黒い福寿草・前編上

「人使いの荒い爺さんであるな」


 少女の肩に乗ったリスが文句を言う。よほど腹に据えかねているらしい。


「小晴よ。聞いておるのか?」


 ふわふわの尻尾で少女、小晴の頬を軽くはたき、リスは問う。

 小晴は通りを行きかう人々を眺めつつ、桜餅を手に取った。


「ヤイチは本当に五百福のお爺様を嫌いますね」


 ヤイチと呼ばれたリスは「当然だ」と鼻を鳴らす。


「あのような爺さんが斡旋した仕事なぞ、いまからでも断った方がよい」


 小晴は桜餅を一口食べて甘さに頬を緩ませる。


「そうはいきませんよ。五百福のお爺様にはお世話になっていますもの。それに、呪療師にはご年配の方が多いですから、このお仕事は私以外にできないというのも事実でしょう」

「世話になっている? 便利に使われているだけであろうよ。二十歳にも満たぬ娘を若いからと全国津々浦々へ派遣しおって――」

「お茶の美味しい日和ですねぇ」

「聞け」


 ぺしぺしと小晴の頬をはたくヤイチはあからさまに不機嫌な空気を出している。

 しかし、意に介さず桜餅とお茶を味わう小晴には何を言っても無駄だと諦めたらしい。膨らませていた頬袋からふしゅぅと空気を抜いて、話を変えた。


「甘味処が多い通りであるな」

「これから行く女学院の生徒を当て込んでいるのでしょうね」


 静柳女学院。全寮制の女学校だ。元号が大正に代わって五年が経った今、女学校自体はそれほど珍しいものではないが、全寮制というのは少し珍しい。


「どのような呪いなのだ?」


 ヤイチの質問に小晴は首をかしげる。黒い長髪が被さってくるのを、ヤイチが鬱陶しそうに尻尾で払った。


「わからぬのか?」

「呪療師なら、現場で見極めるものだと言って、教えてくれませんでしたから」

「あの爺め。やはりあ奴の仕事は断るべきだ」

「お勘定をお願いします」

「聞け」


 ヤイチに頬をはたかれながら待っていると、店員の女性がやってくる。


「三銭です」


 小晴が青銅貨を三枚渡すと店員は「確かに受け取りました」と定型句を口にした。

 振り分け荷物を手に取って席を立つ小晴に店員が惚れ惚れとした顔を向ける。


「お綺麗ですねぇ。その眼の色、異国の血ですか?」


 店員の指摘通り、小晴は日本人ではまず見ない美しい青の瞳をしている。

 小晴は首を横に振った。


「この目は事故で色が変わってしまいました。でも、気に入っているんですけどね」


 自分の青い目を指さして、小晴は愛想よく笑う。

 事故と聞いて一瞬気まずそうだった店員はほっとしたように小さく笑い返した。

 振り分け荷物を担いだ小晴はちょうどいい機会だと思い、店員に道を尋ねる。


「静柳女学院に行きたいのですが、道を教えていただけませんか?」

「方向音痴めが」


 肩の上でヤイチがボソッと呟いた。

 店員は店の外まで小晴を見送り、道の先を指さす。


「そこの辻を右へ曲がって行くと川があるから、それに沿って上流へ――」


 道を教えてくれた店員に礼を言い、小晴は店を後にした。

 店が並ぶ通りを抜けて辻を曲がれば、すぐに川が見えてくる。さほど幅のない川で少々流れが急だった。

 上流へ目を向ければ緩い上り坂が伸びている。薄桃色のツツジの花が咲いた一角にモンシロチョウが飛んでいた。


 全国を旅していた小晴には苦もない坂道も、この先にある静柳女学院の生徒にとっては体力的に苦しいものだろう。全寮制なのはこの立地も関係しているのかもしれない。

 坂の中腹で甘味処のある通りを見下ろしてみる。上から見ると短い通りだ。静柳女学院の生徒を当て込んでいるといっても、客数そのものが多くないためいまいち栄えることができずにいるようだ。

