第51話 合宿と引退と新たな戦い

 投資甲子園が終わり、今年度の上下高校投資部の大きな活動は、一段落ついた。


 イロハは週末がくるのが楽しみだった。


 部活の合宿なんて、とても貴重な経験だ。


 その一方で、これでカリンも引退なのだと思うと、どうにもさみしい気持ちにならざるを得なかった。


 ただ、そんな気持ちも吹き飛ばすような状況になってしまった。


 テレビをつけると、連日、象勢左下内ぞうぜいさげない秘書の暴行事件が取り上げられていたのだ。


 さすがに、現行犯で、証拠の映像まであることで、もはやもみ消すこともできなくなったようだ。


 父の象勢揚郎あげろう議員も、暴行罪で逮捕された息子を秘書にしていたことで、責任が追及されている。


 さらに、象勢左下内が暴行事件を起こした上下高校には、今をときめくアイドル歌手、キラキラスパロウが在籍しているということで、暴行されたのは、キラキラスパロウではないかという憶測が、ネットを賑わせていた。


 こうしたことからも、世間の注目は一気に高まったのだった。


 学校には、毎日マスコミが押しかけていた。


 勤労感謝の日の、一斉メールで、翌24日と25日の木曜と金曜日は、上下じょうげ高校は臨時休校にせざるを得ない状態になってしまったという案内がきた。


 そして、24日。


 夢うつつの状態で、何やらかすかに音が聞こえる……。


「うーん……着信!!」


 イロハは、スマホの着信に飛び起きた。


「もしもし?」


「あ、イロハ!」


 相手は、カリンだった。


「ちょっと、テレビつけられる?」


 カリンは、なんだかあわてている。


 イロハは、まだ眠い目をこすりながら、二階の部屋から居間におりて、テレビを付ける。


「!!」


 そこには、これまでまったくといっていいほど、取り上げられてこなかった、イロハの両親が象勢揚郎によって殺害されたというニュースが報じられていた。


「な、なんで……」


 道路上に血痕のついた様子、車の中にも、血痕が残っている様子が映し出されていた。


 そう、今は廃車となってしまったが、たくさんの想いでの詰まった車……。


「イロハのところに、何か連絡あった?」


 スマホの向こう側でカリンが、まだあわてている。


「いいえ……」


 テレビの報道では、早くも被害者の氏名が公表されていた。


そう、イロハの父と母の名前だ。


「象勢容疑者は、暴行事件の取り調べ中、過去に起こした自動車事故が故意のものであった疑いで再逮捕されました……」


 テレビでは、イロハも予想していなかった展開を報じている。


「再逮捕……」


 それは、突然のことだった。


 いまだに、この事件は、刑事事件として取り上げるべきかどうか定かではなく、刑事裁判が起こされていなかった。


 そのため、イロハの方も、民事裁判に踏み切れないでいたのだ。


「イ、イロハよ!!」


 テレビの前で、何が何なのか分からない状態だったところへ、花子が二階から駆け下りてきた。


「そ、外を見てみよ!!」


「えっ!?」


「カーテンの隙間から、そーっとじゃぞ」


 イロハは、カーテンの隙間から外を見てみた。


「!!!」


 そこには、長い線のようなアンテナや、丸いアンテナをいくつも立てたワゴンが、何台も止まっている。


 そして、大型のカメラを持った人が大勢集まっている。


 そして、マイクを持った人は、ジーパン姿でヘッドフォンをつけた人に、あわただしく書類を渡され、赤ペンで丸をつけたり線を引いたりしている。


 そんな集団が、何組も……。


 そんなところへ、大声で、


