第49話 表彰式と示談

 21日、朝起きてすぐに、イロハはスマホで、主要な仮想通貨のチャートをチェックする。


(うん、この動きなら、逆転するような高校はなさそう)


 19日の朝起きてすぐにも、ドル円をはじめ、多くの為替の終値や、CFDでの株価、商品の価格をチェックしている。


 これも、上下高校に逆転できる高校があったとは思えない程度の動きしかしていなかった。


「ハナちゃん、行こう! 表彰式の準備があるよ」


 花子とともに家を出る。


 もうすぐ秋も終わりそうだ。


 今日が終われば、いったん、カリンは引退になる。


「なんだか、カリン先輩の引退なのに、そんな感じしないよね」


「ドタバタしておったからのう。まあ、カリンの性格じゃ。しんみりする感じでもなかろう」


 学校に着くと、すでにカリンとアヤノが表彰式の準備をはじめていた。


 元剣道部のカエデとマキ、そして生徒会副会長のシホも手伝ってくれている。


「み、みなさん早いですね」


 カリンがふと顔をあげて、


「イロハだって、まだ集合時間前だよ」


 みんなの笑いがおこる。


 表彰式に向けての準備が進む。




 表彰式の会場に、続々と人が集まってくる。


 ただ、開会式と違って、来賓は少なく、もう順位が下ということが分かりきっている遠方の高校は、リモートでの参加だ。


「みなさん、ごきげんよう……」


 漆黒のワンピースを身につけた、間黒まぐろ高校投資部の四人がやってきた。


 カリンが近寄る。


「あの、新田にったさん……その、先日は失礼しましたわ……」


「いや、あの、こちらこそ……」


 カリンと、間黒高校投資部三年生で部長の三浦みうらミサキが、もじもじしながら話している。


「あ、アヤノ、おはよう!」


「うん、おはようコウ!」


 突然、アヤノと、間黒高校二年生で副部長の茶木羅ちゃきらコウが仲良さそうに挨拶するので、もじもじしていたカリンとミサキはびっくりして振り向く。


「ええ、二人、どうしてそんな仲良さそうに!?」


「そうですわ、コウさん、いつからたちばなさんとそんなお近づきに!?」


 アヤノとコウは、そろって、ハハ、と笑った。


「この前、わたしがコウのことを駅まで送った時に意気投合したんです。コウって、中学生の時に硬式野球やっていて、キャッチャーだったんです」


「アヤノはソフトボールなので、大会では当然知り合いにならなかったんですけど、こんな身近に共通する話題の人がいたなんて。うちは硬式も軟式もソフト部もないですから、今度キャッチボールでもしようって話になって」


 それを聞くと、カリンは、「ううう~」とコウを睨んだ。


 しかし、


「カリン先輩、コウと仲良くなるきっかけを作ってくれてありがとうございますね~」


 とアヤノが皮肉たっぷりに言うので、カリンは余計に「ううう~」と言ってうつむいた。


 コウもミサキに向かって、


「アヤノとはぺったんこ座り仲間ですからね」


 なんて言っている。


 間黒高校の一年生の油根ゆねスウコはきょとんとした顔で、


「ねえ、楠木くすのきさん、何かあったの?」


 と聞いてきたが、


「うん、色々とね」


 とだけ、イロハは答えた。


 そんな打ち解けた和やかなムードの中、ムスッとした顔で校長先生にともなわれて入ってきた二人の人物がいた。


象勢揚郎ぞうぜいあげろう左下内さげない……)


 象勢親子は、先日は来賓席で、笑顔で挨拶を交わしていたが、今回は来賓もほとんどいないということで、笑顔を作るのも面倒なようだった。


「あんなに嫌なら、こなけりゃいいのに」


 カリンが言う。


 ふと、象勢親子がこちらに気づいたようだ。


 つかつかと歩いてくる。


(えっ、うそ、なに、なんでこっちにくるの)


 秘書の左下内が上下じょうげ高校の制服を着た生徒を見回して、


「楠木というのは誰だ?」


 と言う。


 イロハは、恐怖で声が出ない


 そんな怖がっているイロハの様子を察知しる能力には長けているらしく、左下内はイロハの目を凝視した。


「ふん、ヘタクソな運転しやがって」


 と、左下内はボソッと言う。


 ボソっと言われただけなのに、イロハは、サーっと全身から血の気が失せるのを感じた。


 自分の両親にあおり運転を仕掛けて死にいたらしめたのに、まったく反省していない。


 それどころか、イロハに対して敵意むき出しなのだ。


「おい、左下内。録音されていたらどうする。裁判で不利になる」


 と、父親の揚郎が左下内を制する。


「お前が楠木イロハと言うやつだな。どうだ、刑事訴訟は警察の管轄だからお前にはどうすることもできない。お前がどうにかできるのは、民事訴訟だけだ。お前は頑なに訴訟を取り下げないらしいな」


