第48話 尻ぬぐい

「しっかし、本当にくやしいなぁ。空運株も下がってきてるし、大丈夫かなぁ」


 カリンが、投資部のパソコンの画面に映し出されたチャートとにらめっこをしている。


 14日で、投資甲子園のスキャルピング戦が終わった。


 優勝は間黒まぐろ高校。上下じょうげ高校は惜しくも準優勝だ。


「あと少しだったのになぁ」


「まあ、実力が、間黒高校の方が上だったってことですよ。わたしも、茶木羅ちゃきらさんには完敗でしたし」


「むうっ、たしかに、あれだけ利益確定したのに、その上を行くんだもんなぁ……」


「上には上がいるってことですよ。そもそも、投資は、勝負するのもナンセンスなのかもしれませんね」


 仮想通貨も含めた投資の団体戦は、今週末の20日の日曜日に終わりを迎える。


 その日までは、まだ気が抜けない。


「あーあ! なんか、今週でわたしは引退かって思って感傷にひたることになるのかなって思ってたけど、そんな気分にはならなくなっちゃったよ」


「それ、カリン先輩が言いますか。わたし、まだ少し怒ってるんですからね」


「ううっ……」


 カリンは、間黒高校の三年生で部長の三浦みうらミサキと、団体戦に負けた方は、地面にぺったんこ座りして、前方に両手をついて、まけちゃいました~お願い、許して~、と言う約束を取り交わしているのだ。