「そろそろ代表訪問者決めましょう! 今回は、ぶっ壊すテレビさんの方でインターホン鳴らしてくださーい!!」


 などと言っている人がいた。


「まずいぞイロハよ!」


「まずいけど……ど、どうすれば!!」


 イロハは、スマホでカリンと通話中だったことを思い出した。


「カ、カリン先輩、どうしましょう!!」


 すると、


「イロハちゃん? アヤノだよ」


「ア、アヤノ先輩!?」


 通話相手は、カリンからアヤノにかわっていた。


「外に、スズメがいるの、見えない?」


「えっ!!」


 イロハが目を凝らす。


「おっ、あそこにスズメがおるぞ」


 花子がスズメを見つけたようで、指をさす。


 たしかに、スズメだ。


 さすが芸能人のカモフラージュと言ったところで、眼鏡にニット帽をかむり、カジュアルな服装だ。


 でも、やはりどことなく、有名人のオーラを感じる。


 有名人のオーラは出しているものの、今のマスコミは、それどころではないのだろう。


 国民的アイドル歌手が立っているのに、まったく気づいてはいない。


「8時ちょうどに、スズメが報道陣の注意を引いてくれるから、イロハちゃんはそのすきに、カリン先輩の家にこられる?」


 時計をみると、すでに7時55分をすぎている。


「急いで、イロハちゃん!!」


 もう、そうするしかなさそうだ。


 報道陣に質問されても、何を答えて良いのやら。


「は、ハナちゃん!!」


「うむ!」


 二人は、急いでパジャマから、着替えた。


 早着替えもいいとこだった。


 窓の外で、急に、ガヤガヤとした声が上がった。


「イロハよ、どうやらスズメが気を逸らしてくれているようじゃ」


「うん、急ごう!!」


 イロハと花子は急いで家を出て、一気にカリンの家へと駆け抜けた。


「あっ、あの人が楠木さん!?」


「ええっ、どういうこと? あっちに取材すればいいのよね!?」


 報道陣が混乱しているのをなんとか捲いて、カリンの家の前まできた。


「イロハー!!」


 カリンとアヤノが手を振っている。


 イロハと花子は、そのまま駆け足で、コーヒー店の中へと逃げ込んだ。


 起きてすぐの全力疾走は、こたえた。


「いったい、なんだったんですか、あれ……」


「うむ、象勢が一気に悪者という世論が立ったからの……マスコミの飛びつきというのは、すさまじいのぉ……」


 近くの椅子にヘタヘタと座ると、カリンがオレンジジュースやパンを出してくれた。




 カリンの部屋にうつって、朝のワイドショーを見る。


「どこのチャンネルも、象勢のことばかり……」


「ちょっとカリン先輩、あんまりあちこちチャンネルかえないでくださいよ」


 ワイドショーは、象勢が、安易に息子を議員にしたこと。その息子が上下高校の女子高生に暴行をはたらき、性的な行為に及ぼうとしていたこと。さらに、煽り運転の末に、その運転手と妻を殺害したこと、などが報道されていた。


「イロハちゃん、だいじょうぶ? テレビ、消そうか?」


 アヤノが心配そうに言うが、


「いいえ、わたしも、少しでも情報を収集したいですし」


 たしかに、何度も同じ映像の使いまわしで、血痕のついた道路や車の動画が出るのは、見ていて気持ち悪かったが、コメンテーターの意見も大いに気になった。


 すでに、キラキラスパロウとは関係のなかったことが報じられていた。


 その一方で、象勢が事故を起こしたこと、その生き残りの娘が上下高校に通っており、象勢が暴行し、性交に及ぼうとしていたのは、その人物だ、ということまでが報道されていた。


