火を噴く子・後編

 村の子供たちが集められ、念太一家を先頭に村を出発した。

 畑仕事の手伝いから解放されて遠出の蛍狩りとあって、子供たちは元気一杯だ。働き手を出す村の大人たちも、また蛍が見られるならと了解してくれた。

 原因を解消しなければ、念太にかかっている呪いが流行り病のように村全体に及ばないとも限らないと、小晴が説得したのが大きいだろう。

 けほっと火花を吐いた念太を見て、幼馴染が口笛を吹く。


「火を噴くなんてかっこいいじゃん。そのままでいいんじゃないか?」

「冬が来たらどうするんだよ。山火事になりかねないだろ」


 そうでなくても、庭で寝ることを余儀なくされている念太にとっては、雨が降るだけで困りごと。

 そう話しても、幼馴染の反応は暢気なものだった。


「ま、念太のおかげで一泊二日の蛍狩りに行けるんだから、みんな感謝してるよ」

「人の気も知らないで……けほん」


 念太から飛び出した火花を幼馴染はふっと息を吹きかけて飛ばす。

 村を出てから何度か見ているだけあって、驚く様子もない。


「ところでさ、あの小晴ってお姉さん、すごく可愛いよな」

「ちょっと意地悪なところはあるけどな」


 拳骨をもらったのは自業自得だが、念太はちょっと恨めしそうに小晴を睨む。視線に気付いたのか、小晴が肩越しに振り返った。

 念太の両親と並んで歩いていた小晴が速度を落とし、念太のそばにやってくる。怖気づいた幼馴染が少し距離を取った。


「意地悪なところはあるけどな、ですか。可愛いのは否定しないんですね?」

「……この蝉時雨の中で、よく聞こえたね」


 なんて地獄耳、とは言葉を呑み込む。

 小晴はにこりと笑い、人差し指を立ててトンボの目でも回すように念太の前でくるくる回す。


「聞き耳を立てていましたから。意地悪するためではなく、念太君のためですよ?」


 とんと念太の額を人差し指でついて、小晴は距離を取っている幼馴染に笑顔を向ける。


「もし、蛍が原因ではなかったときのために、皆さんの会話になにか手掛かりがないか探っています。何気ない会話に呪いの手がかりがあることは多いですから」

「みんなって、後ろの子たちの話も?」


 念太は後ろを見る。村からかき集めた子供たちは七人。念太と幼馴染を含めた数だが、二人か三人で固まってそれぞれに会話している。それぞれの会話の内容まで把握するのは難しい。