 イロハは、体が震えてくるのを感じた。


「金が目当てか? 両親がくたばって、金が必要なんだろう。いくらほしい、言ってみろ」


 イロハは、象勢揚郎が、金を使って示談に持ち込もうとしていることはすぐに分かった。


 しかし、どう答えていいかわからない。


 もちろん、答えは、ノーに決まっている。


 しかし、怖くて口がきけない。


 象勢揚郎は、容赦なく話を続ける。


「民事で勝訴しても、たかが知れているぞ。どうだ、だいたいは一人2500万円が相場だ。5000万円といきたいところだが、まあ、お前もまだ若い。大学も行きたいだろう。1億くらいくれてやる。それで手をうたないか? 1億だぞ。お前の父親と母親がずっと働いても、そうやすやすと稼げない額だ」


 イロハは、お金が欲しくて民事裁判を起こしているのではない。


 もちろん、結局裁判で解決した後に得られるものはお金だろう。


 しかし、あおり運転でイロハの両親を殺害した象勢左下内に反省してほしい。そして、罪を償って、後悔してほしい。一生背負って生きていったほしいのだ。


 それが、人をものとしか思わない言い方で、お金の話を矢継ぎ早にされている。


(ああ、そうか……。わたしにとっては、当事者問題だけど、そうだよね。この人にとっては、他人事なんだ……。ニュースで見る裁判の慰謝料とかと、おんなじ感覚なんだ……)


 ついには、象勢を案内してきた校長までも、


「楠木さん、象勢先生がこうおっしゃっているんだ。好意は受けるものだよ。1億円なんてすごいなぁ。校長先生も、これまでの貯金に、数年後の退職金を足しても、そんな額に届かないなぁ」


 と、イロハをなだめようとする。


「なんだ、1億じゃ足りないというのか。なかなか欲張りだな。そうか、投資部にいるから、円安のことを頭に入れているんだな。よし、それじゃあ1億と2000万ならどうだ。それで手を打て」


 そこまで言うと、周囲で聞いていたカリンが、


「ちょっと!」


 と口にする。


 でも、これはイロハの問題だ。


 まわりのみんなは、イロハのことをいつも助けてくれた。


 大丈夫、立ち向かえる。


 矢継ぎ早で示談にしようとしているということは、相手もきっと焦っているのだろう。


「だめ……です……」


「うん? なんと言った?」


 こわくて、はっきりと言葉にでない。


 ノドは緊張と不安でカラカラだ。


 でも、


「だめです!」


 今度は、大声で言った。


「きちんと法廷で、全てを語ってください! どうしてあんな事件が起きたのか! どうして、私のお父さんとお母さんは死ななければいけなかったのか! はっきりさせましょう!」