「情報、早いですね……」


「うむ、しかし、こうしてみてみると、なんともウケはいい事件じゃの。視聴率取れそうじゃ」


 花子が言うと、アヤノもカリンも花子を睨んだ。


 しかし、イロハは、アハハ、と笑ってしまった。


 あまり心配されるよりも、客観的に言ってくれるのは、なんだかありがたい。


「イロハ、ちょっといいにくいことなんだけどさ……」


 スマホをいじっていたカリンが言う。


「SNSで、憶測がもう飛び交っていてさ。イロハの悪口書き込んでいる人も多いんだ……イロハから迫った、なんて書いている人もいる……」


「もしかしたら、顔写真が出ちゃうのも、時間の問題なのかもしれませんね……」


 アヤノも心配そうに言う。


 でも、イロハは、それが、そこまで怖ろしい気はしなかった。


「それは、時間がたてば、真実が明らかになることです。カリン先輩も、アヤノ先輩も、ハナちゃんも、こうして心配してくれています。それだけで、わたしは大丈夫です」


 イロハが言うと、三人は笑顔を返してくれた。


「でも、これじゃあ、わたしは週末の合宿は難しそうですね。えーと、カリン先輩とアヤノ先輩、そしてハナちゃんで行ってきてください」


 せっかくの、カリンの引退も兼ねた最後のイベントに、イロハが参加することはできなそうだ。


 もし、マスコミに追いかけられたり、SNSで写真が出回れば、あちこちで、何がおこるか分からない。


「それはダメだよ、イロハ。イロハを合わせて、投資部なんだから。それに、合宿ならできるじゃん」


「えっ?」


「イロハはしばらく、ここに泊まるんだよ」


「ええ~!」


 イロハは驚いた。でも、たしかにカリンの言うことは、もっともだ。


「そうだよ、イロハちゃん。しばらくは、自宅に戻らない方がいいよ」


「あの……ありがとう、ございます」


 イロハが、なんだかうれしい気持ちになった矢先、カリンの父親が部屋に入ってきた。


「えーと、三浦みうらミサキさんという人がきているんだが、入れてもいいのかな?」


「ええ!!」


 みんなは、驚いてしまった。




 ミサキのほかに、コウとスウコまできていて、みんなが入るとカリンの部屋は満員になった。


 さすがに、店のスペースでは、マスコミが休憩に入ってきた時、イロハと鉢合わせる可能性があるので、そこで話はできなかった。


 カリンが、みんなの分のコーヒーを淹れた大きな入れ物をもって、みんなの前にマグカップを置く。


「あはは……なんだか、賑やかになっちゃったなぁ。いつぶりかな、うちがこんなに賑やかになったの」


「ええ? こんなお店に、人がたくさん入ることがおありになって?」


 ミサキがニヤニヤしながら言う。


「いや、お客はそんなにこないんだけどさ。昔、お母さんが亡くなった時以来かなってさ」


「あっ、えっ、カリン、お母さまがお亡くなりになっているのね。ごめんなさい。そういうつもりで言ったのではなくって」


 急にミサキがあたふたする。


「ああ、いや、ずっと昔のことで、もう嫌な思い出とかではないから。気にしないで。それに、こんなにたくさんが入ったから、ちょっとうれしいんだ」


 そういわれたミサキは、ほっとしたように、ふう、と息を吐いた。


 次いで、コウがイロハに、


「それにしても、今回はたいへんなことになったね。ミサキ先輩が、朝から、これはお見舞いに行かないとって言ってきかないものだから。さすがにバタバタだからやめましょうって言ったんだけど、聞かなくて。ミサキ先輩、あの後も、イロハちゃんのこととても心配してたんだよ」


「なっ、ちょっと、コウさんっ!」


 ミサキは、顔を真っ赤にしたので、みんなはアハハ、と笑った。


「でも、イロハちゃん」


 今度は、スウコが言う。


「いまは誹謗中傷が飛び交っていてたいへんだと思うけど、なんとか堪えてね。収まってきたら、油根ゆねデータサービスの力で、中傷した人たちをことごとく探し出してやるんだからぁ~」


 なんだか、スウコを怒らせると、怖いのだな、とイロハは思った。


 みんなのマグカップにコーヒーが入ったので、それぞれチビチビと飲む。


「あ、これ、おいしいですわね。カリンが淹れましたの?」


「うん。豆にはこだわってるんだよ。お父さん昔、アフリカや南米に直接行ってたし。それに、ブレンドの配分も、相当試しているんだ。直接買い付けていて、普通は出回らない豆を少し入れてるのがミソかな。うちのこだわりの一杯ってやつだよ」