「ふふっ、少しズルをしていますから」


 人差し指を口の前で立てて、小晴は小さく笑う。

 どんなズルをしているかは秘密らしい。


「そろそろ蛍がいる川に着きますね。時間もちょうどいいです」


 両親の元へ戻っていく小晴を見送って、念太は幼馴染と共に空を見上げる。

 もうじき日没。蛍が飛び始める時間帯だ。


 普段から畑仕事を手伝ったり山野を駆け回っている子供たちだけあって、川が見えてくるとわっと駆け出していく。

 虫取り網を担いで川辺に駆け寄り、きょろきょろと辺りを見回す子供たちを念太の両親や付き添い役を買って出た数人の大人が見守り始めた。


 時間が早いからか、まだ蛍は数えるほどしか飛んでいない。

 カナカナと夜を呼ぶひぐらしの鳴き声に耳を澄ませながら、念太も虫取り網を構えた。自分のことだけあって、気構えは他の子に負けていない。


 だが、蛍が飛んでいないのでは仕方がない。茂みを適当に揺らしてみようかと思った矢先、念太は咳をした。

 ふわりと火の粉が舞い上がる。道中で慣れてしまって、小晴を除いて誰一人目も向けない。

 しかし、火の粉が舞い上がると同時に、そこら中から柔らかな光が空へと飛び立った。


「うわっ」


 驚いて尻もちをついた子を笑うこともできないほど、誰もが唖然と火の粉を見上げる。飛び立った柔らかな光が引き寄せられるように火の粉へと向かっていく。

 ただ一人、驚く様子のない小晴が念太から虫取り網をするりと掠め取った。


「これは楽ですね」


 いうや否や、小晴が虫取り網を振りかぶる。

 風情も何も台無しにする振り下ろしで、火の粉に群がる蛍を文字通りに一網打尽。

 さっさと虫取り籠に蛍を入れて、小晴は虫取り網を念太に返した。

 小晴が提げた輝く虫取り籠を見て我に返った子供たちが、一斉に気合を入れなおして蛍狩りを再開する。

 念太は小晴を見た。


「いま、火の粉に蛍が集まったよね?」

「オスばかりでしたけどね」


 小晴が念太の目線の高さに虫取り籠を持ち上げる。大きめの籠の中には二十数匹の蛍が羽を休めているが、どれも光を放っていた。


「蛍を見たいと言って、メスのホタルを思い浮かべる人はあまりいません。ホタル見たさに発生した呪いの火の粉に光るオスのホタルが集まるのは、当然の流れでしょう」


 呪いは目的に対する手段ということらしい。

 納得すると同時に念太は咳をする。

 すっと、小晴が距離を取った。少し憐れむような眼をしている。

 小晴の眼の理由はすぐにわかった。


 火の粉の出所である念太の口へ、蛍が飛んでくる。

 思わずのけぞった念太は無理な動きで肺が驚いたか、再び咳をした。

 どんどん蛍が念太にたかってくる。これを見越して、小晴は距離を置いたのだろう。


 蛍狩りに来た子供たちが、蛍を引き寄せる念太を放っておくはずもない。

 蛍に続けとばかりに念太は子供たちにもたかられてしまう。

 囲炉裏の火にでもなった気分だった。


 念太の活躍もあって蛍狩りは大成功をおさめ、仮眠をとってから村へ引き返す。

 夜道を怖がる子もいるはずだが、人数と手元の虫籠の光が勇気づけるのか、皆の足取りが軽い。蛍狩りが楽しかったと口々に話している。


 提灯を提げる大人の後をついて歩きながら、念太は咳をした。

 虫籠を覗き込んでいた幼馴染が念太の咳に気付く。


「なんか、咳の間隔が長くなってないか?」

「そういえば、川を離れてから大分経つのに、いまのが初めてだ」


 呪いの影響が弱くなってきたのかもしれない。

 咳の間隔を測りながら村に帰り着いたころには昼になっていた。

 村の畑に大人の姿はまばらで、木陰で休んでいる様子もない。珍しいこともあるものだと、子供たちで顔を見合わせる。


「はい、夜まで解散。帰ったらしっかり寝ておけよ。今晩は久々の蛍見物だから、大人たちがいろいろ用意しているぞ」


 畑仕事を早々に切り上げていたのはこれが理由らしい。お祭りの準備のようなものだ。

 一晩歩いてきたとは思えない元気の良さで子供たちが各々の家へ走っていく。早く寝ないと夜の蛍見物を目一杯楽しめないから。

 もっとも、子供たちの目当ては蛍ではなく振る舞われるお菓子や甘酒の方。


 両親がこの場にそろっている念太は最後まで残って幼馴染たちを見送り、小晴に話しかける。


「すぐに蛍を放しに池へ行くのかと思ったよ」

「足の悪い方もいますから、一度家で蛍を楽しんでもらいましょう」


 蛍が見られなくなったのが呪いの原因なら、池に蛍を放しても見られない場合は呪いの解消につながらない。


「後は夜を待つだけです」

「晴れるといいんだけど」

「晴れますよ」


 念太が空を仰ぐと、小晴は当然とばかりに言い切った。


「蛍を見たい人が多いようですから」


 畑にまばらだった大人たちが子供の持ってきた虫籠を覗き込んで一緒に帰っていくのを見て小晴が笑う。

 念太が火花を吐くようになったくらいだ。今晩、雨を遠ざけることもできるだろう。



 予想通りというべきか、夜空に雨雲一つなく、星々が瞬いている。それでも、今日ばかりは満天の星空を見上げる人はいない。誰もが池の周りを飛び交う光を眺めながら思い思いの時間を過ごしていた。

 団子を食べる子。酒盛りをする大人たち。少し離れた場所では近所のお兄さんとお姉さんが蛍を指さし笑っている。


 いつの間にか、両親の姿も見当たらない。監視がないのをいいことに、念太はそっと池を離れた。

 けほんと一つ咳をするだけで蛍に集られてしまうなら、離れた方が村のお祭り騒ぎに水を差さないで済む。今夜の主役は蛍なんだから。


 どこか落ち着ける場所はなかったかと、池を遠巻きにぐるりと回っていると、池に流れ込む小川に小晴を見つけた。

 やはり絵になる美しさだと、念太は思わず足を止めて見惚れてしまう。

 どこからか聞こえてきたカエルの鳴き声で我に返った念太は小晴に歩み寄る。


「大人たちと一緒にお酒でも飲んでると思った」

「そうはいきませんよ。蛍を村のみんなと見たい、という思いからきた呪いだとしたら、よそ者の私がいるとよくありません」

「そんな自分を厄介者みたいに……」

「それに、お酒は村を出るときに報酬としていただきます」

「なんだよ、ちゃっかりしてら」


 笑いつつ、流れる小川を眺める。せせらぎと揺れる水面に反射する月明かり。

 池から飛んできたはぐれモノのホタルが川の中央で水を割る大石に止まって光を放っている。

 その時、大石の上にのそっと大きな影が這い上がった。


「あっ……」


 思わず念太はつぶやく。

 這い上がったのは大きな蛙だった。念太が今まで見てきたどの蛙よりも二回りは大きい。

 横一文字の瞳を蛍に向けて、蛙は鳴きもせず佇んでいる。蛍の方は何も脅威を感じていないのか、飛び立つ気配もない。

 食べられてしまわないかとハラハラしてしまう。心配する念太に小晴が小声で話しかけた。


「蛍は毒がありますから、蛙が食べたりしませんよ」

「そうなの?」

「えぇ。それに――」


 なにかを言いかけた小晴だったが、池の方から念太たちを呼ぶ声が聞こえてきた。

 そろそろ村に帰るらしい。

 小晴が念太の背中を押す。


「帰りましょう。咳も治まったようですし」


 言われてみれば、蛍見物が始まったあたりから咳が出ていない。

 池を離れる必要もなかったかな、と念太が苦笑した時、大石の上の蛙から視線を感じた。

 感情の分からない蛙の眼が念太から蛍へと移る。

 けこっと、咳にも似た鳴き声を上げて、蛙は川に飛び込んだ。


「……感謝されたような気がする」

「風流な蛙ですね」


 特に気にした様子もなく池へと歩き出す小晴の横顔を窺う。

 振り返れば、小晴と初めて出会ったのもこのあたりだ。


「最初からあの蛙が呪ったって知ってたの?」

「誰が呪ったかより、何故呪ったかが重要なんですよ」


 はぐらかす小晴に念太はため息をつく。呪いにかかわるのは今回が初めての念太も小晴の意見が正しいと分かったから。

 池を飛び交う無数の淡い光と朧気に照らされる澄んだ池。なにより、楽しかった、綺麗だったと口々に言い、笑い合う村のみんなが証明している。

 念太も含めて、また来年も蛍見物がしたいのだと。

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