第39話 仲良く

 26日からの週、ドル円は142円からはじまった。


 131円でロングしているドル円の30lotの利益は、30万円程度にまで落ちていた。


 週のはじめから、世界的に株価が下落し、2万5800円でロングしている日経も、そのあたいに近づきつつある。


「なんだか、世界情勢悪いよね」


「そうですよね、全面的に株安、ドル高が続いてますよね」


 そんなカリンとアヤノのやりとりを傍目に、イロハはどうも、居心地が悪かった。


 先週は、お嬢様高校でもある間黒まぐろ高校3年で投資部部長の三浦ミサキの挑発に乗り、負けただけではなく、投資部の団体戦のデモトレード資金までを溶かしてしまったのだ。


 アヤノもカリンも、失敗は受け止めて、これからすぐにかっとしてしまう性格を直すように言われている。


 笑って済ませてもらったが、どうにも、はずかしい。


「失礼するよ」


「あ、スズメ。どうしたの?」


 スズメとシホが部室に入ってくると、今までカリンと談笑していたアヤノは、そのままの笑顔でスズメに接したが、カリンの顔はくもった。


「間黒高校への対応はありがとう。校長のところにお礼状がきたらしい。上下高校の投資部をほめていたらしいよ」


「さあ、どうだか」


 ぶっきらぼうにカリンが言う。


「何かあったのか?」


「ううん、ちょっとね。わたしたちも、投資甲子園に向けて気合が入ったよ。それで、スズメはそれを伝えにきたの?」


「ああ。実は……」


 そういってスズメは頭を下げた。


「すまない。また、みんなには手間をかけてしまう」


「ちょっ、スズメ、顔をあげて。みんなで協力するんだよ」


「実は、出場校が決まってきたんだ」


 スズメがシホに目配せすると、シホがみんなに書類を配った。


「まあ、第一回の大会だから、こんなものだよね。でも、きまったんなら、よかったんじゃない?」


「それが……」


 スズメは、暗い顔をした。


「参加する高校の旅券を、上下じょうげ高校が手配することになってしまったんだ」


「え、なにそれ? でも、それって、当然先生たちや、事務の職員の人がやるんだよね」


「いや……」


 投資部のみんなは顔を不安げに見合わせた。


「校長が……本当に勝手に……、地理の学習と社会勉強を兼ねられるから、投資部に責任をもってやらせますって、言っちゃったらしいんだ」


 投資部のみんなは、あぜんとした。


「あの、それって、わたしたちが、出場校の切符とか、飛行機のチケットを手配しないといけないってこと!?」


「ああ。本当にすまない」


 もう一度、スズメは頭を下げた。


「ちょっと、スズメ!」


 カリンが大声を上げる。


「前に、教員たちは抑えるって言ったじゃない!」


「ちょっと、カリン先輩!」


 あわててアヤノが止めに入る。


「でも……」


 カリンは、頭に血が上ったような顔をしている。


「ちょっとまって、新田にった先輩」


 シホがカリンに向き合う。


吉良きら先輩を責めないでほしいんだ~。吉良先輩、校長から話を聞いたとき~、きちんと校長室で話してきたんだよ~。校長がわけのわからないことを言うから、最後は校長先生の机をバンって叩いて、今後勝手なことがあったら、テレビに出た時上下高校の悪口を言いますって啖呵きったんだよ~」


「いや、シホ。それは言うな……」


 それを聞いても、カリンは、鼻息を荒らげている。


「これは、わたしの生徒会長としての能力のなさが招いたことだ。本当に、すまな……」


 そこまでスズメが言うと、アヤノが手で制した。


「スズメ、もう謝らなくていいよ」


 スズメは不思議そうにアヤノを見る。


「ごめん、スズメ。言いたいことは分かった。この書類に書いてある通り、高校の旅券を手配すればいいんだよね」


「あ、ああ。予算も、書類に書いてあるとおりだ。グリーン席が使えないなど、注意点も書いてある」


「分かった。それじゃあ、やっておくから、スズメもシホちゃんも、はずしてくれる?」


 アヤノに言われて、スズメとシホは部室から出ていった。


「ちょっと、カリン先輩。先週もそうでしたけど、今回も、あの態度はないんじゃないですか?」


 アヤノは、カリンにきつい口調でいう。


「別にぃ~、いいよな、アヤノは。キラキラスパロウと仲良く呼び捨ての関係に慣れたんだし。鼻の下伸ばして」


「なっ、なに言ってるんですか? ふん、分かりました。カリン先輩、わたしとスズメ先輩の関係に妬いているんですね?」


「うっ、妬いてるって、そんなこと。女の子同士じゃん!」


 そこへ、今度はまた部室の扉が開いた。


「オッス! 邪魔するぞ投資部の諸君!」


 いつになく上機嫌の、剣道部のマキだ。


「いや~よかったなぁ~昨日の野球。ついにヤクブツペンギンズ2年連続の優勝だぜ。ウチ、感動しちゃったよ。今日は朝からスポーツ紙買いあさっちゃったぜ~」


 投資部の重苦しい雰囲気なんておかまいなしで、マキが続ける。


「ああ、今年不調の中でキャプテンとして頑張った海田。ホームランの日本記録に並んだ町上。そして昨日は何と言っても、ルーキーの角山のサヨナラヒット。これだからヤクブツペンギンズのファンはやめられないよな」