「これ、いいですわ! ねえ、うちのホテルで出してみませんこと? 夕食のデザートと一緒に出すと、きっと喜ばれる味だと思いますわ!」


「またまたぁ~。からかって。高級ホテルで出すほどのものじゃないよ」


「いいえ。こと商売に関しては、からかいなどしませんわ。ダメならけなしてますもの」


「ううっ、けなすって」


「お父様に伝えておいてもよいかしら」


「うん、それは別にいいけど」


 そんな話の中で、コウは、


「デザートなら……」


 と、菓子折りを差し出した。


「このお菓子も、コーヒーに合うと思いますよ」


 コウの家の老舗菓子店のお菓子も、カリンのブレンドコーヒーとよくあう。


 なんだか、みんなのやりとりを見ていると、うれしくなってくる。


「イロハよ、笑っておるのかの?」


「ハナちゃん。うん、なんだか、楽しくて」


 楽しくて、というと、みんなが不思議そうにイロハの顔を見た。


「あ、えーと、たしかに、突然報道されて、困惑はしてるんです。血痕のついた車の動画を見ると、悲しい気もします。でも、合宿が中止になったのに、なんだか合宿みたいで! ごめんなさい、みんな心配してきてくれたんですよね……」


「ううん、いいと思うよ、イロハちゃん」


 アヤノが優しく笑顔を向ける。


「嫌な気持ちだと、気が滅入っちゃうよ。少しでも悲しい気持ちが和らいだなら、わたしたちもよかったよ」


 そんな時、カリンのパソコンが、ピコン音を立てた。


「あっ、今の、約定した音だ」


 カリンは、チャートの描かれたパソコンを開く。


「ああ、逆指値に刺さっちゃったんだ。損しちゃってるよ」


「なんですの。ロングしてたんですの? ドル円はショートの局面ですわよ」


「ううっ、逆張りを狙ったんだよ」


「逆張りなんて、順張りしなくては、デイトレやスイングは勝てませんことよ」


 カリンとミサキのやり取りを見て、みんなはアハハ、と笑った。


「よし!」


 と、アヤノが、パンと一つ手を鳴らした。


「それじゃあ、みんなでデモトレやりましょうか。投資部が集まっているのに、投資をしないなんて変ですし」


 アヤノは、ちらとイロハを見て、同意を求めた。


「はい! みなさんの手法、知りたいです!!」


 パソコンの画面に食い入ったり、スマホの画面を凝視したり。


 笑い声と喚き声が交差して、時間が過ぎていく……。




 夕方になった。


「じゃあカリン、今度は試験会場で会いますわよ。落ちたら承知しませんことよ」


「アヤノ、それじゃあ、わたしキャッチャーミット持ってくるからね。肩作っておいてよね」


「イロハちゃん、SNSにどうしても見過ごせないこと書き込まれたら言ってね。特定してやるんだから」


 そういって、間黒高校のみんなは帰っていった。


「なんだか、賑やかでしたね」


「うむ、かしましいとは、このことじゃの」


「それにしても、お腹空いたね。カリン先輩の家は、夕食はやってないし」


「うん、それじゃあ、カエデの家にいこう! 報道陣が来てないか、電話してみるね」




 カエデの家の蕎麦屋にきた。


「おう、待ってたぜ!」


「あ、マキも来てたんだ。って、スズメとシホも!?」


 店の奥の座敷から、スズメとシホが手を挙げて呼んでいる。


「生徒会としても、今回の件について対応していかないといけないから、シホと打ち合わせをしていたんだ。それにしても、イロハちゃん、たいへんだったね」


「いえ、スズメ先輩。朝はありがとうございました」


「今やアイドルのわたし以上の人気だね」


 そう言われて、イロハはきょとんとした。


「ああ、ご、ごめん。ちょっとした冗談だよ。失言、だったかな。気を悪くしちゃった? 本当にごめん」


 あわててスズメが立ち上がって謝るが、


「いえ、スズメ先輩も冗談言うんですね。普段、あまりそういうこと言わないので」