 そういって、イロハは顔を挙げた。


 少しは、相手は戸惑っているかと思った。


 たしかに、秘書で息子の象勢左下内は、戸惑っていたが、揚郎だけは、怒りの形相でイロハを睨みつけている。


 イロハは、貧血になった時のような気分に襲われた。


 いや、実際に貧血になっている。


 しかし、ここでにらみ負けたら、それこそ負けてしまうかもしれない。


 とそこへ、


「みなさん、時間です」


 横から、安心する声が聞こえる。


 声をかけてきたのは、生徒会長のスズメだ。


「象勢先生、先日はコンサートにもお越しいただいてありがとうございます。席は一番前です」


 スズメが、象勢親子の背中を押して、無理やり体育館の前方、ステージ前にある来賓席に連れていく。


 なぜか校長が、


「まったく」


 と舌打ちして、それに従っていった。


「イロハ……」


 みんなは、イロハを心配して取り囲んだ。


「アハハ……言い返しちゃいました……あの、ちょっと、すみません!」


 イロハは、もう我慢できず、体育館を出て、女子トイレに駆け込んだ。


 なんとか間に合いはしたが、今日食べたものがこれほど多かっただろうかと思うほどに、盛大に戻してしまった。




 しばらく、トイレの便器の前で、前かがみになっていた。


 ようやく、吐き気は収まった。


 しかし、まだ全身に噴き出した脂汗が気持ち悪くまとわりつく。


 ただ、スーッと窓から風が入ってくる。


 秋の冷たい風が、脂汗を蒸発させてくれる。


 ピリピリとした肌にあたる風は、これほど具合悪いというのに、どこか心地よい。


「イロハよ、少しはよくなったかの?」


 ふと顔を上げると、トイレの便座に花子が腰かけている。


「ハナちゃん? どうして?」


「うむ、わしはトイレの花子さんじゃぞ」


「アハハ、そうだったね……とても似合う場所だね」


「がんばったの、イロハよ」


 便座に腰かけた花子が、イロハの頭をなでてくれた。


「ハナちゃん。投資家は合理的にならないといけないんだよね」


「うむ、そうじゃの」


「それじゃあわたし、1億円もらっておいた方がよかったのかな? その方が、正しい判断だったのかな?」


「イロハよ、おぬしは知っておるであろう。お金は大事じゃが、もっと大切なものだあるということを」


「…………」


「お金を増やすためには、合理的にならねばならない。じゃが、それだけじゃ、手に入らないものがあるというのも事実じゃ」


「そうだよね……。まったく、お化けに諭されちゃうなんてね」


「うむ。さあイロハよ、もう表彰式がはじまっておるぞ。スキャルピングではかなわなかったが、団体戦はわしらが優勝じゃ。勝利の勝ち名乗りを受ける瞬間を、その目でやきつけようぞ」




 体育館では、カリンが代表してステージ上に呼ばれたところだった。


 花子と一緒に、アヤノの隣の席に座る。


「イロハちゃん、だいじょうぶ?」


「はい、まだちょっと具合悪いですけど」


 ステージに目を移すと、すでに、スキャルピング戦で優勝した間黒高校のミサキが、トロフィーを持ってステージ上のイスにこしかけている。


 そして、


「団体戦優勝は、上下高校です」


 とアナウンスされ、カリンがトロフィーと賞状を大会の役員から受け取っていた。


 その後、象勢揚郎が、来賓代表として挨拶をはじめた。


 ステージ上の椅子に戻ったカリンはあからさまにムスッとした表情と態度をとったが、となりに座っているミサキに腕でつつかれて、普通の表情になった。


 なんだか、イロハにはそれがおかしくて、笑いそうになってしまった。


 象勢の話は、所得倍増に絡めた投資の必要性を、つまらないたとえ話を用いながら進めていた。


 そんな話は、もう耳に入ってこなかった。




 体育館での表彰式が終わった。


 集まっていた人たちが続々と帰宅していく。


 象勢親子も校長とともに体育館から出て行くのが見えた。


 カリンが記念のトロフィーと表彰状を持って急いでステージから駆け下りてきた。


「イロハ、大丈夫だった?」


 とても心配そうな顔だ。


「はい、なんとか。それにしても、よかったですね」


「あー、えーと、そうだね。スキャルピングでは準優勝。団体戦では優勝だよ! それよりも、イロハだよ。これから、どうしようか」


「うーん、それは、これから考えます……あれだけ言い返してしまいましたし、戦うしかないです。それよりも、今は、この成績を喜びたいです」


「いいの?」


「だって、この部活、とっても楽しかったですから……。なんだか、水を差してしまってすみません……」


「イロハ……。よーし、それじゃあ、体育館を片付けたら部室で打ち上げだ! 二次会はわたしの家でコーヒーなんていいかもね。締めはカエデの家でお蕎麦もあるし」


「アハハ……」


 カリンは、つとめて明るくしてくれているのが分かる。


 カリンは今日で投資部から引退だ。


 本当は、イロハが、盛大に三年生で部長のカリンを、送りだしてあげなければいけない立場なのに。


「楠木さん、大変でしたわね」


 そこへ、間黒高校のみんなも寄ってきた。


「いえ、あ、スキャルピングは優勝おめでとうこざいます」


「ありがとう。でも、団体戦では準優勝と後れを取りましたわ。いってみれば、スキャルピングと団体戦では、それぞれ優勝と準優勝の間柄。団体戦は、不運もありましたが、一応、ライバルと認めてあげてもよろしくってよ。来年からは、コウさんが部長として、あなたたちを完膚なきまでに叩き潰してあげますので、そのつもりで……それで、提案なのですが」