「まったく、カリン先輩には、最後まで手をかけられます」


 いわゆる罰ゲームの話が出たこの時を、イロハは逃せないと思った。


「あのっ!」


 イロハは、間黒高校1年生の油根ゆねスウコから、どうにか罰ゲームを回避してほしいとお願いされているのだ。


 イロハは、スウコからお願いされたことを話した。


 カリンは、ムッと頬を膨らませていたが、


「もちろんだよ」


 とアヤノが答えた。


「本当は、約束した当事者同士でやればいいのに、部員を巻き込むなんて。もちろん、これは1年生はやらなくていいから、相手にもそう伝えて」


「ちょっとアヤノ」


「いいですよね、カリン先輩!」


 アヤノの語気に気圧されて、カリンは黙った。


 イロハは、とりあえずは、ほっとした。


「それに、空運株は下がってきちゃってるんですよ」


 空運株は、ここのところの、新型コロナの感染拡大と、第8波に突入しつつあるという状況から、旅行者の需要が落ち込むと見られて、軟調になってきている。


「間黒高校の投資技術を見ましたよね。うかうかしてたら、本当に負けちゃうのはわたしたちかもしれないんですよ」


「ううっ、分かってるよ……」


 そこへ、投資部のドアをノックする音が聞こえた。


「どうぞ」


 アヤノが答えた。


「あの……失礼します」


 そこには、上下高校の制服とはまったく違う、漆黒しっこくのワンピースの制服の女の子が立っていた。


 ボブヘアでかわいらしい顔つきの、


「茶木羅さん!?」


 アヤノが驚いて、間黒高校二年生で副部長の茶木羅コウの名前を呼んだ。


「えーと、お忙しいところ、すみません。えと、これ、つまらいものですが……」


 コウは、菓子折りを差し出した。


 イロハはそれを見て、


「あ、これ、数量限定のお菓子ですよね! しかも、週に1度しか販売しないし、その一日が何曜日なのか事前に告知されないから、並び損もするって有名な!」


「えーと、一応、わたしコネがありまして……、今週の販売日だけは教えてもらって……あ、でも、ちゃんと朝5時から並びました……」


「ふん、やっぱりズルしてるじゃん」


 カリンが、むくれて言った。


「ちょっとカリン先輩! えーと、そんな気を使わなくていいですよ」


 アヤノは、お菓子を受け取らずに、まずは椅子を用意して、コウに座るように勧めた。


 コウは椅子に座ると、


「別に賄賂でもないですので……」


 と、また菓子折りを差し出した。


 賄賂、という言葉を聞いて、みんなは顔を見合わせて、苦笑いを浮かべた。


「まあ、持って帰るのも重いかもだし、みんなで食べよう。茶木羅さんも一緒にね」


 と、アヤノはてきぱきと用意をしようとする。


 ただ、カリンがそれを制して、


「一応まだ大会中なのに、敵の高校に乗り込んでくるなんて、どういうこと? 偵察にしては、もう上下高校のパソコンを使うこともないけど」


 カリンはコウを睨む。


「…………」


 カリンに言われ、コウはうつむいて、しばらく何かを考えているようだった。


 それを見て、アヤノが、


「わたし、カリン先輩のそういう上から目線のところ、嫌いですよ」


「なっ!?」


 突然アヤノに指摘されたので、カリンが怯んだ。


「それ、パワハラって言うんですよ。一つ年上だから、わたしたちからすると、老害ってやつです」


「ええっ……」


「茶木羅さん、別にうちのカリン先輩のことは気にしなくていいですよ」


「いや、あの……」


 コウは少し慌てた。


 そんな時、カリンのスマホが鳴った。


「あれ? 間黒高校の、三浦さん?」


 カリンがスマホの着信ボタンを押す。


「つかぬことをおたずねしますが、そちらにコウさんは行っておりませんこと?」


 慌てた声で、大声で話しているので、声が聞こえてくる。


「えーと、いるけど……」


 カリンは、ビデオ通話モードにした。


「ちょっとコウさん、どうして何度もお電話していますのにでないんですの! SNSも既読がつきませんし。それに、この書き置きはなんですの! 一年生にまで迷惑はかけられません。上下高校に謝りに行きますって、どういうことですの!」


「…………」


 コウは、うつむいて何も話さない。


「ちょっと、コウさん、聞いているんですの。部長のわたくしの許可も取らずに、副部長のあなたが一体何をしているんですの!」


 そこまで言われて、ようやくコウが、


「ミサキ先輩!」


 カリンのスマホに向かって大声を出した。


「巻き込んでしまった者として、ケジメはつけないといけません……」


「ちょっと、コウさん……」


 すると、コウは突然、座っていた椅子から身を落とし、地べたにぺったんこ座りして、前方に両手をついて、


「これまでのご無礼をお詫びします。団体戦は、おそらくわたし達の負けです。だから、わたしのこの無様な態度だけで許してください」


 コウは、一気に言ってから、唇をかみしめた。


 そして、そこからは震える声になって、


「お願いします……。ミサキ先輩も説得します。だから、一年生だけは、見逃して……ください……」


 最後は、肩を震わせて、涙を落としながら、声をしぼりだしていた。


 言い終わって、コウはぺったんこ座りのまま、地面についた両手を顔にまでもってきて、片手で涙をぬぐい、片手で口を隠している。


 コウにとって、とても惨めだったのだろう。


 見ている方まで、清楚な漆黒のワンピースを着て、ボブヘアのかわいらしいコウが、ぺったんこ座りをしてむせび泣いている姿は、痛々しい。


「…………」


 ビデオ通話の向こう側のミサキも、あっけに取られて、何も言えない。


 先ほどまでコウに悪態をついていたカリンも、オドオドと慌てている。


 そのコウと向き合う形で、床、アヤノがペタンと座った。


 ちょうど、ビデオ通話のミサキから、アヤノの全身が見えるような角度だ。


 アヤノも、ぺったんこ座りの姿勢で、前方に両手をついている。


「あの、わたしたちもスキャルピング戦では負けました。団体戦でも、勝てるとは限りません。だから、お願いです……許してください……団体戦の後の罰ゲームは、なしにしてください……」