 川のせせらぎを聞きながら坂を上り切ると大きな門があった。静柳女学院と大書された表札が掲げられているその横に通用口と警備員の姿がある。


「こんにちは。いま、お時間よろしいでしょうか?」


 警備員に声をかけると、新聞から顔を上げてくれた。

 小晴を見ると警備員は慌てて立ち上がった。


「あぁ、すみません。めったに人が来ないもんですから。荻部先生から話は聞いております。念のため、お名前を頂戴してもよろしいですか?」

「清藤小晴と申します」

「はい、清藤さん。藤といえば、当学院の藤棚は今が見ごろですよ。たまに生徒が持って行ってしまうと荻部先生が嘆いていました」

「そうなんですか。私も持っていかれないように気を付けませんと」

「ははっ。噺家みたいな返しをしますね。でも、持って行かれた方が仲良くなれるかもしれませんよ。友達は多い方がいいもんです。中へどうぞ」


 通用口を開けてくれた警備員が校舎を指さす。


「職員室は一階にあります。そこで荻部先生が待っています」

「ありがとうございます。お仕事、頑張ってください」


 警備員と別れて校舎へ向かう。校舎の端にちらりと立派な藤棚と花壇が見えた。中庭に洋風の東屋があるらしい。

 端の方を見ただけでも楽しそうな庭と分かる。春のいまならさぞ目に嬉しい光景だろう。

 校舎の入り口の引き戸を開けると、土足厳禁と書かれた看板が目に入った。独特のにおいに顔をしかめたヤイチが小さな両手で顔を拭う。


「妙ちくりんな臭いであるな」

「人の多い場所ですからね。おや、珍しい。リノリウム床ですね」


 実物を見るのは初めてだと、小晴は校舎の床をまじまじと観察する。

 独特の光沢をもつ床材だ。西洋から入ってきたと聞くが、実物を見ても材料が良く分からない。

 跡がついたりしないだろうかと心配しつつ、小晴は校舎に入った。


 小晴が入り口の引き戸を開けた音を聞きつけたのか、すぐそこで引き戸が開くカラカラという音が聞こえてくる。

 廊下に出て音の方向に顔を向ければ、早足にやってくる三十半ばの女性の姿が見える。

 女性の右目の下に泣きボクロを見つけて、小晴は見当をつけた。


「荻部久子さんでしょうか?」

「えぇ。お待たせしました。荻部久子です。清藤小晴さんですよね? どうぞ、こちらへ」


 そう言うと、荻部は来た道を引き返すように職員室を手で示し、率先して歩き出す。

 慣れない床の感触を興味深く思う間もなく、職員室に到着した荻部が引き戸を開ける。中からは穏やかな木の香りがした。

 机や椅子はもちろん、床まで木だからだろう。


「ここの床はリノリウムではないんですね」


 木の下に敷いてあるのかと思い、小晴は軽くつま先で床の反発を調べてみる。やはり、何の変哲もない木の床だ。

 リノリウムと聞いて一瞬首を傾げた荻部だったが、すぐに廊下の床に視線を映して気付いたらしい。


「あの床は輸入したものですから。それに、長く過ごす場所は慣れ親しんだ材質の物がいいだろうと校長が決めたそうです」

「そうでしたか。その校長はどちらに?」

「一昨日から東京へ出ています。汽車に乗るそうで、年甲斐もなくはしゃいでいましたよ」


 はしゃぐ校長を思い出したようで、荻部は笑う。

 青い座布団が置かれた椅子に座った荻部が、隣の椅子を小晴に勧める。

 遠慮なく椅子に座り、小晴は切り出した。


「改めまして、呪療師の清藤小晴と申します。呪いについて詳細をお伺いする前に、我々呪療師についてどこまでご存じでしょうか?」


 小晴の質問に、荻部は申し訳なさそうに目を伏せる。


「すみません。校長から呪療師の方がいらっしゃると聞いているだけで、お仕事の内容までは分かりません。呪いを解決してくれる方だとしか」

「あまり一般的な仕事ではありませんからね。呪い自体、信じない方も多いですから。ただ、一つだけ補足させてください」


 呪いを解くだけではないのかと、荻部が真剣な顔で続きを促す。


「なんでしょうか?」

「呪療師は、誰が呪ったかは調べません。なぜ呪ったかを調べ、それを解消するのを生業としています」

「えっ、犯人を調べないんですか?」


 キョトンとした顔で荻部が問い返す。

 呪いを事件とみるならば、犯人を捕まえてしまった方が手っ取り早い。しかし、呪いは事件ではなく事象だ。


「そもそも、呪いを掛けたのが人だとは限りません。犬猫といった動物から、山や川といった自然物まであらゆるモノが呪いを掛けられます。これが理由の一つ目です」

「山を捕まえるのは無理ですものね」


 自然物まで感情を持っているかのような小晴の説明をすんなり受け入れて、荻部が頷く。

 この辺りの説明が難しいのが呪療師の悩みなのだが、荻部が柔軟な考えの持ち主で助かった。

 小晴はもう一つの理由に話を移す。


「もう一つは、なぜ呪ったかを解決しないと別の誰かが呪いかねないからです。恨みを買うような行動をする人が呪われたとして、行動を改めないと別の恨みを買ってしまい、際限なく呪われ続けます」

「あぁ、それは分かりやすいですね」


 同意を得られやすいのはこちらの理由の方だ。荻部も疑問を挟まず同意してくれた。

 その時、荻部が何かに気付いた。


「もしかして、解呪師などではなく呪療師なのは、呪いではなく人の方に働きかけるからですか?」

「えぇ、その通りです。やはり教職に就く方は頭の回転が速いですね」


 呪いを解くのではなく、治療する。解呪するというと依頼人は行動を改めるよりも呪いを解けと抵抗しやすい。治療するという名目があれば、依頼人も渋々ながら従ってくれる。

 小晴は少し困ったように笑って見せる。


「ですから、呪療師にはお坊様や尼様が多いんです。説法混じりの方が説得力が生まれますから、行動を改めてもらいやすくもなります。ただ、ご年配の呪療師ばかりという弊害もあり、この度の依頼には私が参りました」