 上下高校投資部のみんなは、ミサキを見る。


「あの、さきほど、これから打ち上げと聞こえたのですが、わたくしたちも参加してあげてもよくってよ」


「ええ~!」


 投資部の四人は、一斉に声をあげた。


 そこで、コウが後を引き取った。


「まあ、色々あったので、ミサキ先輩も謝罪を兼ねて親睦を深めたいそうなんです」


「ちょっと、コウさん!」


「そうでしょう。ちょっとは素直になってくださいよ」


「ううっ」


「なので、お邪魔でなければでいいんですけど、どうですか?」


 上下高校投資部の四人は顔を見合わせた。


 アヤノは、


「わたしは、いいと思いますよ」


 カリンも、


「そうだよね。せっかくだし、みんなで打ち上げしようか!」


 と笑顔だ。


 花子も、


「うむ、大勢の方が楽しかろう」


 という。


 イロハも、もちろん賛成だ。


「では、わたくしたちもお手伝いに助力しますわよ。みなさん、今日まではわたくしが部長ですわよ。さあ、箒を手に持ちお掃除ですわ!」


 間黒高校も手伝い、体育館を清掃、椅子や机の撤去をする。


 倍の人数で片付けると、あっという間に作業は終わった。




「さあ、入って。こんな大勢だと狭いかな」


「相変わらず、狭い部室ですわね」


「ううっ、ちょっとは気をつかえよ」


「あら、わたくし、はっきりと申し上げるのがモットーでしてよ」


 なんだかんだで、カリンとミサキも意気投合したうだ。


 そして、カリンが部室の扉を開く、


パン! パン! パン! パン!


 クラッカーが鳴らされたので、「わあっ!」


 とカリンがびっくりして後ずさった。


 上下高校と間黒高校の投資部員たちの頭に、クラッカーから出た飾りがまとわりつく。


「おつかれさま~!!」


 出迎えてくれたのは、スズメ、シホ、カエデ、マキだった。


 机には、お菓子やジュースが用意されている。


「うわっ、なに、これ!」


「あはは、本当は学校でこんなことやっちゃいけないんだろうけど」


 スズメが、苦笑いしながら言う。


「投資部には迷惑をかけたしお世話にもなったからさ。シホや、カエデ先輩、マキ先輩にも声をかけて、サプライズにしたんだ」


「うわぁ、なんか、すごい!」


「でも、間黒高校のみなさんもきたのね。お菓子足りるかしら? って、マキ、なんであなたが泣いてるのよ?」


「うおー、だって、団体戦優勝、スキャルピングは準優勝だぞ。うちのカリンがやったぞぉぉぉ。って、カリンは泣かないのかよ?」


「あはは……なんというか、まだあまりそういう実感がなくて……受験もあるし……」


 マキはいつものように、感情を高ぶらせて泣いている。


 それをみると、なんだか笑ってしまう。




 みんなで、お菓子をほおばる。


 間黒高校といがみ合っていたのも、なんだかいい思い出になりそうだ。


「ええ! ミサキもあの大学の経済学部が第一志望なの!」


「そうですわよ。それにしてもカリン、あなたそんな学力がおありなの?」


「ひどいな、これでも模試では……とりあえずギリギリのラインなんだよ……」


 いつの間にか、カリンとミサキも仲良くなっているし、第一志望の大学と学部が同じだったらしい。


「アンダースローって捕ったことないんだよね。一度本気で肩作ってきてよ。座ってとってみたいから」


「その後でバッセンいこうよ。100円で15球も投げてくれるところあるんだよ」


 アヤノとコウも、すっかり野球の話に夢中だ。


「この前は悪かったのう。まあ、投資家たるもの、動じてはならんのじゃ、あっはっは」


 花子は、この前対戦した子と仲良く話している。


「なんだか、すごいね、イロハちゃん……。みんな、パワフル」


「アハハ、そうだよね。でも、同学年で投資仲間ができてよかったよ」


 イロハも、すっかりスウコと仲良くなることができた。


「ちょっと、お手洗いに行ってきますね」


「おお、イロハよ、御花摘みか~、花子なだけにじゃぞ~」


 花子が、わけの分からないことを言っているのを背に、トイレに向かった。


 部活棟のトイレは、いつもながら、昔の雰囲気が漂う。


 だが、ここで花子と出会うことができた。


 イロハの生活も、劇的に変わっていった場所の一つだ。


 トイレから出ると、ちょうど男子トイレから、あの人物が現れた。


「象勢、左下内!?」


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