 クールなアヤノが、ぺったんこ座りで両手を前につきながら、上目遣いで懇願している。


 普段こんなことをしないアヤノの顔は、やはり屈辱的な表情を浮かべていた。


「ちょっと、二人とも、やめてよ……」


 カリンが言う。


「そ、そうですわ。コウさん。そして、えーと、たちばなさんも、やめてくださいな」


 うわずった声で、ビデオ通話先のミサキも言っている。


「分かったよ。えーと、もし間黒高校にわたし達が勝ったとしても、罰ゲームはさせない。それでいいんでしょ」


「そ、そうですわ。あれはほんの冗談ですわ……こんな罰ゲームは、なしですわ!」




 しばらく、コウは廊下でミサキと通話している。


「アヤノ……えーと……」


 カリンが、何を言っていいのやら、という慌てようで、アヤノに話かけている。


「もう、結局こうなるんですよ……」


 カリンが声をかけると、アヤノがプイっと別の場所を向く。


「あんな姿、恥ずかしいですよ。茶木羅さんなんて、泣いてましたし……」


 そこへ、ミサキとの通話を終えたコウが、廊下から戻ってきた。


「あの、この度は、ご迷惑をおかけしました……」


 コウは、みんなに向かって頭を下げた。


 すぐにアヤノが声をかける。


「ううん、いいよ。茶木羅さん……」


「ミサキ先輩も、意地悪しすぎたって反省していました。それに、わたしも、初対面の時、嫌な態度とって、本当にすみません」


 コウは、深々と頭を下げた。


「こちらこそ、カリン先輩が挑発に簡単に乗るから、こんな騒動になっちゃったんだよ。茶木羅さんが、そんなに謝ることないよ」


 アヤノが言うと、今度はカリンが、


「あの、その……なんというか、わたしも意地張っちゃってたというか……ごめんなさい。これって、アヤノの言う通り、パワハラだよね。迷惑かけちゃった……」


 そこまで言って、カリンはコウを真剣な顔で見つめて、


「本当に、あんなことまでさせちゃって、ごめんなさい」


 カリンは、コウに向かって、頭を下げた。


「ほんとう、喧嘩っぱやい先輩を持つと、お互い苦労するよね」


 アヤノが、コウに笑顔を向けた。


 ようやく、コウにも笑顔が戻った。


 イロハも、そんな様子を見ていると、うれしくなった。


「あの、先日会った時、茶木羅先輩、こんなことは嫌だって言ってましたよね。なのに、今日は自分から乗り込んでくるなんて、勇気ありますね」


「勇気だなんて……。確かに、とっても嫌だったよ。でも、一年生にこんなことをやらせるのは、もっと嫌だなって思ったんだ。ミサキ先輩に言っても、聞く耳持たないし、ここは、副部長のわたしが、なんとかしないと、って思って」


 横で、アヤノが、ふう、とため息をついた。


「まったく、上がダメだと、尻ぬぐいは下がやらないといけなくなるんですよ」


 アヤノがカリンを横目でにらんだ。


「ううっ、気を付けます……」


 カリンがうつむいたので、みんなは笑った。


「それにしても、茶木羅さん、はじめはこんな性格の子だって思わなかったよ。だって、三浦さんと見学に来た時、ちょっと、えーと、悪役みたいだったからさ」


「あはは……」


 カリンに言われて、コウは照れ笑いした。


「投資甲子園で戦う相手でしたので、ちょっと威圧するような姿勢でいこうって、ミサキ先輩と話してからきたんです」


 たしかに、あの時ミサキとともに現れたコウは、お嬢様学校である間黒高校の生徒だけあって、いわゆる悪役令嬢に見えたものだ。


「ほんとうは、ちょっと良心がいたんだんです」


「でもさ、茶木羅さん、結構ノリノリだったんじゃない?」


 カリンが言うと、


「ううっ、たしかに、否定はできません」


 と、コウは顔を赤くしたので、みんなは笑ってしまった。


「あの、それじゃあ、そろそろわたし、帰りますね。お騒がせしてしまって」


「あの、お菓子くらい一緒に」


 アヤノが引き留めるが、


「いえ、ミサキ先輩も心配してると思いますし。あれで、結構後輩想いなんですよ」


「じゃあ、駅まで送るよ」


 そういって、アヤノとコウは部室を出ようと、ドアノブに手をかけると、ドアは向こうから開いた。


「スズメ!?」


「おわ、アヤノ!!」


 ちょうど目の前にお互いが現れたので、アヤノもスズメも驚いてしまっていた。


「みんな揃っているな……それと、間黒高校の?」


「はい、2年生で副部長の茶木羅コウです」


「えーと……」


 スズメは、コウがいたことで、言い出そうかどうかを迷っているようだったが、言っても大丈夫だと判断したようだ。


「来週の団体戦の後の表彰式に、象勢ぞうぜい親子がまたくるそうだ……」


 それを聞いて、イロハは、少したじろいだ。


「いま、シホが校長に抗議してくれている。本来は部活は生徒の行事なのに、どうして国会議員がって。でも、もう決まってしまっていたらしく……」


 みんなは、うつむいた。


 そこへ、コウが、


「あの……、部外者なんですが、どういうことか聞いてもいいですか?」


 みんなは、イロハを見る。


 イロハは、もうコウに対しては悪い印象など持っていない。


 むしろ、自分から、格好悪い姿をさらしてでも、後輩を守ろうとする優しい人だと思う。


 知ってもらってもよいと思えた。


 イロハは、象勢左下内さげないがあおり運転をしたことで、自分の両親が命を失ったこと。その後、学校側からも、民事裁判を取り下げるよう圧力がかかっていたことを話した。


「うーん、それはひどいね……」


 コウは、真剣な顔をしていたが、


「でも、ごめんなさい。わたしじゃ力になれることは限られているかも……」


「いえ、茶木羅先輩を巻き込む問題じゃないです。変な話をしてしまって、すみません」


 その時、部活動時間終了のチャイムが鳴った。


「あっ、もうこんな時間。茶木羅さん、そろそろ帰らないとだよね。駅までいこう」


 たしかに、象勢のことを考えることも大切だが、他校のコウを遅くまで付き合せるのも悪い。


 アヤノは、コウとともに駅に向かっていった。


「イロハ、大丈夫? また象勢がくるそうだけど」


「まあ、大丈夫です。また来賓として、だけですよね。顔をあわせなければ……」


 しかし、不安は募る。


(また、顔を合わせないといけない……)


「イロハよ……」


 花子も心配そうにイロハを見る。


(でも……)


「うん、いずれ、きっと、直接対決しないといけないんですよね。そのための、練習です!」


 象勢と顔を合わせるのは嫌だし、正直怖い。


 しかし、今後、象勢とやりとりをしなければいけないときが必ずくる。


 その時まで、もっともっと、強くならないといけない、と思った。


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