、ささっと終わらせて帰るとしよう。


「……誰?」


「わぁ!?」


 僕の真横に人が立っていた。

 いつからそこにいたんだろう。

 黒と青が混ざる艶のある長い髪。

 細身の剣を携えた女性は静寂を身にまとう綺麗な人だった。


 あれ、どっかで見たことあるような……。


「え、えっと……僕は決して怪しいものじゃなくてですね。ここに住んでいるラフィーリアという方から、館の清掃を頼まれているんです」


「……ラフィーリアは私」


 ラフィーリアを名乗った女性は、眠たそうに半分だけ開いた目を、僕にグッと近づけてきた。

 井戸の底みたいに、深くて透き通った青い瞳。

 意識が吸い込まれていきそうだ。


「あなたがギルド会館を綺麗にしたの?」


「は、はい……」


「ふーん……若いね。君」


 それだけ言うと、ラフィーリアは門を開けて先に入っていく。


「どうしたの?」


 僕は遅れて、恐る恐るラフィーリアの後に続いた。

 玄関扉が開く。もう何年も掃除してないのだろう。広いエントランスは「ゴホゴホ」と咳き込むくらい酷く埃っぽくて、せっかくの豪華な装飾たちが、すべて霞みがかって灰色になっていた。

 まるでポッカリとこの館の中だけ、時間が止まってしまっているみたいだ。


「じゃあ、掃除、よろしくね」


「え……」


 エントランスのど真ん中に場違いなソファが置いてある。

 玄関からそのソファにかけてのみ、床の埃が無くて道ができている。

 家主は舞い上がる埃を気にも止めず、進んでいく。

 このラフィーリアって人、たぶん家に帰ってきても玄関とソファの間しか行き来してない。


 ソファに寝転がると、ラフィーリアは剣を大事そうに抱きしめてそのまま眠ってしまった。

 物静か……口数の少ない人……いや、変わった人かな。


「まぁいいや。依頼人の許可はあるわけだし、掃除しちゃおう。くぅ〜。すごい埃だなぁ。これはやりがいがあるぞ」


 さっそく泡で館を埋め尽くして汚れを落としていきたかったのだが……エントランスの真ん中で雇い主が寝てしまっている。

 まさか泡の中に沈めるわけにもいかない。


「しょうがない。あれをやってみようかな」


 ソファの横に小さな泡を作り、硬化を調整しながら膨張させる。

 大きくなっていく泡はラフィーリアごとソファを飲み込んだ。


 泡が体を通過した時、ラフィーリアは目を開けた。


「……これは?」


「こ、これは僕が作った泡です。掃除中は泡だらけになるので、この中なら大丈夫かなと……」


「……」


 ラフィーリアは何も言わないまま、またコトリと寝てしまった。

 全てがどうでもいいって感じだな。


「ま、まぁ、とりあえず始めようかな」


 要領は厨房を掃除した時と同じだ。

 空間を泡で満杯にして、汚れを落としていく。


 両扉の玄関を全開にして、そこに泡の膜を張る。

 右腕だけを泡に貫通させ屋内に伸ばし、魔力を放出、大量の泡を生成する。泡の膜で、玄関から泡は流れ出ないようになってる。

 泡はブクブクと増殖し、扉の隙間からタンスの裏側まで入り込み、一階を埋め尽くしたあと、そのまま二階、三階へと登っていく。

 室内のすべてが満たされると、館の屋根裏部屋の窓が、隙間から泡を吹き出していた。


 シュワシュワと小さな泡を破裂させて、表面の埃や汚れを落としていく。

 少しずつ泡を消していくと最後に残ったのは、張力で汚れを溜め込んですっかりとくすんでしまった泡たちだった。


 3分の1だけ水が入ったバケツに泡を入れ、割る。

 泡にくっついていた汚れが、水の中に沈んでいった。

 これを3回繰り返し、日が沈む頃には屋根裏部屋の泡を回収して、掃除は完了した。


 夕日が窓から差し込んでるからまだ物が見えるけど、やっぱりちょっと暗いな。

 照明用のランプやシャンデリアがあるけど、どうやってつけたらいいのかわからない。

 エントランスの中央まで来ると、ラフィーリアが相変わらずソファで眠っていた。


「この人、まだ寝てたのか……」


 今日の仕事が終わったことを伝えなきゃいけない。

 僕はラフィーリアを包んでいた泡を消して、肩を揺すった。


「あの〜。……あの〜、すみませ〜ん」


「んん……。よく寝れた……どうしてだろう」


 起き上がったラフィーリアは、ソファにしばらくのあいだボーッとしていた。

 そして、何事もなかったかのように眠気眼で僕を見る。


「……どうしたの?」


「えっと、掃除が終わったので、今日はもう帰ります」


「え……もう終わったの?」


「はい」


「……」


 ラフィーリアが指を鳴らす。

 すると主人の命令を聞いた館は、館内にあるすべての証明を光り輝やかせた。

 すっかりと綺麗になった豪華な室内が、生まれ変わったかのように絢爛さを誇っていた。


 終始半開きだったラフィーリアの目が大きくなる。


「これ、君一人でやったの?」


「はい。あ、でも、まだ外壁は掃除してないので、続きは明日またやります」


「……」


 「ちょっと待ってて」、ラフィーリアはそういうと奥の部屋から木箱を抱えて帰ってきた。


「これ、あげる」


「なんですか……これっっっ!?」


 ラフィーリアが手を離した瞬間、木箱は僕の腕の中でズシリと重くなった。

 木箱の蓋を開けると、強い光が反射する。

 中身は1000万ディエルは下らないであろう大量の金貨がギッシリと敷き詰められていた。


「な……!? なんですかこれ!?」


「掃除の代金。足らなかった?」


「いや、逆ですよ逆!! こんなの貰えるわけないじゃないですか!!」


「……私は、少ないと思うけど……」


「少ないわけないでしょう!? 僕のお給料の何十年分だと思ってるんですか!?」


「……?」


 ラフィーリアはキョトンとした顔で首を傾げる。

 冗談を言っている顔じゃないから、また恐ろしい。

 大金持ちになると、ここまで金銭感覚が狂っちゃうものなのか……。


「1枚だけ貰っていきます」


「1枚だけ?」


「室内の掃除に1万、外壁の掃除に1万、合わせて金貨2枚、2万ディエルでお願いします。今日は室内の分だけ、残りは明日いただきます」


「……」


 話……通じてるんだろうか。

 ラフィーリアの表情は、綺麗になった家を見たとき以来、また無表情になったまま変わらないから、何を考えているのかまったくわからなかった。

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