第020話

 朝4時。いつもの時間に目を覚ます。

 起き上がってすぐに感じる、腕の異物感。

 左手首を見ると、窓から差し込む灰色の朝日に照らされて、銀色の腕輪が鈍く光っていた。

 それは僕が、冒険者になった証だった。


「本当になっちゃったんだなぁ……冒険者……」


 次第に湧き上がってくる実感を掴むように、左手を強く握り込む。


「本当の本当の本当に……冒険者になったんだ……。冒険者になっちゃったんだぁあああああ!!」


 気づけば両手を天井に突き上げて、小躍りをかましていた。

 冒険者は危険、疲れる、難しい……ネガティブなイメージはもちろんある。

 具体的に何をすればいいのか右も左もわからないのに、それでも自分が冒険者って事実だけで、なんかテンションが上がる。

 なんだろう……あれだけ悩んでいたのに、なってしまってみれば嬉しい気持ちしか湧いてこないや。

 不安よりも、挑戦できること、可能性がある嬉しさのほうが大きい。


「来週の休みにまた洞窟に行ってみよう。そうなると武器とか防具とかも必要になるよな。お金……ないなぁ……あ、そういえば」


 机の上に置いておいた、緑色の魔石。

 デスラッドから出た魔石だ。

 これを換金所に持っていけばお金に変えてくれるんだよね。

 デスラッドなら僕でも倒せる。

 繰り返し行けば、お金は稼げるかも。

 ……やばい、めちゃめちゃ楽しくなってきた!?


「おっと、もう時間だ。仕事、仕事」


 早朝のまだみんなが寝ている時間に、一階のエントランスや食堂を掃除。

 チェックアウトのお客さんが増えるころから、二階から上の客室を泡で掃除する。

 同じ清掃員の人たちには、会うたびに声を掛けられた。


「おい、アウセル! お前、冒険者になったって本当なのか!?」


「しかも、あのラフィーリア様に推薦されたって……」


「はい。本当です」


 僕は左手の冒険者リングを見せた。


「ラフィーリア様とは昔から知り合いだったのか? どういうコネを使ったんだよ」


「いえ、3日前に会ったばかりで……」


「えぇ……。どうなってんだよ、そりゃ。じゃあ才能を買われて、スカウトされたってことなのか? お前のスキルは【泡】のはずだろ? 戦闘には役に立たないんじゃなかったのか?」


「そのはず……だったんですけどね……僕にもまだよくわからなくて……」


 騒然としているのは清掃員だけじゃなく、冒険者の人たちもすれ違う度に声を掛けてきた。


「どうやってラフィーリア様と知り合ったんだ!?」


「なんでラフィーリア様がお前を推薦したんだよ!?」


 国内最強の剣士が推薦した、期待の新人冒険者。

 僕の立ち位置は、今やそんな感じになっているらしい。

 僕自身は何も変わってないし、期待を寄せられるような人間じゃないことは一番わかってるから、なんとも居心地が悪い。


「アウセル……」


 また声を掛けられた。

 今日はもうこれで何十回目だろう。

 いい加減に放っておいてほしい。


「アウセル」


「……」


 それは、聞き覚えのある声だった。


「……ルーク」


 後ろに立っていたルークは、会話をする前から真剣な表情をしていた。


「話せる場所、あるか?」


「う、うん」


 僕はルークを自室に案内した。

 生活環境を確かめるように、ルークは部屋の隅々を観察していた。


「ひ、久しぶりだね。一ヶ月くらいしか経ってないのに、懐かしい感じがするよ」


「……」


 こちらに向き直ったルークは何も喋らず、ただじっと僕の目を見つめていた。


「……怒ってる?」


「怒ってないとでも思ったのか?」


「やっぱり怒ってるんだ」


「どうして勝手なことをした? 俺の代わりに退学するなんて、誰がそんなこと頼んだ」


「……」


「……すまん」


「うううん……こっちこそ、ごめん」


「俺は別に学園を出たってよかったんだ……お前を退学させてまで居たいとは思わない」


「わかってるよ。でも、ルークにはすごい才能があるんだ。退学なんてもったいないよ」


 納得しないルークは少し左のほうを向いて、最高学府の権威を見下すように「ふんっ」と鼻を鳴らした。


「俺はそんなことより、お前が俺のせいでこんなところで働いてるのが許せないんだ。俺なんか庇わなきゃ、お前が学園に残れてたはずなのにさ」


「ははは、大丈夫だよルーク。ブルートのお父さんはいい人で、紹介してくれたこの場所もとっても働きやすい仕事場なんだ。みんないい人たちばっかりだしね」


「そうなのか……?」


「うん。それに……ほら」


 僕はルークに冒険者リングを見せた。


「ぬわっ!? お、お前、それって……!」


「僕、冒険者になったんだ」


「マジかよ!? えっ!? 冒険者!?」


 暗かったルークの表情が一気に明るくなる。

 怒りや後悔や寂しさが入り混じった複雑な感情は、羨望の眼差しに変わった。


「週に一回休みがあるから、その日には冒険者として遠征に行こうと思ってるんだ」


「なんだよそれ! 完全に先越されてんじゃん! ずるくないかぁ!?」


「ははははは!」


「……じゃあ、こっちでも楽しくやってるんだな」


「うん。正直、学園にいた頃より充実してるかもしれない。だからルークも僕が退学になったことは気にしないでほしい。どこにいたって僕たちが友達であることは変わらないし、お互いにちゃんと頑張ってれば、必ずまた会える日がくるからさ」


「……わかった。そういうことなら、俺も学園を卒業したら冒険者の道に行く!」


「ルークも冒険者に!?」


「冒険者としてはお前のほうが先輩になっちまったけど、すぐに追いついてやるさ。その時には、一緒に冒険に出かけよう!」


「ルークと一緒に……うん! 絶対に行こう!」


「ああ、約束だ!」


 僕たちは強く握手を交わした。

 ルークと一緒にどこか遠くへ冒険の旅に出る。

 そんなことが実現できたら、どんなに楽しいだろう。


「もしかしたら、これが夢ってやつなのかな」


「かもしれないな」


 親がいないという現実は、根幹がない、起点がない状態から人生がスタートしているようなもの。

 人生が長距離走のようなものだとしたら、スタート地点が曖昧な僕たちは、競技に参加しているのかも曖昧で、ゴールをどこに設置していいのかもわからない。

 憧れや希望には常に現実という悪魔が付き纏い、嫌味なほどにこの世界の不平等さを突きつけてくる。


 今ここで自立し始めた僕たちは、生まれて初めて自分たちの力だけでスタート地点を決めれたような気がしていた。

 夢や目標のない人生は、無意識に生きているのと変わらない。

 今なら心の中に掛かっていた霧の正体がよくわかる。


 世界に色がつく。

 肺を充足させる空気の味。

 もう確信してる。

 僕たちには夢がある。

 2人だから見れる夢がある。

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