黒い福寿草・中編下

 翌朝、小晴は授業で使う教科書を受け取る名目で職員室へ足を運んだ。

 机の上に教科書類を積み上げていた荻部が小晴に朝の挨拶を投げかける。


「おはようございます、小晴さん」

「荻部先生、おはようございます。昨日のうちにいくつか分かったことがありますので報告します」


 わかりやすく簡潔に、を心がけて説明すると、荻部は顔を曇らせた。

 呪いが実際に起きていることが確定し、生徒を心配したのだろう。

 黒い福寿草を受け取った生徒の名前を上げると、荻部は考え込む。


「成績優秀者や普段から周りに慕われている子達ですね。人気が高い子達です。呪われるような態度をとる子達ではないはずなのに」


 困り顔をする荻部だったが、小晴に促されて黒い福寿草を受け取った三人の普段の生活ぶりや交友関係を教えてくれた。

 担任ではなくても、ある程度のことは把握しているらしい。特に、一か月前から黒い福寿草を受け取っている生徒について詳しかった。

 呪療師を呼ぶきっかけになったのが件の生徒とのこと。


「では、周囲がよそよそしくなっているのがその生徒なんですね」

「えぇ。でも、いじめが起きていないのは間違いないの。寮監とも協力してかなり注意してみていたから断言できます」


 荻部がその生徒について詳しく話せるほどだ。周囲の交友関係とその移り変わりまで知っているくらいだから、言葉通り注意していたのだろう。

 小晴は荻部に笑いかける。


「荻部先生のような方が教職に就いていらっしゃるのは、生徒にとって幸運ですね」

「あくまでお仕事ですよ」


 謙遜する荻部は教科書類を小晴に差し出す。


「引き続き、お願いします。こちらでも先ほど名前が挙がった三人の生徒を見ておきます」

「お願いします。授業に出ている間は調査も難しいので」


 とは言いつつ、ヤイチが小晴の代わりにあちこち走り回って調査を継続してくれている。

 教科書を受け取った小晴は授業を受ける教室へ向かった。


 潜入調査である以上は一生徒の振りをして授業を受けるのは仕方がないのだが、馴染めるか少し不安がある。

 そんな不安も、教室に入るなり楽しそうに談笑する同級生たちと、いち早く小晴に気付いて呼んでくれた初子のおかげですぐに消えた。


「小晴さん、こちらが席ですよ」


 初子が手で示したくれた席は窓際の最後列。

 その後ろにある棚には生徒が授業で活けた花が飾られている。春らしい色合いの立花は柔らかな弧を描いて左右へ広がりを見せ、新たな同級生である小晴を歓迎するかのよう。


「昨夜、薫さんが小晴さんのために活けたものですよ」


 道理で、面倒見の良さと優しさが見えるわけだ。


「薫さん、ありがとうございます」

「どういたしまして。と言いたいけれど、初子と一緒に花を摘んだんだ。明かりを持ってくれてね」

「そうだったんですか。初子さんも、ありがとうございます」

「いえいえ。今日は華道の授業もありますから、ご一緒しましょうね」


 どの授業で教科書のどの頁を習っているのかを教えてもらっているうちに担任が教室にやってきた。

 担任教師に促された小晴が軽く自己紹介をして、そのまま授業に移る。

 教科書を開いた小晴はそっと教室を見回した。


 現在のところ、黒い福寿草を初子が受け取ったことは知られていないようだ。昨晩の内に噂が出るかと思ったが、杞憂だったらしい。

 黒い福寿草を受け取ったと知られなければ、周囲の友人が遠ざかることもないとみていいかもしれない。受け取った時点で問答無用に周囲から人を遠ざける効果があった場合、気の毒な場面を見ることになると覚悟していた小晴は安堵する。


 旅を続けてきた小晴にとって授業そのものは新鮮ではあったが、内容は退屈だった。呪療師として旅をしていればおのずと様々な人と関わり、見聞きして知った事柄ばかりが黒板に書かれている。