「女学院でのお仕事ですものねぇ。こちらこそ、無理を言ったようで申し訳ないです」


 お互いに頭を下げてから、小晴は本題に入る。


「では、具体的に呪いの詳細を教えてください」

「それなんですけど……」


 荻部が言いよどむ。言い難いというよりも、どこから話していいかが分からない様子だ。

 小晴は急かさず荻部の言葉を待つ。

 小晴ののんびりした姿勢に安心したのか、荻部は続けた。


「実は、数年前から学生寮で呪いが起きているようなんです。ただ、生徒たちは大人に隠していて、私たち教師陣や寮監が知ったのは今年に入ってからです」

「数年前から、ですか?」


 長期間にわたる呪いもないわけではない。だが、問題なのは学生寮で起きていること。

 数年で顔ぶれが入れ替わる学生寮で継続的な呪いが発生しているのが興味深い。個人に由来するものではないのだろう。

 大人には話してくれないというのはありがちな話なものの、今回は学生寮の呪いだ。生徒として潜り込める年齢の小晴にこの仕事が斡旋された事情が見えた。


 小晴の肩でヤイチが面白くなさそうに尻尾を振り回す。小晴にしか頼めない事情があると分かったため、仕事を振ってきた五百福に文句がつけられなくなってしまった。

 荻部の話は続く。


「最初に気付いたのは私と寮監です。生徒の一部が突然他の生徒から距離を置かれるようになりました。いじめかと思い注意してみていたのですが、危害を加えられている様子もないですし、友人関係も続いているようです。教師の立場で深く関わろうとすると、生徒たちの友人関係に圧力をかけてしまいますから、慎重に様子を見る形になりました」

「子供の喧嘩に親が出るとこじれますからね。親元を離れて寮生活をする個々の生徒にとっては、教師の方の過干渉はこじれる原因になりますか」

「はい。ご理解いただけて嬉しいです」


 力なく笑い、荻部は机の引き出しを開けて書類を取り出す。


「生徒たちの話をそれとなく聞いていますと、寮の部屋の前に黒い福寿草の花が置かれているそうです。それ以上は分かりません」


 福寿草といえば黄色い花だ。黒い福寿草は見たことも聞いたこともない。それが呪療師を呼んだ決め手だという。

 荻部が書類を小晴に差し出した。


「転入生として入寮し、起きている呪いについての調査と解決をお願いします。最高学年として授業も受けられるようにしてあります。もうそろそろ、案内をしてくれる生徒が来るはずなんですけど――」


 荻部が職員室の扉を見たちょうどその時、音もなく扉が開かれて一人の生徒が入ってきた。

 浅黄色のリボンで髪を結った十五歳ほどの少女だ。クチナシ色の着物にえんじ色の行燈袴を着て顔に派手さはない。しかし、その洗練された所作からくる気品が美しさとなって少女の姿を際立たせる。

 小晴の肩でヤイチが立ち上がり、感嘆する。


「美しさを具現せず体現するか。尊敬すべき娘であるな」


 したり顔で宣う肩のリスを無視して、小晴は椅子から立ち上がり、荻部と少女の視線が通るように立ち位置を変える。

 小晴が紹介してほしいと目で訴えると、荻部が頷いて立ち上がった。


「呼び出してしまってごめんなさい。こちら、編入生の清藤小晴さん。寮を案内してあげてほしいの」


 荻部が少女に小晴を紹介する。

 小晴は少女へ深々と頭を下げた。肩から滑り落ちたヤイチが空中で体を捻って木の床に着地し、抗議の意を込めて見上げてくる。


「ご紹介にあずかりました。編入生の清藤小晴です」

「初めまして。篠野瀬初子と申します。清藤さん、学友になるのですから、そう畏まらず仲良くしてください」


 声は凛として聞き取りやすく、それでいて物腰は柔らかい。荻部が案内役として紹介するだけあって、とても頼りになりそうな生徒だ。

 しかし、小晴は転入生として寮に入ることになっている。偽装している以上、呪いについて調査していることをこの生徒も知らないのだろう。確認の意を込めて荻部を見るも、小さく首を横に振られた。やはり、小晴が呪療師であることは伏せられているらしい。


「荷物はその振り分け荷物だけかしら?」

「えぇ、必要なものは後で買いそろえようかと。寮に備品もあるそうですから」

「では、購買部も紹介しましょう。それに、当校自慢の藤棚も」


 しとやかに微笑んで、篠野瀬は小晴の手を取った。足元から駆けあがってきたヤイチが小晴の肩に掴まり、しげしげと篠野瀬の手を見る。

 小晴は篠野瀬に手を引かれるまま、職員室を出た。

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