「ああ、マキ、ペンギンズ好きだったよね」


「おうよ。これでペン三郎の地中くるりんベーが成功したら言うことなしだったんだけどな」


「あの、マキ先輩。優勝は良かったですけど、いま取り込み中で……」


 カリンとアヤノの言葉は、マキの耳には入っていない。


 それどころか、


「男同士ってのもいいよな。まだ若いホームラン王の町上の胸に抱かれる、キャプテンの海田。本当に最高だったぜ。ウチも、腐女子に目覚めてしまいそうだぜ。そういえば、カリンとアヤノも、去年は二人っきりで部活やってたんだよな。友情以上の女の子同士ってのも、最近多いんらしいぜ」


「ちょっ、マキ! 何言ってんのさ!」


 カリンが真っ赤な顔になる。


「アハハ、冗談冗談。でも、カリンって、最近クラスでも、生徒会長選挙を戦ったアヤノとスズメが、最近は仲がいいって噂が話題になるとムッとして、なんだかおもしろいよな」


「ううっ……」


 カリンが、かがみこんでしまった。


 アヤノは、あはは……と、困ったように笑った。


「ん? ウチ、なんか変なこと言ったか?」


「マキ先輩。いま、一番言っちゃいけないことだったかもしれません……」


「おう、マキよ。これは顔面デッドボールじゃな……」




 しばらくして、マキが机の上に乗っていた、高校の住所が書いてある紙を見つけた。


「ああ、それ」


 アヤノがマキに説明する。


「なんだか、どんどん面倒ごとに巻き込まれちゃいます」


「まったく、あの校長の野郎。上下高校の教員ってのは、本当にくるってやがるぜ」


 みんなは、ふう、と息をはいた。


「で、そこへちょうどよく、ウチがきたわけだな」


「ちょうどよくって、マキ先輩、どういうことですか?」


「どういうことって、当然、ウチに相談しにくるところだったんだよな?」


「えっ?」


 アヤノは首をかしげた。イロハも花子もだ。


「おいおい、アヤノは一度ウチの家にきたことだってあんだろ?」


「あっ、そうだよ、マキ! マキに頼めばいいんだ!」


「おい、カリン、ウソだろ? お前もかよ」


「アハハ、人間、どうしていいか困ると、身近なことほど忘れるね」


 イロハと花子は、まだよく分からない。


「そうだよね、イロハちゃんもハナちゃんも知らないよね。マキ先輩の家、旅行代理店なんだ」


「おうよ。こういうことなら、ウチの店にお任せあれだぜ。飛行機の手配も、新幹線、特急、鈍行の乗り換え、なんでもござれだ」


「あの、じゃあ、マキに全部頼んでもいいの?」


「うーん、そうだな。ウチで手配すれば、パック旅行にできる行程もあるな。これなら、ウチの店にも少しは金が落ちそうだ。近場の高校からは、特急しか乗らないからだめだけど、そこは困ったことはお互い様の精神で、いいぜ」


「ありがとう、マキ」


「おうよ。そのかわり、どこか旅行する時は、ウチの店で注文しろよ」


「あの、マキ先輩、でも、儲けにならないんですよね。そこまで負担していただくのは……」


 アヤノは、心配そうな顔でマキに聞く。


「いや、いんだよ。このコロナ禍で旅行需要が減っただろ。ウチの店にあまり客もこなくなって、最近オヤジも沈んでるからな。少し仕事があった方が、気分転換にもなるってもんだよ。気にすんな」