「あ、アハハ……でも、時を間違えちゃったね……」


「それにしてもイロハちゃん~、え~と~、困ったことが合ったら言いってね~。上下地区の人から嫌がらせなんてされたら~……わたしがビシッと言うから!!」


 シホも相変わらずだが、語尾が強かったのが、心強い。


「そうだぞ、イロハ」


 マキも続く。


「前の神社のおっさんやじいさん達みたいに、よく分からずに文句言う人もいるからな。そんなことされても、ウチもカエデもついてるんだからな!」


「アハハ、やっぱり、権力って強いんですね」


 そこへカエデもメニュー表をもってやってきて、


「使えるものは使わなきゃいけないのよ。さあみんな、早く選びなさい。水はセルフサービスだからね」


 と言って、座敷に座った。


「わたしも一緒に食べるわ。おとうさーん、牛乳そろそろ悪くなるから、グラタンも作ってー」


「カエデ先輩、グラタンってメニューにないですよ……」


「うーん、裏メニューってやつかしら? いいのよ、言えば大体なんとかするわよ。カリンなんて、昔はお子様ランチって言って、お父さんを困らせていたのよ」


 ぶっ、とカリンが水でむせている。


「それで、ごはんに国旗のせときゃいいってお父さんが言って、チャーハンと子どもの好きなナポリタンを作ったりするようになったのよ。メニューにも書いてあるでしょ」


 たしかに、ソバ屋なのに、メニューの端には、チャーハンとナポリタン、と堂々とラインナップされている。


「あはは、すごいですね」


「そうだ、カリンも久々に食べてみない。うん、チャーハンとナポリタンも出しましょう」


 みんなが注文をしないうちに、カエデがてきぱきと出す料理を決めてしまった。


 座敷に並べられたメニューは、ソバ屋とは想像できないような、和洋中の折衷メニューだった。


 かけそばの隣に、のりが大きく一枚まんま置いてある。


 自由にのっけていいと言わんばかりに、てんぷらが置いてあるまでは普通のソバ屋でも考えられる。


 ただ、チャーハンやナポリタン、グラタンまで用意されているのは、もう何屋なのだか分からない。


 ほかにも、アボカドの乗ったサラダや、コロッケまでテーブルに並べられた。


「昨日の残りもあるけれど、いいわよね」


「あの、カエデ、ちょっと多くない? そんなにお金、持ってきてないよ」


「うーん、そうねぇ。一人500円くらい……値上げラッシュだし、600円でいいかしら。カリンはツケでもいいのよ。金利はつけるけれどね」


 これだけのものを食べて、いや、食べきれないほどの量が出されて、600円とは……。


 イロハはもう一度メニューを見たが、600円以下のものなどない。


 チラと、そんなイロハが見えたのか、カエデがイロハの耳元で、


「いいのよ、イロハちゃん。うちの残りの処理もあるし、これは、カリンの引退のお祝いも兼ねてるから。それに、最近はコロナで店の賑わいもないから、たまには賑やかにしたほうが、お父さんも楽しいのよ」


 ニコリとカエデに微笑まれたので、イロハも、気兼ねはなくなった。


 とそこへ、ガラっと勢いよく、ソバ屋のドアが開き、暖簾をくぐってきた人がいた。


 みんなは、マスコミがきたのかと警戒したが、


「本田さん!」


 イロハのアルバイト先の古書店主、本田さんだった。


「うん? ああ、イロハちゃん。今日は大変だったみたいだね。連絡しようとしていたんだ。マスコミも大勢来ているから、土日は、無理にアルバイトに出なくても大丈夫だからね」


 イロハが一礼すると、本田さんは、大勢で詰めかけているみんなに笑いかけて、カウンターの席に座った。


「北畠きたばたけさん、今日は久しぶりに盛況だね。高校生がこんなに集まるなんてことは、あんまりないよね。商店街もこんな活気は懐かしいね。いつもの定食を頼むよ。それと、今日は日本酒も飲んでみようかな」