 下手に内容まで目新しいとそちらに意識を奪われて呪療師の仕事が手につかない恐れもあるため、これでよかったのかもしれない。


 休み時間や授業時間を繰り返して昼になると、教室の空気がふわりと緩む。仲のいい友達と合流し、食堂へ向かう者や午後の授業の課題を相談する者、様々だ。

 ヤイチと合流して話を聞こうかと考えていると、初子が小晴の横に立った。


「小晴さんもお昼をご一緒にいかがですか?」


 初子の横に薫が並ぶ。


「校舎と寮で食堂の献立が少し違っていてね。おすすめは校舎の方だけど、人が多いんだ。静かに食べたいなら寮だね」


 薫が小晴の机に片手をついて、「どうする?」と笑いかける。

 どちらを選んでも付き合ってくれるのだろう。まだ友人がいない小晴が一人寂しくお昼を食べることにならないよう、気遣ってくれている。

 調査を優先したいところではある。けれど、初子の状況を見ておくのも調査の一環だ。一緒に食べる方がいい。


 仕事を言い訳にしつつせっかくできた同年代の知り合いを大切にしたい気持ちが優先し、小晴はヤイチに心の中で謝りつつ席を立つ。


「今朝は寮で食べましたから、おすすめの校舎食堂でお願いします」

「よしきた。では行こうか」


 薫が机から手を放す。動きに釣られて目を向けた小晴は些細な違和感に気付く。

 薫の付き手の位置が初子と小晴の中間点にあった。

 あまり気に留めず、小晴は初子と薫の後ろに誰かいないか覗き込む。二人だけのようだ。


「他の班員の方は?」

「午後に華道の授業があるでしょう。先生の手伝いで道具を運んでいます。私たちはお昼の後、中庭の花壇から花を用意するので、早く食べに行きましょう」


 役割を分担してお昼を食べる時間を確保したようだ。

 初子たちと三人並んで歩く。初子と薫は下級生にも人気があり、教室から顔を出して二人を見送る生徒もちらほら。

 背後からの押し殺した黄色い声に薫が困ったように笑う。


「ごめんね。騒がしくて」

「確か、エスと言うのでしたか?」

「姉妹ではないよ。花を贈られたことは何度かあるけれどね」


 下級生との姉妹の契り、エス。昔心中事件が起きたとかであまり大っぴらにはしないのが常だが、花を贈る風習があるくらいだから小晴も予想はしていた。

 薫が初子を見る。


「月に一回くらい花をもらっている誰かさんもいるからね」

「花瓶が足りません」

「だそうだよ。小晴さんも準備しておいた方がいいかも。ほら……」


 後ろの教室、と耳打ちされて、小晴はそっと後ろを窺い見る。

 目が合った眼鏡のお下げ髪の下級生が顔を赤らめて教室に引っ込んだ。

 薫が上品に笑う。


「綺麗どころを両手に歩くのは気分がいいね」

「あら、軟派」

「ごめんよ」


 初子にチクリと言われて、薫がすぐに平謝りした。


 食堂は寮のそれより幾分か広く作られていた。女学生だけが利用するためか、花が活けてあったり、花模様の皿などの備品に至るまで可愛らしい。

 ヤイチが嫌がりそうだ。


 食堂の奥に列ができている。手前で献立を選ぶと、奥で受け取れる仕組みらしい。

 献立は小鉢でいくつかの種類が選ぶようになっている。流れるように料理が乗ったお盆を受け取って小晴は初子が確保してくれた机に向かった。


「よくできた仕組みですね。色々なものが食べたいけれど量が多すぎるのはちょっと、と思っていましたけど、小鉢の大きさもちょうどいいです」

「五つ上の先輩方が掛け合ってくださったそうですよ」


 生徒発案だったのかと驚く小晴の前、初子の横の席に薫が座った。


「その先輩方は在校生に感謝され、卒業の折には寮の部屋から出られなかったそうだ」

「出られなかった?」

「部屋から出ようと扉を開けたら、花が敷き詰めてあって足の踏み場がなかったのさ」

「大袈裟ですよねぇ」


 聞けば新入生向けの定番の笑い話らしい。

 見慣れない小晴と校内でも有名な美人の初子や薫が机を囲んでいるのは目立つらしく、ちらほらと視線を感じる。初子たちはあえて気付かない振りしているようだ。

 初子の所作が綺麗なのは、こうしてずっと人目にさらされているからかもしれないと思いつつ、小晴も努めて丁寧に昼食を頂く。


 五色御飯に菜の花のおひたし、フキノトウ味噌が乗った小さなお豆腐、鴨肉の入った汁物。なかなか豪華だ。

 若者向けのせいか少し濃いめの味付けではあるが、それほど気にならない。


「薫さんのおすすめだけあって、美味しいですね。彩りも豊かです」

「そうだろうとも。寮の食堂も美味しいけれど少し色味が少なくてね」


 薫の言葉に、小晴は朝食を思い出す。色味が少ないのではなく、食堂の明るさが足りなかったのだと思われる。朝と夕の陽の強さの問題もあり、昼は距離が近く利用頻度も高くなる校舎側の食堂の方が色を強く認識できる環境が整っている。あとは窓がある方角の問題だ。

 などと小晴はひとしきり分析したが、薫たちには話さなかった。校舎側の食堂を利用中なのだから、水を差すのはためらわれる。


 談笑しつつ食事を終えて、食器類を返却した三人は食堂を後にする。そのまままっすぐに校舎を出て中庭へ向かった。


「足りない分は各自が取りに来るから、最低限でいいよ」

「虫には注意してくださいね。苦手な方も――小晴さん、虫は大丈夫ですか?」


 そういえば聞いてなかったと、初子が心配そうに聞いてくる。

 小晴は花壇にいるカマキリを横目に見つつ、頷いた。


「はい。虫もナメクジや蛇でも気にしません。この時期だとアブラムシも多いですね」

「蛇はたまに出ますけど、追い払えるのは薫さんくらいですから、助かります。すごく」

「毒の有無もわかりますので、見かけたら呼んでくださいね」


 全国津々浦々を旅してきたのもあり、蛇の見分けもつく。対処方法も心得ていた。

 そんな二人の会話を聞きながら、薫が一足先に花壇を棒で揺らして蛇がいないかを確かめている。


「二人とも、早く作業を進めよう」


 薫に急かされて、小晴は剪定鋏でいくつかの花を切っていく。花壇が寂しくならないよう、全体を見ながらの作業。山の上に位置する静柳女学院の中庭だけあって、トカゲなども走り回っている。

 青い花も欲しいと思い花壇を見回した時、傍らの花壇から声を掛けられた。


「いつまでも来ぬと思えば、こんなところにおったのか」


 ひょっこりと顔を出したヤイチが小晴を見上げる。

 近くに薫や初子がいるため、小晴はヤイチをちらりと見るにとどめた。ヤイチも心得たもので、反応を求めはしない。


「驚くな。少々厄介なことになった」

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