第013話

 ギルド会館のなかで、どの場所が一番混雑するかと言えば、それは間違いなく食堂だ。

 出発前に腹ごしらえをする冒険者も、作戦会議をするパーティも、今日は仕事をするつもりのない冒険者も、休憩中の職員、観光客の団体だって美味しい料理を目当てに食堂へやってくる。

 冒険者たちの宴が静まるのは早朝。

 それまで厨房は休みなく働き続けなくちゃならない。

 掃除をさせてもらえないというより、する時間がないと言った方が正しい。

 だけど頑張って掃除してきて、厨房だけが汚いままっていうのは、清掃員としての仕事をしてないような、見て見ぬふりをしているような気がして嫌だ。


 ガチャガチャと騒がしい厨房でも聞こえるように、僕は大きな声で食い下がった。


「僕なら2時間で厨房を掃除できます!」


「2時間だと!? そんなに早く終わるのか!?」


「朝の早い時間なら……」


「……いいや、だめだ! 万が一、仕込みが間に合わなかったらどうする!? 客に美味い飯を出すのが、俺たちの役割なんだ! お前の評判は聞いているが、仕事に穴はあけられん!」


 サミーはフライパンを振りながら、僕の提案を却下する。

 実力を認めてもらってからじゃないと、掃除させてもらえないか……それなら。


「なにしてる!?」


「皿洗いを手伝うくらいなら、いいですよね!?」


「……好きにしろ! 邪魔だけはするなよ!?」


「はい!」


 流し場にはシンクごとに水色のクリスタルが一個、宙に浮いている。一回触れると水が落ちてきて、もう一回触れると止まる。

 魔石の中には水を生み出す『アクアリスタ』という魔石があるけど、これはアクアリスタの魔術回路を模して作った型に、【水】のスキルを持った人の魔力を流し込んだ人工のアクアリスタだ。

 【水】のスキルが億万長者のスキルって言われてる理由は、この人工のアクアリスタが毎日何万個も売れていくから。


 シンクの一つには水が溜めてあって、常にお皿が積み上がっている。

 見習いの料理人が永遠と運び込まれてくる皿を、石鹸で洗っていた。


「手伝わせてもらってもいいですか?」


「あ、ああ……。お前、料理人なのか?」


「いえ、清掃員です」


 使い終わったお皿についた油の汚れは、より細かい泡にすると落としやすい。

 洗い終わったあとのヌメリも残らない。

 細かい泡を均一に作るのは意外と難易度が高いけど、今の僕なら集中すれば作れる。


「うおっ!? なんだそれ!?」


「泡です」


「泡……それがお前のスキルなのか?」


 シンクを泡で満たし、皿を漬けておく。

 あとは泡で絡め取った汚れを水で流すだけ。

 手で洗う必要はほとんどない。


「……いいな、便利なスキルで。俺なんて【大食い】だよ、【大食い】」


「大食い……」


「一杯食べれるってだけで、日常生活にも戦闘にも役に立たねぇスキルさ。ようは胃袋が強いってだけ……笑えるだろ? 一応は食べ物に関するスキルだから、仕方なく料理人を目指してんだ」


「僕も最初は泡なんて何の役に立つんだって思ってました。でも、友達が励ましてくれたら頑張れたんです。自分にできることを探して頑張っていれば、きっと道は開けますよ。何も持ってなくても、努力だけは誰にも奪えないですからね」


 そういえば、そろそろ夏休みが終わる頃だなぁ。

 ルークは今頃、夏休みの宿題に追われてるころかな。


「いいこと言うなぁ、お前。自分にできることを探していれば、きっと道は開けるか……そうだな。頑張るしかないよな」


「この泡を使ってください。漬けておくだけで、汚れが浮き上がってきますから」


「ありがとう。助かる」


 山のように積み重なっていた皿はなくなり、洗い場はすぐに手持ち無沙汰になった。


「おい、フレッド! 暇ならこっちで玉ねぎの千切りでも作ってろ!」


「え、いいんですか!?」


「無駄な質問するんじゃねぇ! さっさとやれ!」


「は、はい! ……ありがとうな。実はここに来てからすっと皿洗いだったんだ。俺、フレッド。お前は?」


「アウセルです」


「よろしくな、アウセル」


 万年皿洗いだった見習いは、年上の料理人に呼ばれて調理場の中央に移動した。

 よっぽど嬉しかったんだろうね。

 表情に活気が蘇ってる。

 不都合なスキルを持った人は、みんな人知れず努力してる。

 頑張っているのは僕だけじゃないんだよな。

 