 なんだか、イロハは温かい気持ちで、夕飯を食べた。


 投資部の合宿がなくなってしまったのは残念なことなのだが、こうしてみんなで夕食をとることができたことは、合宿以上の喜びを得ることができたのかもしれない。




 話がはずんで、夜遅くなってしまった。


お腹いっぱいになり、カリンの家に戻ると、カリンのお父さんが、お金の計算をしていた。


「今日は、お世話になります」


 イロハと花子が頭を下げた。


「うん、ゆっくりしていってね。それと、アヤノちゃんも」


「えっ、アヤノ先輩も泊まるんですか?」


「うん、えーと、今日は、合宿ってことにしようかなと思ってね」


 イロハと花子は、カリンのパジャマを貸してもらった。


 お風呂の中で、よく考えると、こうして先輩の家に泊まることなど、はじめてだ。


 朝は家の前の報道陣に驚いたが、これはこれで、思いがけない合宿になったので、良かったのかもしれない。


 敷かれた布団の上。


 普通の合宿なら、ここでトランプやら恋話をするのだろうが、そこは投資部だ。


 夜の経済ニュースを付ける。


 国会でのできごと、ウクライナ情勢、アメリカ大統領選挙の行方。


 EV車、脱炭素、世界の人口増加に伴う食糧難……。


 地政学リスクの高まりはとどまるところを知らない。


「ここらへんで、一度円高は止まるんじゃないかな」


「日経は、3万円が遠いですね」


「冬のエネルギー逼迫で、また原油は上がるのかの」


 いつもの投資部の会話だ。


 ニューヨーク時間になり、チャートの動きは勢いを増す。


 しばらく、ニュースとチャートを見ながら、投資の話は続いていく。


 イロハは、こんな時間が、ずっと続けば、と思った。


 そして、日付の変わる時間を迎えた。


 投資のニュースは終わり、0時の主要ニュースが始まる。


 カリンはチャートが映し出されたノートパソコンを閉じた。


 0時のトップニュースは、象勢親子の進退に関わるものだった。


 みんなは、トップニュースだけは、真剣に聞いた。


 トップニュースが終わると、サッカーワールドカップ関連の状況が報じられた。そこで、カリンはリモコンのボタンを押して、テレビを消した。


「ふう」


 とカリンは、一つ息を吐いた。


 イロハは、はっとした。


 そうだ、カリンは投資部を引退するのだ。


 きっと、カリンの中では、日付が変わるまでは投資部として。そして、日付が変われば、区切りを付けようと決めていたのだろう。


「あはは、みんな、そんなに真剣な顔にならないでよ」


 カリンはみんなを見回した。


「えーと、イロハがこんな状況の時なんだけどさ……。うん、わたし、これをもって、投資部を引退します!」


 カリンが笑顔で言った。


「いろんな事件があったよね。とても楽しかった、とは手放しで言えないけれど、きっと、いい思い出になることは間違いない。ううん、いい思い出にしないといけないんだよ。わたし自身は、とてもいい思い出になると確信している。アヤノ、イロハ、花子。本当にありがとう」


 カリンは、そういって、頭を下げた。


 イロハとアヤノ、花子は顔を見合わせて、恥ずかしいような笑顔を交わした。


「よし! じゃあ、次の部長だけど、アヤノ、お願いね」


「はい、任されました」


「イロハ、花子、本当にありがとう。二人が入ってくれて、投資部はとても活気が出たよ。わたしもとても勉強できたし、いろんな人の境遇も分かった。二人がいなければ、こんなに成長できなかったと思う……って、自分でいうのもなんだけどさ」