「ありがとうございます」


 アヤノにつられて、イロハと花子も頭を下げた。


 マキは書類を受け取り、部室から出て行った。


「アハハ、わたしたち、本当にマキの家のこと、忘れてたね」


「うっかりですね、本当に」


 先ほどの、暗い雰囲気は払拭されていた。


「よし、それじゃあ、今週の変な仕事はなくなったから、投資を頑張ろう!」


 みんなは、ニコリとしたが、


「カリン先輩は、そろそろ塾なんじゃないですか?」


「あっ、もうそんな時間。そんなぁ~」


 そういうと、みんなは、アハハ、と笑った。




 アヤノとしばらくチャートを見続けて、夕方に岐路につこうと学校を出る。


 すると、校長や大孫先生をはじめ、多くの先生たちが旗を立てるポールの下で、あたふたと動き回っている。


 遠目に、スズメとシホが立っている。


「スズメ、どうしたの?」


「ああ、アヤノとイロハちゃん、ハナちゃん」


「明日~安倍元首相の国葬だから~、半旗を掲げるかどうするかで~迷ってるみたいなの~」


「掲げないと批判されるし、掲げても批判されるかもしれないから、生徒会でやってくれないか、なんて言ってきたんだよ。まったく。もちろん、断ったよ」


 見ていると、日本の国旗が、ポールを上下に何度も動いている。


「なんか、あんな迷走を見ると、追悼の気持ちもあったもんじゃないよな」


 スズメは、はあ、とため息をして、シホと一緒に校舎の中に戻っていった。


「スズメ先輩、なんだか大変そうですね」


「うん。わたしが生徒会長になってたらと思うと、ぞっとするよね……」


 アヤノの顔を見ると、心配そうにスズメとシホの後ろ姿を目で追っていた。




 結局、翌日の国葬の日は、ポールには旗は掲げられていなかった。


 あの夕方の仕事は、本当に無駄な仕事だったのだろう。


 国葬では、特に株や為替の変動はなかった。


 ただ、ボラはある程度あるようだ。


 投資部のテレビで、安倍元首相の国葬を見ながら、チャートも見続ける。


「トラス首相の金融引き締め終了の政策が大きいみたいですね」


 ポンド円は、26日に大きく下落も一気に戻し、27日は上昇をはじめている。


「これが、殺人通貨なんですね」


「今週は、取引は難しいよね。30日には、プーチン大統領の演説もあるし」


「そうですよね。どう動くか分からないですよね。カリン先輩も今週はずっと塾ですから、売買できないですよね」


 30日は、ウクライナ東部四州の併合に関して、プーチン大統領の演説が予定されている。


 これから相談しながら投資をしていこうという投資部ではあったが、このような難しい局面で、しかもカリンは不在なのだ。


 軟調相場は続く。ひたすら、資産の減り具合を見つめながらの週となった。




 あっという間に30日だ。


「お疲れさまでした」


「うん、お疲れ。今日の夜9時が山場だね」


「プーチン大統領の演説ですね」


 夜のプーチン大統領の演説で、相場がどのように動くのかは未知数だ。


「でも、その前に買い出ししないとね」


 イロハは花子とともに、スーパーで買い物し、家路を急いだ。


 ふと、公園の前を通りかかると、


「うぬ? あれはカリンとアヤノではないかの?」


 アヤノとカリンがベンチに座っている。


「えっ、あ、本当だ。行ってみよう」


「ちょっと待つのじゃ、イロハ。そこの茂みに隠れるぞ」


「なに、ハナちゃん? 隠れるって……」


 イロハと花子は、アヤノとカリンの声が聞こえるくらいの茂みに身を潜めた。


「ハナちゃん、盗み聞きは悪いよ」


「うーむ、そうじゃな。しかし、もう隠れてしまったし……」


 アヤノとカリンは、しばらく黙っていたが、アヤノから、


「あの、カリン先輩。スズメへの態度って、もしかして、本当に妬いてるんですか……?」


「あー、あはは、自分でも意識してなかったんだけど、マキの言ってたこと聞いて、確かに、わたし、妬いちゃってたんだなって……」


「カリン先輩……えーと……」


「あー、いやいや、マキの言ったことで、意識することなんてないよ。アヤノのことは、友達として、後輩として、大好きだよ。でも、あの、恋人とか、いわゆる、百合? みたいな感じじゃないから」


「そ、そうですよね、アハハ……」


 そうして、二人はうつむく。


「あの、カリン先輩。しばらく、このままの関係でいきましょう……カリン先輩は、今は一番受験が大事なわけですし」


「うん、そうだよね。とりあえず、このままだね、アハハ」


 そこまで聞いて、イロハと花子は、そっと茂みから退散した。


「ああ、びっくりした……」


「うむ、驚いたの……」


 イロハと花子は、帰り道は、何も話せなくなってしまった。




 21時をまわっても、プーチン大統領はなかなか姿を現さない。


 テレビでは、クレムリンに集まった人たちが、静かに大統領の登場を待っている様子を映し出している。


 ようやく、プーチン大統領が現れた。


 同時通訳では、予想通り、ウクライナの東部四州を併合する宣言が出された。


「ハナちゃん、みんな、どうして仲良くできないのかな?」


「利権、組織、嫉妬など、いろいろあるのじゃよ」


「みんな、幸せになれればいいのにな」


「世の中、なかなかそうはいかないのじゃよ」


 プーチン大統領の、虚勢ともとれる、勇ましい演説は、延々と続けられた。


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