 お昼の混雑時になっても、洗い場に皿がまったく溜まっていないことを不審に思ったのか、サミーが訝しげな顔をして泡の中を覗き込む。


「貸してみろ……」


 水で洗い流した皿をサミーに渡す。

 サミーが指で皿をこすると、油っ気のない陶器の音がした。


「……おい、アウセル!」


「はい!」


「……深夜3時から5時までなら、厨房を開けてやる。きっちりその時間に終わらせろよ?」


「は、はい!」


 僕の洗浄速度を見て納得してくれたサミーは、厨房の掃除を許してくれた。


 深夜3時。

 お酒を飲んでいた冒険者たちも解散していって、一階のロビー付近は静かになっていった。


「調理道具を外に出そう」


「いえ、そのままでも大丈夫です。ただ、洗いやすいように棚の扉は開けたままにしてください。僕の泡は魔力でできているので、調味料や食材を痛めることもありません」


 厨房のカウンターやドアの隙間に泡の膜を張る。

 僕は意識を集中させ、厨房に細かい泡を大量に生成させた。

 泡は膜の中で溜まっていき、厨房の隙間という隙間に入り込んでいく。

 壁や天井、フライパンにこびりついたしつこい油汚れは、さすがに時間を掛けないと浮かび上がらせることはできない。


 1時間40分、泡を生み出し続ける。

 押し潰される泡は汚れの隙間の中で弾け、また新しい泡が汚れの隙間に入り込む。

 泡を表面を伝って落ちてきた汚れで、下のほうの泡が茶色く濁ってる。

 十分に汚れを落とせた証拠だ。


 魔力の連絡を断ち切り、泡を消していく。

 後は床に溜まった汚れを、モップや雑巾で洗っていくだけだ。


「あとは床を拭くだけか?」


「はい」


「手伝おう。おい、みんなでやるぞ!」


 料理人の人も手伝ってくれたから、10分もかからずに汚れを外に出すことができた。

 厨房はピッカピカ。時間も約束の10分前に終わらせることができた。


「やるな。さすがに貴族に喧嘩を売るだけのことはある」


「あははは……」


「さぁ、仕込みを始めるぞ!」


 これで一階部分はほぼ全て綺麗にできた。

 一件落着で気分がいい。

 この調子で、このだだっ広い会館を掃除していこう。

 次は2階から上だ。


「廊下から始めよう。泡立てると道が塞がっちゃうから、みんなが起きてくる前に、さっさと終わらせないと」


 床に生成した泡を増やして天井まで埋めながら、後ろ向きに歩く。


 ――トンッ。


 曲がり角に差し掛かったところで、僕の背中に受付を担当するロゼがぶつかった。


 倒れていく自分の体。

 咄嗟のことで、足を前に出して踏ん張るタイミングを逃す。

 受け身もとれないまま、僕は高さ30センチまで積もっていた泡の上にダイブした。


 ――ポヨーン。


 僕の体が、何度か跳ねた。

 細かい泡は高級なベットのように、僕を優しく受け止めてくれた。


「……ん? 泡が……割れない?」


「だ、大丈夫ですか!? アウセル様!? 申し訳ございません……」


「い、いえ、僕の方こそすみません。前を見てなかったもので」


 ――パンッ!


 ロゼの綺麗さに心奪われた瞬間、気を許した泡は一気に弾け飛んで、まだ上に座っていた僕は尻もちをついた。


「あいでっ!?」


「だ、大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫です……」


 全体重を乗せても割れない泡なんて初めて見た。

 もう一回、再現できるかな。


 自室に帰ると、さっそく泡を出した。

 しかしその泡は指で触れるとすぐに割れてしまう。


「違う。こうじゃない。あのとき僕は、泡を通り抜けて床に倒れると思ったから、すごく力んでた。そう、もっと力を込めて……」


 また泡を作った。

 今度は、指で触れても泡は割れなかった。

 強く突いてみても、泡は風船のような弾力をもって形を保っている。


「割れない……。これってもしかして……泡が強化されてる?」

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