 カリンは、ポリポリと頬をかいた。


「あの、カリン先輩!」


 イロハは、カリンに言う。


「わたし、カリン先輩が先輩で、本当によかったです。ずっと、助けられっぱなしでしたけど。いつも温かく見守ってくれて、そして、とても気楽に接してくれて。カリン先輩が先輩じゃなかったら、わたし、やっていけたかどうか。ううん、いま、こうして、象勢さんたちとやりあえたのも、カリン先輩と知り合えたからだと思っています。本当に、ありがとうございました」


 イロハは、カリンとの想い出を回想すると、泣いてしまいそうだった。


「うむ、カリンよ。部長としての使命、大儀であったぞ!」


 そう、上から花子が言うので、カリンとアヤノは笑ってしまった。


 イロハも、おかしくて笑ってしまった。


 カリンは、やりきった、という顔で、終始ニコニコしていた。


「引退はしたけど、まだまだ象勢との戦いは終わらないし、校長たちもどう出てくるかわからない。引き続き、頑張らないとね。さあ、明日もマスコミがくるよ、英気を養うために、今日はもう寝よう」




 夜中、イロハはふと目が覚めた。


 隣を見ると、寝ているはずのアヤノとカリンの姿が消えている。


 花子は、二階の窓から、そっと外を見ている。


「ハナちゃん? カリン先輩とアヤノ先輩は?」


「しー」


 っと、花子は、人差し指を顔の前にあてて、外を見てみるように、イロハに目配せした。


 イロハは、そっと窓から外を見る。


 ポニーテールに結び直した髪とセミロングの髪が外灯に照らされて、アヤノとカリンが立って話をしているのが分かる。


 二階からは、かすかだが、じっと耳を澄ますと、二人の会話が聞き取れる。


「アヤノ、辛いよ……もう、投資部に、私の居場所、ないんだね……」


「カリン先輩……よく頑張りました。イロハちゃんとハナちゃんの前じゃ、泣けませんもんね」


「アヤノ、本当にありがとう。わたし、きっとアヤノがいなければ、押しつぶされてたと思う。やっていけなかったと思う。楽しかった、嬉しかった、怖かった。全部、アヤノのおかげ」


 カリンが、ひっく、ひっくと、泣いているのが分かる。


 すると、アヤノがカリンを抱きしめた。


「カリン先輩、わたしだって、カリン先輩がいてくれたから、やってこれました。カリン先輩がいなければ、とっくに、退学だってしていたかもしれません……。最初に、大孫先生に馬乗りになった時には、驚きましたけど……。いつもみんなのこと想ってくれる、そんなカリン先輩のこと、大好きです」


 そこまでアヤノが言うと、今度はカリンが、そっと抱きしめられたアヤノの手から離れて、しばらくうつむいていたが、意を決したように、


「あの、アヤノ!」


 上ずった声で言う。


「あの、アヤノ! わたし、アヤノのこと、好きです!」


「カ、カリン先輩……」


「ゴメン。だけど……だけど、わたし、アヤノのこと、女の子として、好きになっちゃったみたいなんだ……」


「…………」


「ううっ、ごめん……」


「ううん、なんとなく、分かってました……」


 二人の間に沈黙が続く。


「アハハ、変、だよね。ごめん、忘れて。いや、忘れられないよね……嫌われちゃったかな……。えーと、アハハ、最後の最後にやっちゃった……。これは、強制ロスカットで退場だね……。うん、これからわたし、投資部には行かないし、頻繁には会わない……から……」


 かりんが、嗚咽をもらしながら、泣き出した。


さっき泣いていたのよりも、今度は、悲痛な鳴き声だ。


「ごめん、ごめんね、アヤノ。ごめん。嫌いになっちゃったよね……。いやだ、アヤノに、嫌われたくないよ……ゴメン、ゴメン……」


「あの、カリン先輩!!」


「!!!」


 アヤノが、カリンの唇に、自分の唇をくっつけたのが見えた。


 それも、長い時間……。


「ぷは……アヤノ……?」


「誰が、嫌いになんて、なるんですか……。好きって言われたのに……わたしだって、うれしいのに……」


「アヤノ……それじゃあ……」


「カリン先輩、えーと、ごめんなさい。わたし、そういうの、まだ、よく分からなくて……。でも、ちょっとだけ、そういう気持ちで、お付き合いするっていうのは、どうでしょうか……。こういうのって、ずるい、ですけど……」


「ううん、ありがとう、アヤノ……。受け止めてくれて。あの、今度は、わたしのほうから、いくね……」


 そうして、今度はカリンから、アヤノに口づけをする。


 ふたりの右手と左手が、それぞれくっついていた。


 二人が静かに、青白い外灯に照らし出されていた。


「あの、ハナちゃん、もう、寝ようか……」


「そ、そうじゃの……」


 しかし、イロハの頭は冴えてしまった。


 だが、アヤノとカリンはしばらく戻ってこなかった。




 翌週から、学校が再開した。


 カリンがいなくなり、アヤノとイロハ、そして花子だけの投資部は、なんだか寂しい。


 でも、


「もっと投資に興味をもってもらわないといけないと思うんだ。だから、ホームページを立ち上げよう! ブログもはじめて、情報発信もだよね」


 アヤノは、新しい取り組みをはじめようと燃えている。


 イロハと花子も、アヤノ新部長の方針には大賛成だ。それに、これからの時代、ホームページの一つや二つ、作れるようになっておかねければいけないだろう。


 生徒会の許可も、とんとん拍子に下りた。


 もちろん、スズメは、公正な立場から意見を述べた。ホームページやブログをはじめるにあたり、投資は損をすることもあるので、あまりに儲かる、というようなことは書かず、きちんと事実に基づいて運用していくこと、などという意見を述べてくれた。


 そして、国会議員の象勢揚郎は、さんざんの報道にも音をあげず、いまだ国会議員の座を死守している。もっとも、大臣や長官へという声は消えたようだ。


 そして、息子の左下内の刑事裁判がはじまった。


 実刑は免れないという意見が大半で、その話題は何年の懲役になるか、というところだった。


 ただ、法の壁は厚い。


 イロハへの性暴力に及ぼうとしたことは、暴行罪として起訴。そして、イロハの両親を殺害したことは、イロハとしては当然殺人罪と思ったが、危険運転致死傷罪で起訴されることになった。


 イロハとしても悔しかったが、おかしい、という意見が、様々なメディアで取り上げてくれていた。


 そして、次は、イロハと象勢左下内との民事裁判だ。


「ねえ、ハナちゃん。わたしね、投資部に入る時、社会に復讐してやるって思ったんだ。お金を稼いで、実力が認められたら、きっとうまくいくようになるって」


「うむ、知っておる。あの時のイロハからは、禍々しい負の感情が吹き荒れていたからの」


「それでハナちゃんが、わたしに、取り憑いちゃったんだよね」


「うむ、左様じゃ」


 イロハは、昔の自分を思い出した。


 復讐に燃え、知識をつける一環として投資部に入部した。


 でも、アヤノ、カリン、花子、そして投資部を支えてくれたみんなと関わることで、それ以上の成長ができたと思う。


「いまはね、きちんとした社会がいいと思うの。わたし一人がうまくいくよりも、みんなが幸せになれるような社会。資本主義でも、きっとそれができると思うんだ。富は集中するかもしれないけど、集中した富も、使い方次第。そう、富は投資して。投資されたら成長して」


「うむ、よいのではないかの。復讐に燃える、からの脱却じゃな」


「そうしたら、ハナちゃん、取り憑いていられなくなっちゃうかな」


「わしはそんなやわじゃないわ。なにせ、かの有名な、日本を震撼させるトイレの花子さんなんじゃからの」


「アハハ。じゃあ、安心して、みんなが幸せになれるために、民事裁判、頑張るよ!!」


 いよいよ民事裁判がはじまることが決定した。


 決定するや否や、投資部には、いつものみんなが集まってくれた。


 もうイロハは、一人で復讐などしなくていいのだ。イロハはすでに、多くの富を得たのだった。

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